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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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忘却の箱

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笑顔


 幼稚園のとき、言葉をしゃべれない女の子がいた。
 いつも|涎《よだれ》を垂らし、あーあーと言っているだけの子だった。
 すぐに癇癪を起こし物を投げつけたりするから、その子はいつも道具棚の上に座らされていた。
 そこからいつも、その子はみんなが遊ぶのを見ていた。
 私も最初ただの興味本位だったのかも知れないけど、その子におもちゃを渡したりした。やっぱり投げつけられた記憶が確かにある。
 でも、どういうわけか、時々その子は下に降りていた。
 幼稚園時代の記憶など曖昧なもので、勝手に降りていたような、一緒に遊ぼうとして私か他の誰かが降ろしたのかは分からない。
 私は絵を描くのが好きで、友達が他の子たちと遊んでいる時は、一人で絵を描いていた。
 海とか山とか、船。子どもが簡単に思いつくようなものだったはずだ。
 いつから、どうやってそうなったのかは定かではないけど、絵を描く私の横にはいつもその子がいた。
 年長になってから、ということしか覚えていないけど。
 その子は、いつの間にか私の横にいた。
 私が絵を描くのを、座って黙って見ていた。
 たまに目が合うと、笑ってくれた。
 これだけは、はっきりと覚えている。
 私がモーターボートの絵を描いていて、その時も彼女はじっとそれを見ていた。
 そして、私が描くものを指さして、あーと言った。
 私は、海、お船、空と言った。
 その子は、その絵をすごく気に入っていたのだと思う。
 私はその絵をあげた。
 すると、その子はそれまで見たどの時よりも嬉しそうにしていた。
 私が絵を描いている時、その子は邪魔もせずに、見ていてくれた。
 でも、たまに先生に見つかって棚の上に戻されたりした。
 何もしないよって、先生に抗議したのは憶えてる。
 聞いてもらえずに、無理やり連れて行かれるその子の様子が記憶にある。
 みんなその子が嫌いだった。涎でべとついた手で触ってくるし、すぐに物を投げるから。
 私は、嫌いじゃなかったよ。
 好き、とか言うのじゃなく、友達だと思っていたのは確か。

 小学校の入学式の時、その子はいなかった。
 私は、その子の名前を思い出せない。
 でも、その子の見せた笑顔、あの最高に嬉しそうな顔は、今でも思い出せる。

作品名:忘却の箱 作家名:泉絵師 遙夏