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短編集56(過去作品)

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 仕事中に言い訳している姿は実に醜い。先輩も分かっているはずなのだが、あまり言い訳について言及することをしない。いずれ、言い訳しなくなる日がくるのを待っているのかも知れないが、甘い考えではないかと清水には思えた。
 人が言い訳している姿を見ていると、自分が絶対にしないぞという気持ちにさせられる。
 しかし、聖人君子ではない清水は、どちらかというと、人と違う考えを持っている。
 時々楽をしたくなることもあり、なるべく気付かれないところで手を抜こうと思う方だった。だが、そんな時に限って分かるものらしく、上司からそれとなく責められることもあった。
 そんな時、黙り込んでしまう。口を開けばそこには言い訳しか出てこないと分かっているからだ。上司とすれば言い訳でもいいから何か反論されたいのかも知れないが、醜い言い訳ばかりする同僚を見てきているので、どうしても口が開かない。
 そんな時、自分にイライラしてしまう。人は人、自分は自分だと思っているのに、結局は人を意識してしまって、一歩踏み出すことができない。苛立ちを覚えるのも同然というものだ。
 上司に連れて行ってもらったスナック、そこは上司が部下を連れていくスナックだった。
「俺はいくつもの馴染みの店を持っているんだ」
 と言っていたが、一人で呑みたい店は別に持っているに違いない。
 その店の常連が、春江だった。
 春江は上司とよく店で会うのだが、あまり話をしたことがなかったようだ。後で春江に聞いた話としては、連れてこられたスナックに、上司が一人で来たことは一度もない。まるで上司にとっては、部下の品定めのためというものらしく、スナックのマスターがその一役を買っているらしかった。元々無口の清水なので、マスターの目にどのように写ったのかは分からないが、緊張しないわけにはいかない。
 上司とマスターは気軽に話をしている。だが、清水自体は、それどころではない。借りてきた猫のように、じっとしているしかなかった。
 だが、清水には聞き上手なところがあった。人が楽しそうに話をしていると、他人事だと思うことで、自分もニコヤカな顔になることができる。それは彼にとっての長所に一つに違いない。
 無口ではあるが、下手におべんちゃらを使う人に比べれば印象がよかったのだろう。マスターも上司もニコヤカに話ができているようだ。
 次の日から上司の態度が少し変わった。今までは鋭い目で清水のことを見つめていたが、その日以来、あまり意識しなくなっていた。
――どうやら、信頼を持たれたのかな――
 もしそうならありがたいことである。
 一ついいことがあれば、続くものである。それが偶然であっても、そう感じていると、必然に思えてくるから不思議なものだ。
 翌日も仕事を定時に切り上げて会社を出た。まだ明るさの残った表は、ちょっと歩いただけで汗が滲み出るほど、西日の照り返しはきつかった。
 駅まで歩いて十五分、途中にある喫茶店で冷たいものでも飲みたくなったのは、気まぐれにすぎない。
 いつも出張ばかり出ているが、一ヶ月の中で一週間ほど、事務所で仕事をしている時期もある。毎日が事務処理に追われているわけだが、テキパキとこなせば定時に帰ることもできるし、それほど苦痛にもならない。
 前から行ってみたいと思っていた喫茶店だった。駅に向かうまでに時々中を覗いていると、結構人が多いので、今までは敬遠していた。
 人の多いところは苦手であった。
 相席などは問題外で、テーブルが一杯になる状況もあまり好きではない。学生時代はそれほどでもなかったのだが、きっといろいろなところに出張に行くようになって、静かなところを欲するようになったのだろうと、自分なりに理解していた。
 喫茶店に入ると、一気に涼しさを感じ、寒いくらいだった。
 中は珍しく閑散としていて、流れているクラシックの音楽が優雅な雰囲気を醸し出している。
――これが喫茶店というものさ――
 と勝手に納得し、満足感が否めない。奥のテーブル席に腰掛けて、メニューを見ていたが、最初からメニューは決まっていた。
「アイスコーヒーをください」
 お冷を持ってきてくれた女の子にそう告げると、ゆっくりと窓の外を眺めていた。
 人の通りが思ったよりも多い。歩いていてあまり気付かないのは、そのほとんどが一方からの人ばかりだからである。
 皆、清水が来た方向から駅に向かって歩いている。ほとんどが一人で歩いていて、皆あまりスピードも変わらなくて、まるで動く歩道を見ているようだ。
 追い越す人もおらず、一定の距離を保って歩いているので、歩く人は少ないと思うのも当然である。すれ違う人もほとんどいないのだから、どうしても、人通りが少ないと思いがちになっていく。
 渇いた鐘の音が店内に響くと、一瞬どこからの音か迷ってしまうが、すぐに入り口を見てしまうのは、反射神経によるものだろう。入り口が人の動きの原点に思える。
 そこから入ってきた人に見覚えがあった。あまり背が高くない女性が入ってきたのだが、最初、彼女は店内を見渡していた。まるで、さっき入ってきた時に清水がしたのと同じような雰囲気だった。
「あら?」
 彼女が最初に清水に気付いた。
「昨日、スナックでご一緒だったですよね」
 気軽に声を掛けてきた彼女に対し、悪い印象はまったくなかった。それどころか、手を差し出して、
「この席にどうぞ」
 と言わんばかりに目で訴えていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 彼女の目がそう語っている。椅子をずらして座ったが、その間、彼女の目は清水を捉えて離さなかった。
「昨日は失礼しました」
 清水が先に口を開いた。失礼したと言っても、何も話をしていないはずだ。彼女とだけではなく、店では終始無口だったはずだ。その言葉に対し、彼女は答えに困るはずで、
――しまった――
 としばらくして思った。
「昨日はあまり酔っ払っておられなかったようですが、アルコールはあまり呑めないんですか?」
 うまく話を逸らしてくれてありがたかった。
「ええ、そうですね」
 彼女はニコヤカになった。きっと上司に引っ張ってこられたことを確認したかったかのような質問である。それを聞いて満足したのか、
「サラリーマンって大変ですよね」
「ええ、でもあまり気にしていませんから」
「あなたのように聞いているだけでニコヤカな表情になれる人って、なかなかいないんですよ。必ず何か言わないと気が済まないのか、それともその場の雰囲気に耐えられなくなって口を開くのか分からないんですけど、口を開くと、どうしても言い訳っぽくなったり、上司だと思ってか、体裁を整えたいような口調になってしまうんですよね。その点、あなたを見ていると感心しました。私もあなたのようになれればいいって感じましたもの……」
 顔が真っ赤になるほど照れ臭かった。だが、的を得ているのは間違いない。自分で感じていることと、ほとんど変わりない意見だったからである。自分で感じていることは、どうしても自分に甘く、そして贔屓目に見てしまうものだ。それを言葉にして他の人が表現してくれると、これほどの快感はない。
――この人は分かってくれている――
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次