短編集56(過去作品)
タバコを吸う行為にしてもそうなのだが、行為をしている人への思い入れの違いだけで、五感がまったく違ってくるものである。
雄作に、小さい頃感じた父親のイメージを感じるのも無理のないことだ。そういう意味で自分のことを隠さずに話す雄作が、どこか頼りなく見えてくるのかも知れない。
小学生の頃に感じた父親という大人、成人してから初めて感じる男としての存在、比較してしまう自分の行動は、本能によるものだろう。雄作に身を任せながら、どこか小学生の頃に感じた父親のイメージに近づけている自分がいるのだ。
ベッドの中で感じる雄作の体温は、いつも暖かかった。暖かいというよりも熱いと言った方がいいくらいで、あまり汗を掻くタイプではなかった。
どちらかというと玲子の方が汗を掻いていて、激しく感じて掻く汗とはどこか違っているようにも感じられた。それが雄作の熱さから来るものだということに気付くまでに少し時間が掛かったようである。
自分が汗を掻きすぎるのか、雄作が熱すぎるのか気にはなっていたが、誰に聞くわけにもいかない。聞けたとしても、きっと人によって意見が違うのは分かりきっている。それが身体の相性というものではないだろうか。
雄作は全体的に優しく接してくれていた。
優しさは、女性にとってありがたいのだが、中には優しさだけでは物足りない人もいると聞く。
大学時代の友達に、時々卑猥な会話をする人がいて、彼女が話していた。
「男って、優しいだけじゃだめなのよ。最初はいいかも知れないけど、そのうちに物足りなくなるわ。私なんか、苛めてもらわないと我慢できなくなっちゃってね。それで彼に苛めてって言ったのよ。そしたら、急に怖くなったらしくって、すぐに別れていったわ。私の方も急に冷めちゃったわね。失恋に対する傷心なんてものなかったわ。それよりも情けない男と付き合っていた時期がもったいないって思ったくらいだわね」
大袈裟に聞こえるが、なまじ無視もできない話だった。
実際、玲子も雄作と初めて抱き合った時に感じた感動が、次には半減していた。初めての時、それまで想像していたシチュエーションと最初は同じだったのだが、一瞬、少しだけ違う素振りがあった。
そんな素振りだったかまではハッキリと覚えていないが、ちょっとした綻びのようなものだったであろう。
ちょっとした綻びは、次第に自分の想像との大きな隔たりになっていったが、何しろ想像の世界が、妄想だったことを思い知らされただけなので、その時は、別に沸き起こった快感に身を委ねていればよかった。
湧き上がる快感は、妄想の比ではなかった。何度も打ち寄せる波に、次第に意識が遠のいていき、夢の世界の訪れを感じていた。
――激しさも感じるわ――
快感の波の合間に思い出していた大学時代に聞いた友達の話。物足りなさを感じると言っていたが、波の中に、そんなものを感じている余裕がなかった。
――最初だからかしら――
波を感じながらも、なぜか冷静であった玲子だが、妄想と現実の違いはしっかりと感じていた。
目の前の彼は必死に見えるのだが、行動に余裕があった。しっかりと玲子の目を見つめていて、目を合わせることがその場で一番恥ずかしいことだと思っている玲子は、必死で目を逸らしていた。逸らしながらもチラッと横目で見ていたが、その都度彼が微笑んでいるように見え、恥ずかしさで顔が真っ赤になっていく。
その時に極度の波が襲ってくるのだ。
次第に彼の表情に余裕がなくなってくるのを感じた。
――いよいよだわ――
男の人は、果てると虚脱感から動けなくなってしまうことは、大学時代の友達から聞いていた。
雄作もその話のとおり、玲子の中で果てる前に、一気に余裕がなくなって、呻くように玲子の中で果ててしまうと、まったく身動きができなくなっていた。
表から見ると、まるで死んでしまったかのように見えるかも知れない。だが、重たい身体が玲子を覆い、身体の熱さが一気に襲い掛かってくる。
熱くてたまらない感じではあるが、決してやけどのようなものではない。二人の息遣いが静かな部屋にこだましていて、卑猥な空気を感じられた。
空気が湿気を帯びているのも卑猥な雰囲気を醸し出している。
――これが男というものなのね――
他の男性を知らない玲子は、マジマジと感じていた。
最初、汗が滲み出ていた玲子だったが。次第に汗が引いてくる。すると、あれだけ熱さを感じていた雄作の身体から、熱を感じなくなってきた。
――感覚が麻痺してきたのかしら――
とも感じたが、それだけではない。自分も身体の芯から熱さがこみ上げてくるように思えてきたからだ。
――汗が引いてきたのはそのせいかも知れない――
玲子はそう感じると、今度は雄作の呼吸が整ってくる。
会話はなかった。仰向けになった雄作は、ベッドの上にいつの間にか用意していたタバコの箱を手に取った。最初からタバコを吸うつもりでいたのだろう。
食後にタバコが吸いたくなるらしい。これは父親が以前に話していたことだ。
「タバコを吸う人、辞められない人は、タバコを吸うにも何か理由があるからだよ。それじゃないと、辞められるはずだからね」
と話していたが、吸わない玲子にとって、言い訳にしか聞こえず、その言葉の意味を考えてみようとも思わなかった。
「どうして今タバコを吸うの?」
雄作に聞いてみた。
「落ち着きたいからかな?」
何となく答えが分かっていたような気がする。もし、彼が答えてくれなければ、自分から彼の答えたことを聞いてみようと思っていたくらいだった。
「女性を抱いていて、快感が高まってくるだろう?」
「ええ?」
「その時に感じるのは、目の前にいる人の存在を疑ってしまうことがあるんだ」
何のことを言っているのだろう?
「どういうこと?」
タバコを吸いたくなるのは、自分の高ぶった気持ちを落ち着かせるためという気持ちだけではなく、目の前にいる人を自分が本当に抱いたんだという気持ちにさせるためのものでもあるんだよ。快感を相手の身体に放つ時、もう一人の自分が見える気がするんだ。まるで夢の中のようにね」
「私も言われてみれば……」
確かに押し寄せてくる快感に身を委ね、男が果てた瞬間に、一気に虚脱感が襲ってくる。間違いなく、自分が快感の波を乗り越えた証拠である。しかし、乗り越える瞬間、前後から想像されるような快感が果たして自分に存在したのかを図り知ることはできない。
――なぜなんだろう――
仰向けになってタバコの煙の行方を追いかける。揺れながらゆっくりと天井に向っていくが、途中で暗闇に消えていく。
父親が吸っていたタバコの煙を追いかけていた頃、次第に応接間が狭くなっていくのを感じていた。今もホテルの部屋が次第に狭くなっていくのを感じている。
雄作は肝心なことを隠しているような気がしていたが、どうやら、ベッドの中での感覚についての疑問だったようだ。玲子に話をして、自分の話を理解してもらえるとどこで感じたのか分からないが、やはり待ち合わせをしていて予定通りの時間に会えないこととの繋がりを感じていたのかも知れない。
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次