短編集56(過去作品)
降りた駅はちょうど大きな駅で、乗降客も多いが、コンコースを出ると、モーニングサービスを出してくれる喫茶店があった。さすがサラリーマン、いろいろ知っているのだと思うと、少し頼もしく思えてきた。
「それはいけないね。といいながら、実は僕も朝食って久しぶりなんだ」
屈託のない笑顔が印象的だった。彼への頼もしいイメージが安心感になって現れていることで、彼も気持ちよく接してくれているのだろう。そう思うと、初めて会ったという意識はなく、
――前から知り合いだったような気がするわ――
と感じるのだった。
連れて行ってくれた喫茶店もなかなか垢抜けしているところで、
――この人慣れているのかしら――
とも思えたが、とりあえず素直に従ってみた。話せば話すほど教養に満ちていて、尊敬すべきところがある。女性が惹かれないのもおかしいだろう。
彼は、サラリーマン二年目で、一年目は必死で仕事を覚えていたので、彼女はおろか、友達もできなかったという。これではまずいと感じ、何とか友達を作ることはできたが、彼女まではなかなかできないのが現状だというのだ。自分のことをあからさまにしてしまう彼を見ていると、実際にはそれほど器用なことのできる人ではないということが見て取れる。
次第に玲子は彼に惹かれていった。
名前を柴田雄作というが、会社では、まだ営業の見習いのようだ。一年目は会社の仕事を覚えるだけで二年目からは、少しずつ現場の仕事に携わっていくようだった。
「ある意味、これからが大変じゃないんですか?」
「そうなんだよ。だから心の支えになる人がほしいとも思うんだよね」
普通は、女性が心の支えをほしがるものだと思っていたが、玲子は彼の話を聞いていて、
――それなら私が、その支えになってあげる――
と思ったのだが、どのあたりで感じたのか、自分でもよく分からなかった。
雄作は車を持っているが、待ち合わせはいつも駅だった。なぜか彼が駅にこだわったものあるが、玲子も別の場所での待ち合わせを想像できなかった。
駅で待ち合わせて、近くに止めてある彼の車に乗り込む。大きな駅なので、一人の女の子が駅の駐車場に止めてある車に乗り込むのを、いちいち気にしている人もいないだろう。待ち合わせをしている人が毎回同じでもない限り、意識されることもないと思っていた。
だが、駅というのは不思議なもの、同じような時間に駅の駐車場に止めてある車に乗り込む時、無意識にまわりを見渡すが、いつも同じような人が同じ場所に佇んでいるような気がしてならない。まるで、デジャブーでも見ているような不思議な感覚だった。
――意識しすぎなのかしら――
雄作に訊ねてみた。
「錯覚じゃないかも知れないよ。同じ電車に毎日乗っている人が駅に着いて、誰かの迎えを待っているのかも知れない。でも、そんな人ほど、毎日の同じ光景を意識などしているはずはないと思うけどね」
言われるとおりである。
いつも同じ人がいるからといって、意識していると思うのは少し性急な気がする。意識過剰になっているからであろうが、目が合ったこともあって、思わず頭を下げようとしてしまっている衝動にさえ駆られたこともある、必死でやめたが、相手はそのように思ったことだろう。
自分が人を待っている時のことを思い出していた。
待ち合わせの時間まではやたらと時間が長く感じ、待ち合わせの時間から過ぎること十五分程度は、五分刻みで、意識してしまう。そこから先は惰性になっていて、気が散っているくせに、まわりが見えていないことを分かっている。完全に意識の外になっているのだ。
惰性になっている時はともかく、人を待っている時は、まわりの人を意識していると思っている。それぞれ人の顔を見ながら、
――この人は誰を待っているんだろう――
などと意識を高めているが、意識を高めている人に限って、待ち合わせの相手が来たところを見ることはなかなかできなかった。
――いつの間にかいなくなっている――
と感じる。
それも不思議なことである。
意識しているはずなのに、ちょっと他の人に意識を移した瞬間、その人を意識できなくなってしまうようだ。
人を待っている空間というのは、それぞれ独立した空間なのかも知れない。自分が見ている光景であっても、その場にいる人皆が共有している世界に見えて、実は独立している。意識が他にいくのを無意識だと思っていたが、何かの力が働いて、意識を他の人に逸らしていると考えるのは、無謀なのだろうか。
まるで音のない世界を経験したことがあるだろうか。
玲子はざわついた待ち合わせの場所でそんなことを考えたことがある。
音を吸収してしまう空間の存在をなぜ待ち合わせの場所でイメージするかというのは、同じ空間にいながら、それぞれが独立した世界であるのではないかと思わせるに由来しているようだ。
中学の時に遠足で登った山を思い出した。
それほど高い山ではなかったが、急勾配があり、結構辛い山であった。
途中休憩しながらであったが、山の中腹にかなりの広さを感じさせる原っぱが広がっていた。
登山は、数人の班で形成されていて、玲子の班は、男性三名に、女性が二名の班だった。五名くらいがちょうどいいのかも知れない。あまり多いと、班長が大変だし、少なすぎると、一人で登るのもあまり変わらなくなるからだろう。
途中の原っぱで、ちょうど昼の休憩となり、お弁当を広げる班が多くなる。ただ、最初の出発地点で、班ごとに出発の時間を五分刻みで遅らせているので、山道で会う班はそれほど多くはない。
だが、それらの班が終結するように集まってくるのが、原っぱだったのだ。
玲子たちがついた時は、数えていないが、十組以上の班が、思い思いの場所を確保してお弁当を食べていた。
思い思いといっても、見ていると規則的な距離をしっかり保っているように思えた。原っぱの広さを十分に使って、あまりくっつきすぎないようにと、うまく場所を取っている。
楽しそうに会話をしているグループもあれば、静かにお弁当を食べているグループもある。
腹ごしらえをして、ゆっくりと佇んでいるグループもあれば、さっそく立ち上がって先を目指すグループもいる。そんなところへ現れたのが、これから休憩を取ろうとしている玲子のグループだった。
歩いてきて、最初に見た広っぱは、
――なんて広い場所なんだ――
というのが第一印象だった。他の人の表情を見ていると同じことを考えているのではないかと思えたが、まんざらウソでもないだろう。
しばし佇んでいるうちに、一つのグループが立ち上がって先を急いでいるのを見て、
「じゃあ、今度は俺たちが休憩する番だな」
と班長の男の子が言った。
その言葉を聞いて、まさしくそのとおりだと思った玲子だった。
自然でできた広っぱなので、道があるわけでもなく、整地されているわけでもない。それでも不思議なことにところどころ、道のようなものができていて、段差もできている。ちょうどそこを椅子代わりに使えば、座る場所を探すのに苦労することはなかった。
――なるほど――
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次