忘却の箱
山の少女
高校の時、私はワンゲル部だった。
私自身は晴れ女で、どこへ行くにも当日は晴れ。大嫌いな運動会が雨で延期になったりすることがないくらい。
これは、二年生のときに初めて夏合宿で北アルプスに行った時のこと。
二年の一学期に先輩が二人とも不祥事で退部になって、私が部長になっていた。部員は私と一年生の二人だけ。顧問は二人から五人に増えて、誰のための部活なんだかわからない状態だった。その先生が凄い雨男のようで、合宿以外にも予定していた登山計画が流れてしまっていた。
初めての北アルプス。近場の山なら、かつて父親に連れられてよく登ったけど、3千メートル級の山なんて初めてだったから、わくわくし通しだった。
富山側から電車とバスを乗り継いで有峰の登山口へ、そこから雲の平、槍ヶ岳を通って、岐阜県の新穂高温泉へ降りる計画だった。
初めての高山。天気は上々。一人20キロ以上の荷物も苦にならなかった。
途中のピークで休憩したとき、初老のグループも一緒だった。
みんな、谷向うの山に向かって「ヤッホー!」とか「おーい!」って叫んでいた。顧問の何人かも同じようにやって、私にもやれって言われたけど、私は恥ずかしくてできなかった。だって、普通にカラオケも歌えないんだから。
そんな中、ひとりのおばさん、たぶん五十代くらいだと思うけど、すごく控えめに「やっほー……」って言ってた。
「そんな小さい声で届くわけない」
と、同グループのおじさんが笑う。
「やっほー」
さっきよりは、少し大きな声で。
「もっと」
「やっほー!」
目を閉じ、両手を口に当てて声に出すおばさん。言ってしまってから、もの凄く恥ずかしそうに顔を伏せてた。
でも、私は見た。
最後の「やっほー!」のとき、その一瞬だけ、彼女は表情も何もかも少女に戻っていたのを。