短編集56(過去作品)
ちょうど皆が座っている場所を見ると、同じような考えからか、段差をうまく使ってできた椅子に腰掛けている。無造作に場所を確保しているように感じたのは錯覚で、座るべき場所に座っているのを感じると、
――案外、下手な考え、休むに似たりなのかも知れないわ――
と感じていた。
座ってしまうと、急に身体から力が抜けていくのを感じた。足が適度な震えを示していて、疲れを訴えている。立っている時には感じることのできないもので、精神的な落ち着きが足の神経を正直な気持ちにさせたのかも知れない。
座り込んでまわりを見る。楽しそうな表情をしていると思ったのは立ってまわりを見つめている時で、同じように座って同じ高さの目線で見つめていると、誰もが無表情に見える。
黙々と弁当を食べていたり、食べ終わったグループも何か話しをしようという雰囲気もなく、俯いているだけであった。
――一気に疲れを感じているのかしら――
誰も言葉を発する人もいない。山に入ってきているので、耳がツーンとしていて、途中から、なかなか聞こえにくい状態ではあった。
シーンとした雰囲気というのはこんな時のことなのかも知れない。誰も喋らないと、聞こえるのは風の音ばかり、風の音なのか、キーンという音がまるで耳鳴りのように響いている。
――これこそ高いところでしか感じることのできない耳鳴りじゃないのかな――
と感じたが、静寂であることには違いない。
今までにこれほど静寂の世界を見かけたことはなかった。静寂の世界がどのようなものか、想像したこともなかったが。少なくとも、耳鳴りが聞こえてくるなどと想像できるものであろうか。玲子は不思議な感覚に襲われていた。
――後から思えば、耳鳴りを想像できていたのかも知れない――
と感じた。何もかも後から考えれば、何とでも思えるもので、納得のいく答えを自分なりに模索しているからに他ならない。言い訳の類ではなかろうか。
広っぱではおのおのいろいろな話に花を咲かせているに違いないのだが、何を話しているのか分からない。聞こえてこないというべきか、独自に楽しんでいて、誰も周りを意識している様子がないのである。
それぞれに出発していくが、後で聞いてみると、皆他の班が気になってはいるのだが、誰も気にしている様子もないので、自分たちも気にすることがないという。玲子と同じ考えのようだった。
待ち合わせをして、ずっと待っている時に玲子はまわりを意識している。
誰かを待っているのか、数人が独立してそれぞれの場所で、自分の居場所を確保している。
いつも同じ人だというわけではないのだが、なぜか玲子が待っている場所は開いている。暗黙の了解であっても、それは同じ人が待ち合わせをしていてこそ成り立つというものである。
――ひょっとして、待ち合わせをしている空間は、私独自の世界なのかも知れないわ――
と突拍子もない発想が浮かんできたりする。
だからこそ、いつも待たされるのだ。しかも待たされる時間は決まっていて、その時間が玲子にとって、待ち合わせの場所での存在意義なのかも知れない。
同じ時間に誰かも同じ場所で人を待っているのかも知れない。待ち合わせの人は、その人が見えない。待っているはずの玲子しかその場所にいるのを見ることができないとすれば、どうだろう?
しかしそれにしては、相手も玲子がいないことへの疑問を持ち合わせてはいない。時間になっても玲子が来ないのであれば、苦言を呈しても不思議ではない。それとも、お互いに待っている時間、催眠術にでも掛かったかのように、待ち合わせを楽しんでいるのかも知れない。
相手は待たされたことへの不満よりも、会えたことへの喜びの方が強い人だとすれば、納得もいく。
「俺はおいしいものは後から食べる方だし、我慢してからの方が、喜びを感じたりする方なんだ」
と、玲子との会話の中で彼が口走ったこともあった。その時の玲子は、それが何を意味しているのか分からなかった。彼にしても、何かの含みを持たせて話しているようには思えない。ただ感じたことを口にしたに過ぎなかった。彼にはそういうところがあり、時々玲子は考えるところがあった。
待ち合わせに慣れてきた玲子にしても彼の意見は少し考えることで納得できた。釈然としないところはあったが、後から結びつけてみると、
――なるほど――
と感じるところが多い。それは彼の長所でもあった。
下手な言い訳をする人は嫌いである。玲子も言い訳をしないとは言えないが、下手な言い訳は醜いだけである。焦れば焦るほど、墓穴を掘ってしまう。それが言い訳というものではないだろうか。
待ち合わせの場所を雄作が間違えたことがあった。
知り合ってからすぐのことだったが、その時は玲子が待つことはなかった。
「ごめん、ごめん。約束の場所を間違えていたみたいだったけど、間に合ってよかったよ」
と話していた。
約束の場所を間違えた時は、玲子が待つことはなかった。普段三十分は待たされるのにである。
雄作が別の空間から現れるように思ったのは、それから後のことだった。
三十分も待たされて、精神的に余裕がなくなっているのではないかと思っていた頃である。だが、慣れてくると、却って精神的に余裕を感じ、まわりの光景を意識するようになっていた。ただ、意識していても、まるで幻を見ているかのようで、いつもと同じ光景のはずなのに、人の流れが違うだけで、空間の大きさが違って見えることがある。それも少々ではなく、かなり違って見えるのだ。
分刻みに違って見えるといってもいい。電車が到着して人がたくさん改札から流れ出ると、空間が狭まっている。ざわついているはずなのに、耳鳴りが聞こえてくるようだ。
人の群れがすぐに途絶えてしまう。一気に賑やかになった改札が一気に静かになる。
ざわつきを感じないのは、改札を抜ける人のほとんどが無表情であるからだ。
何も考えていないように見えるが、実は皆それぞれいろいろ考えていて、中には心ここにあらずの人もかなりいるだろう。そんな人の流れを見ていると、自分までが意識の外に弾き出されてしまうように思えてならない。
玲子には、待たされている三十分が快感になってきた。待っていることで、相手が現れた時の喜びは、それまでの時間を一気に短いものに変えてくれる。
――この感覚って、どこかで感じたような――
最初は分からなかったが、夢に似ているのではないだろうか。夢だという発想はすぐに生まれた、最初、分からなかったのがウソのようだ。分からなかった時間が、またしても夢のように短く感じられる。夢を考えると、それまで考えていたことがウソのように短く感じるのは、夢が夢たるゆえんである。
夢、それは起きてから考えると、実に短いもの、または儚いのも。
目が覚めていくにしたがって、一気に忘れていく。夢の世界でなくとも、玲子は最近物忘れが激しくなっていることを気にしていた。
夢を見ていると自分の中で納得できなかったものが、夢になって現れる。夢の中で納得したとは思えないが、夢を見ることで、何かの結論がそこで生まれたような気がして、目が覚めると、目からウロコが落ちていたということも珍しくない。
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次