短編集56(過去作品)
なかなか自分から口を開いて相手に自分を納得させることをしない清水にとって、彼女の口調はありがたかった。だが、一長一短もあるもので、すべてを分かってもらっていると思うと思わぬ落とし穴もあるが、その時はまったく気付きもしなかった。それは、お互いの依存症にあるようだった……。
二人の間の結婚まで思ったよりも時間が掛かった。
――結婚するならば、この人――
と、お互いに決めていたことは間違いない。
清水も春江も、お互いに生真面目な性格で、浮気をするタイプではない。ただ、清水は正直すぎるところがあり、かわいい女の子がいれば、すぐに視線を向けてしまう。聡いたちである春江にとっては、気を病んだことであろう。
だが、清水は彼女が気付いていることを知ると、開き直ってか、
「ああいう女性がタイプなんだ」
と自らが話すようになった。話されると、
――私だから話してくれているんだ――
と女性の方でも幾分か嬉しいものらしく、清水の好みの女性が近くを通れば、今度は春江が肘でついて、
「ほらほら、あなたの好みの女の子よ」
と言って教えてあげると、
「おお、素晴らしい」
と素直に喜びを表現する。二人はそんなあけっぴろげな付き合いだった。
清水はそんな付き合いを望んでいた。清水からすれば、
――まんまとうまくいった――
と思っているだろうが、春江にしてみれば、
――なんて単純なのかしら、簡単に操縦できそうだわ――
という考えがあったことは否めない。
お互いに自分のやりやすいように付き合える仲であったことで、急速に親しくなっていったのだろう。
だが、お互いに愛し合っていたことは間違いない。清水にしても、ここまで春江を意識するようになるとは思ってもいなかっただろう。真剣に女性を好きになるということとはどういうことかを知らなかった清水は、春江と付き合い始めた時も、手探り状態だったに違いないからだ。
春江にしても同じで、単純な性格なのは分かっていたので、軽い気持ちで遊んでやろうくらいにしか思っていなかった。いつの頃から、そして何がきっかけで彼を好きになったのかを聞かれて、ハッキリとした回答ができるだろうか? 断言は難しい。
そこまで自己分析ができている二人だったので、なかなか結婚まで考えが及ばなかった。それはお互いに同じことで、そうなると、最初に結婚を考えるのは、やはり女性の側である。
もし、春江が結婚の言葉をその時期に口にしなければ、どうなっていただろう?
自然消滅とまでは行かないまでも、清水の方から離れていったようにも思う。最初は軽い気持ちであったが、一気に燃え上がった時期があって、それが長く続かないのが、清水の性格でもある。
例えは悪いが、好きなものは毎日でも食べ続け、その持続期間は他の人よりも長いが、一旦飽きてしまうと、見るのも嫌になってしまう。清水にはそういうところがあった。彼の性格を形成している大部分でそうではないだろうか。
「ねえ、私をこのままにしておくの?」
「ん?」
清水も、「そろそろ」というのは分かっていた。
「結婚よ」
言葉を聞いて、身体が勝手に反応し、ビクッとしてしまったであろう。ベッドの中での気だるさの中で聞いた言葉には、それなりの説得力がある。
清水は初めて真剣になった。分かっていて、二の足を踏んでいたのは、彼女の気持ちをハッキリと信じあぐねていたからだ。言葉にして発してくれないと、自分から動いても勇み足になってしまうことを嫌っていた。
表向きはそうであるが、要するに結婚というもの、それほど真剣に考えていなかったのが本音である。相手から言葉を聞いて、初めて実感として湧いてきたのであった。ベッドの中で聞いた言葉というのも、大きな影響がある。一番身体が密着していて、気持ちが飽和状態を解放している時だったからである。あまりにも腹がすいている時、あるいは、腹が一杯の時には、麻痺している感覚だからである。
そこから先はとんとん拍子だった。これと言った障害もなく、結婚まで辿り着ける。「順風満帆」という言葉が適切であるかどうか分からないが、まさしくその戸尾恵理である。
清水は春江を、春江は清水を、それぞれすべて知っているように思えた。特に春江に対しては隠し事をしたことのない清水にはその自負があった。
――自分がこれだけオープンにしているのだから、春江も自分のことを曝け出してくれているはずだ――
ある程度まではそうなのだろう。だが、本当に肝心なところですべて曝け出しているかどうか疑問である。それは彼女が女性であるからである。女性には男性にない防衛本能の強さがあるようだ。
女性と男性での一番の違いは、肉体的にも精神的にもハッキリしている。女性は子供を産むことができるが、男性にはできないということである。
本能としても、女性には母性本能がある。相手を信じるにしても、必ず最後のところで防衛本能が働いていることだろう。それが受胎することができる女性としての防衛本能と言えるだろう。
結婚してから、まるで夢のような生活だった。それは二人ともそうだったに違いない。特に清水には夢のような生活だった。
一人暮らしは大学の頃からしていた。
あまり整理整頓が得意ではない清水は、最初それでも綺麗にしていたが、大学という雰囲気にすっかりだらけてしまって、自分の身の回りを疎かにしてしまっていた。順応しやすいわけではないのに、そんなところばかり気が緩んでしまって、どうしても甘い考えが抜けなかった。
一度散らかってしまうと、なかなか整理整頓などできるものではない。何しろモノを捨てることを怖がっているからだ。
――簡単に捨ててしまって、後でいるものだったら――
というのが恐ろしい。まず整理整頓に一番大切な、
――モノを捨てること――
ができないので、部屋は散らかり放題だった。
さすがに一人暮らしの部屋に人を連れてきたことはなかった。そんな大学時代だったのだ。
就職してからも一人暮らしだったが、少しはマシになった。綺麗好きになるわけもなく、精神的にはあまり変わらなかったが、散らかり放題というところまでは行っていない。仕事が忙しく、あまり部屋にいる時間が短いというのも幸いしているが、まず地味な生活をしていることから、部屋が散らかる要素がないのだ。いわゆる殺風景な部屋になってしまったのである。
新居は、二LDKの新築マンションの賃貸だった。清水一人の給料では難しかったが、春江もパートに出てくれるということで、部屋はすぐに決まった。
部屋を決めるのは清水が一人で探してきて、
「ここなんてどうだい?」
と春江に大体決めた後で相談した。
「あなたが私に相談を持ちかける時って、いつもあなたの中では腹が決まっている時が多いのよね」
と以前から言われていたが、まさしくその通りである。
――何もかも春江には、俺の性格を見抜かれるな――
と、思ったものだ。だから、部屋を紹介した時も、
「いいわよ。あなたが決めたのなら私は反対しないわ」
という返答を予測していたが、ほぼ想像通りの答えが返ってきた。
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次