短編集56(過去作品)
と感じていたとしても、相手の視線には熱いものがあったことから、まさか自分に対して違う視線が浴びせられているとは思っていなかった。どこか疑いを持った視線だったはずなのだが、付き合い始める前の興味深い視線との区別がつかなかったのは、その間に甘く妖艶な視線が入っていたからであろう。
しかし、その視線がおかしいことに気付いた時には、お互いにぎこちなくなっていた。
「あなたの視線が怖いの。どこか私を睨みつけるようで」
と言われたことがあるが、
「そんな、まったく見に覚えがないよ。君の視線の方が、何となく怖い感じがするくらいだよ」
という会話になった。
それは一人だけだったが、それ以外の女性が黙って小田切の前から去っていった。
本当であれば一言くらい何か別れの理由について話をしてくれてもよさそうなのに、誰も話してくれない。唯一話してくれた女性の意見を鵜呑みにするしかないではないか。
だが、理由が一つではないことも分かっているし、それぞれに言い分があるのも分かっているが、根本的な理由は一つなので、その理由のせいで話をしたくないと考えていることに違いはない。
小田切は自分が好きになる女性に共通点を探してしまうくせがあった。そのことに気付いたのは、やはり社会人になってからではないだろうか。
共通点を探すという行為は、何も恋愛対象相手だけではない。友達にしてもそうなのだが、考えてみれば、今まで小田切が友達になった人で似た趣味を持っている人は多かったが、共通点は少なかった。
同じ趣味を持っているからといって、同じ趣向だとは限らない。むしろ違う趣向の方が多いのではないだろうか。その方が同じ意見にならず、個性があって楽しいに違いない。そんな楽しみを探している自分がいることに気付いていたはずなのに、無意識を装っていたのは、自分の中で、
――除け者になりたくない――
という意識が働いていたからであろう。
個性のある人は好きだった。自分の意見が一本通っているからで、自分の意見も戦わせやすい。個性のある人が人の意見を聞かないように思えていたのは、偏見だったのではないかと思う小田切だった。
相手が女性となると少し違う。相手の意見を一生懸命に聞こうとしている自分がいることに気付く。確かに相手の意見を聞くことで自分の意見を表に出しやすくなるのだが、相手が女性で、しかも彼女だということになると、なかなか口から意見が出てこない。
尊敬に値すると思った人に対しては、完全に萎縮してしまうところがあった。対等に意見を交わしている時はいいのだが、相手が女性だと、なぜか最初から萎縮してしまうところがあった。
――男と女の違いを意識しすぎるのかな――
と思うが、きっと思春期の思い出がそうさせるのだろう。
小田切が女性に興味を持つのは早かった。小学生の頃から女性を見て、淫らな気持ちになってしまう自分を恥ずかしいと感じていた。それだけに、まわりが女性に対して同じような感情を持つことが許せない時期があった。
何事も最初に始めたものが偉いのだと思い込んでいる小田切にとって、早熟な自分を恥ずかしいと思いながらも、他の人よりも早く大人になった気分になっていた。
自分だけが先に進んだ時間を大切にしたいという思いが強いせいか、却ってそんな時期はあっという間に過ぎてしまうものだ。皮肉なものだが、人が同じ気持ちになることは分かっているくせに、自分の聖域を冒された感覚になるのは、早熟といっても気持ちはまだ子供だった証拠だろう。
小学生の頃は、高校生くらいの女性がやたらと大人に見えた。
――早く僕も大人になりたいな――
と感じている頃が一番可愛らしかったのかも知れない。
他の友達が自分の感覚に近づいてくる頃は、女性に対しての感覚が少し停滞気味で、立ち止まっていた。後ろを見るとすぐにでも追いつかれそうな感覚に陥った時、今までかなり遠くに見えていた大人の存在だった女性が、急に身近に感じられるようになっていた。
本当であれば喜ばしいことなのだろう。自分が大人に近づいた証拠だからであるが、なぜかその時の心境には一抹の寂しさがあった。
――何を目指して自分が大人になろうと思ったのかな――
と感じたからだ。
女性に対しての好みが変わったわけではない。同年代の女性に興味はなく、絶えず年上の女性だけを見ていた。中学に入ってからでもその感情に変わりはなく、高校になってからも同じだったかも知れない。
高校に入ると、今度はまわりの女性が皆大人っぽく感じられるようになった。実際に大人っぽくなったのだが、同じように成長してきたはずの自分だけが取り残されたような焦りのようなものを感じるのだった。ただ、子供の頃に感じていた「おねえさん」のイメージがそのままだったことで、自分が成長していないのではないかと思えたからだった。
成長していないわけではない。小学生から高校生になるまでに、いろいろな女性を見てきた。特に高校生の女性をずっと意識して見てきたはずなのに、小学生の頃と高校になってからでは、同じ感覚なのだ。
では中学の頃はどんな目で見ていたのだろう?
中学の頃は高校生のおねえさんを見ているというよりも、まわりの男子生徒を意識しすぎるからか、高校生のおねえさんを見る目がかなり違っていたはずだ。
まわりを意識しすぎるからではないかと思っていたが、実は意識しているのは、自分の視線だったのかも知れない。
――あまり露骨になってはいけない――
と感じれば感じるほど、露骨になっていたのだろう。意識していないと思っているはずの目の前を通る高校生のおねえさんにいつも見られている感覚があったからだ。
――要するに遠回りをして、また同じ感覚に戻ってきただけなのかも知れない――
と思うようになった。大人の目で見ているはずなのに、見え方が変わらないということは、それだけ自分にとっての聖域は、自分でも冒すことのできないものだったに違いない。
就職するまでは女性は小田切にとって憧れだったのかも知れない。彼女ができてもうまくいかないことが多かったのは、相手に遠慮しすぎるところがあったのではないかと感じるようになった。引っ込み思案でもないのに、どうしてそんな感覚になるのかを考えていたが、やはり小さい頃の憧れと、自分が同じ高校生になってからも年上のように憧れてしまう感覚がトラウマとなってしまったのだと小田切は考えていた。
就職すると、少し変わってきた。
自分も女性と対等、あるいはそれ以上に思えてきた。
大学の頃までは成績がいいわけでもなく、まわりに流されやすい性格だった。それを自分の中で嫌っていたところがある。
個性のある人間が好きなだけに、自分に個性がないといけないと思い、なるべく人と違うところを見せたかった高校時代。しかし、それが浮いてしまっては仕方がない。大学に入れば個性のある連中がまわりにいる。自分の個性もまわりによって引き出されるものだと思っている。
しかし、所詮個性の塊の中では目立つことはない。それでも目立とうとすると、せっかくの団結を乱してしまう。
――個性のある人間が集まることが、本当の団結を生むんだろうな――
という考えを持っていた。
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次