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短編集56(過去作品)

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 夢には不思議な効力がある。自分の中にあるわだかまりを、納得させる効力とでも言っていいだろう。まったく繋がりのない夢でも、一度目が覚めてもう一度見たいと思って見る夢は、どこかで繋がっているのかも知れない。
「夢とは潜在意識が見せるものだっていうじゃないか」
 雄作も夢の話が好きであった。彼には彼なりの考えがあるようだが、考えている奥底を決して話そうとしない。
 玲子も夢の話には大いに興味があり、夢の話に花を咲かせるのだが、心の底にある夢に対してのイメージを口に出すことはなかった。それでも、雄作と夢の話をしていると、いつ終わるとも知れないような気がしてくるから不思議だったのだ。
 根底の話をしなくとも、会話をしていれば、自分の中では気付かなかった考えていることの先が分かってくる。相手が自分と同じ考えであるわけもないし、お互いに途切れているところを繋ぐことで、一本の線が出来上がっていくのだ。
 果てしない線が縦横無尽に広がっているように思う。まるでクモの巣状態ではないだろうか。目を閉じて瞼の裏に見えている無数の線。それをクモの巣のようにイメージしていたが、人との会話が繋がっていく時に感じるクモの巣は、まさしく目を閉じた時の感覚。話をしていて目を閉じたくなる衝動に駆られるのは、そのせいだった。
 目を閉じる意識は雄作にもあった。雄作と玲子だけではない。友達と話をしていて、目を閉じるくせのある人は少なくない、クモの巣が繋がる感覚であることに気付くと、玲子も人が目を閉じると、自分も閉じるようにした。そうすれば、同じ気持ちになってさらに繋がりが見えてくるように感じられるからだ。
 玲子は夢から覚める時に、きっとクモの巣を意識しているだろう。夢から覚める時、
――夢から覚める時間だ――
 と意識することが多い。時間で目が覚めるわけではないが、そんな時の現実の時間は、玲子が夢の中で感じた現実の時間と、ほぼ同じである。
 夢と現実の間にも別の時間が広がっているとも思っている。
 目が覚めるまでの時間がそれに当たるのかも知れないが、待ち合わせをしている時に感じている時間に似ているのではないかとも思えていた。
 相手が現れて、実際に感じる時間が短かった現象は、明らかに夢から覚める時に似ている。
 だが、実際に夢を見ていたわけではなく、現実を見ていたのだ。
 現実のはずなのだが、それでも納得がいく現実ではない。
 夢の世界か、現実の世界か、はたまた中間の世界か、そのどれかが幾重にも重なった世界が存在しているように思う。それは無数であるかのように見えるが、実は、自分の左右に鏡を置いて見た時に自分の姿が無数に見える感覚なのではないだろうか。それを思うと、玲子が待ち合わせをする場所がいつも開いてるのも説明がつきそうだ。だが、こんな話、誰も信じてくれるはずもなく、雄作にも話していない。
 待たされている時間が夢のように感じられる時はいい。しかし、次第に夢の世界を意識し始めて、何となく納得できるような感覚になってくると、次第に不快感を感じるようになってきた。
 不快感とまでは大袈裟かも知れないが、それまで気持ちに感じていた余裕が感じられなくなると、焦りが戻ってくる気がしてくるのだ。
――まるで夢から覚めて、現実の世界に引き戻されるのを嫌がっているような感覚のようだ――
 と感じていた。
 玲子は人から押し付けられることを極端に嫌う。
 親から受けた教育にしてもそうだ。
 玲子の家庭はどちらかというと厳しい方であった。他の家庭を見ていると、
――何もそこまで言わなくてもいいじゃない――
 と思いたくもなる。隣のバラは紅いというが、せめて友達の母親くらいに穏便な性格であればいいのにと何度感じたことだろう。しかし、それも母親の育ってきた環境や性格にもあるだろうと思い始めたのは、すでに自分の性格が形成されてしまってからであった。
 玲子は次第に雄作との相性を気にし始めていた。
 すでに彼とは身体の関係になっていた。玲子が大学を卒業し、就職も決まってから、大人を意識し始めた玲子を待っていたようだ。
 雄作は、あまり女性と付き合ったことはほとんどなかったようだ。
 付き合ったといっても、仲良くなりかける前に、相手から別れを告げられたらしい。
 雄作は隠し事をしないタイプの男性で、包み隠さずに話してくれる。玲子にとって、それは嬉しいことだった。それだけ自分を信用して話してくれていると思ったからで、たいていの女性も話をしてくれることを望んでいることだろう。
 隠し事をできる人とできない人は極端である。普通に話をしていても、どこかオドオドして見えている人もいる。中学生くらいであれば、緊張していてかわいく感じられるのだが、社会人になっている人がオドオドしているのを見ると、どこか不信感が見えてくるのも仕方がないことだろう。
――この人、隠し事でもしているんじゃないかしら――
 と感じるからである。
 しかも、肝心なことをボカして話すようになれば、完全に隠し事が見え隠れしているのは歴然としてくる。隠し事ができない人の典型である。
 いつも毅然としている人は、少々誇大表現があったとしても、信じることができる。ハッタリを噛まされても分からないだろう。雄作という男性は毅然とした態度を取っていると思っていたが、自分のことを隠さずに話しているのを見ている時は、却って少し頼りなさを感じるくらいになることがあった。
 だが、それが彼の誠実さに見えて、玲子には嬉しかった。ついつい玲子も自分のことをベラベラ喋っていた。もちろん、肝心なことや話さなくてもいいことは話していなかったが、彼の誠意に対する気持ちの表れであることに違和感はなかった。
 雄作の胸の中にいて、二人で天井を眺めている時間が、玲子は好きだった。
 適度な気だるさと、敏感になっている全身で、彼の温もりを感じることのできる時間、普段であれば、タバコの煙を毛嫌いしているはずの玲子も、その瞬間だけは、彼の口元から上っている煙を感じると、なぜか落ち着いてくるのだった。
 そういえば、父親がよく応接間でタバコを吸っていたっけ。
 小学生の頃、表は禁煙が叫ばれていた頃、タバコを自由に吸えるのは自分の家だけになっていたこともあって、応接間での父のタバコの量は、結構なものだった。
 駅のホームの端にある喫煙場所、タバコを吸う人が数人たむろして吸っている姿は、情けないものがある。中には女性もいたりして、見ていて情けなさ以外に何も感じないくらいである。
 匂いが風に乗ってやってくるが、
――これじゃあ、タバコの煙を嫌がる人が多いはずだわ――
 と感じるほど辛いものだった。
 だが、応接間で吸う父のタバコの匂いは、嫌な匂いではない。父親の匂いとでも言えばいいのか、明らかに駅のホームの喫煙所からの匂いとは違っている。
――どうしてこんなに違うのかしら――
 吸っている人への思い入れの違いではなかっただろうか。小学生の頃はまだ父親の威厳を感じ、背中がやけに大きく感じられた時代、情けなさしか見えてこないまったく知らない大人たちと比べものにならないことは容易に想像がつくというものである。
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次