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天空の庭はいつも晴れている 第12章 地上の庭

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「じゃあ、二十年後の私を」

 しかし、現れたのはトリスタンと薔薇園の女性だった。トリスタンは物憂げな顔をして、隣に座る彼女の膝に頭を乗せている。
「かわいくない子なんだ」
「どんなふうにです?」
「笑わないし、いつも機嫌が悪い。皮肉ばかり言うし、怒って侍女に花瓶や壺を投げるつける。召使はみんな嫌がっている。」
「注意はなさらないのですか?」
「誰が? もしかして私が?」
「もしかしてではなく、貴方に決まってます。だって父親なのですから。他は皆使用人でしょう? 使用人が主人の娘に注意するのはどうかしら? なかなかできないのではありませんか?」
「父親という実感が全然ないんだが……」
「まあ。それじゃ、エデフィルに対してはどうですか? やっぱり父親という実感がないのかしら?」
 トリスタンは気まずそうな顔をする。
「こんなこと言うと君は怒るかもしれないが……」
「何ですか?」
「父親という実感が、なんというか……あまりない。もちろん、エデフィルが生まれたのはうれしい。ただ、十月の間、お腹の中で育てた君とは同じに感じられない」
「残念ね、男は身籠ることができなくて」
 夫人は余裕で微笑っている。
「まして養子。それも、ある日訪れた商人の口から聞いて、トントン拍子に話が進み、あっという間にカームニルだ。初対面の少女に『初めまして、突然ですが、跡継ぎになってもらえませんか』って言わなきゃならないんだ。彼女も戸惑っているだろうけど、私だって戸惑っているんだ!」
「そうね。でも、それならそれで、ちゃんと仰ればいいのです。今は戸惑っているけど、跡継ぎとしてじゃなく、自分の子として大切に思えるようにしていきたい、と。それを伝えないから、その子も不安になるのではありませんか? あなたを頼りにしていいのか、それとも単に跡継ぎとしてしか求められていないのか」
 トリスタンは黙って聞いている。
「大人がすべきことは、子供を自分よりちょっとだけ、ましな人間に仕立てること。祖母がよく言ってました」
「……」
「血のつながりなんて、親子であるために絶対必要というわけではないと思います。相手を思いやる気持ちさえあればいいのでは? それさえあれば、どんな子であろうと、きっと伝わります」

「これ、私じゃないよ」
 ルシャデールは、灯台守に苦情を申し立てていた。
「ちょっと人間が違っていたようだ。しかし、あの男が二十年後のおまえさんの姿だよ」
 灯台守はそう答えた。
 憤然としている彼女を横目に、アニスは別のことを考えていた。
(今のトリスタン様が二十年後のルシャデールだとしたら、あの女の人みたいになだめたり、叱ったりするのは誰がするんだろう。誰だかわからないけど、同情しちゃうな。絶対、ルシャデールの方が御前様より手に負えないに決まってる)

 外に出ると、楽師が手を振っていた。
「お茶にしようー!」
 テーブルの上にはお茶の用意がされている。船頭のヴィセトワやリシャルもいる。
 お砂糖を三ついれた甘く熱いお茶を飲んでいると、クホーンがアニスを見つめていた。
「もう、大丈夫です。」
悲しくないわけではないが、夜明けのような清々しさが彼の胸に生まれていた。クホーンは黙ってうなずいた。
 ふいに、楽師が立ち上がった。灯台のむこうから誰かが歩いてくる。抜き身の剣を肩に担い、頭には矢が刺さったまま。まるで戦いの女神といったなりだ。
ラフィアムは手の茶碗も置かずに走り寄って行く、
「おかえり」彼は頭の矢を抜いてやった。
「ただいま」答えた彼女はラフィアムの手から茶碗をとり、一息に飲んだ。笑みを交し合って後、二人はテーブルの方へ来る。
「ここにそのような刃物を持ち込むでない」
 クホーンが眉をひそめる。
「ああそうだったね」剣は吾亦紅《われもこう》の花束に変わり、テーブルに飾られた。「おや、お客人かい? まだ生きている人たちだね」
「彼らは冥界めぐりをしてきたんだ」ラフィアムは二人の方を向き、「彼女は今、死んできたとこなんだ」と教えてくれた。
 頭に刺さっていた矢を見なかったら、そんな風には見えなかっただろう。不作法かもしれないと思ったが、アニスは知りたかったことの一つを聞いてみる。
「死ぬのって……どういう気分ですか」
「直前はいつも怖いね。だけど、ある点を過ぎると、すべて許されて、ただ愛されているような幸福な気持ちになる。あたしは剣とか矢で殺されるのが多いけど、病気でもやっぱり怖いかもだろうね。ベッドに寝たまま、じっと死を待っているなんて、あたしは嫌だな。でも、次が始まるときはワクワクするよ」
「それは生まれ変わる時のことですか?」
「そう。あたしはこの人みたいに」と、彼女は握った手に立てた親指でラフィアムを指す。「こっちにじっとしているなんてできない。生まれ変わりの瞬間はいいもんだよ。すべてが希望に満ちている」
「カデリに生まれて生きる。そのこと自体が冒険なのに、彼女はさらに危険やぞくぞくする緊張感を求めてしまうんだ。おかしな趣味だと僕はいつも思うよ」ラフィアムはあきれたようにシヴァリエルスを見る。
 聞き覚えのある歌声が聞こえた。高く澄んだ音色。風を切るような濃い空色の羽がラフィアムの肩におさまる。
「頻伽鳥《びんがちょう》だ」ルシャデールが声をあげた。「向こうでは夜しか現れないって聞いたけど、ここは昼でも鳴いているんだ」
 するとクホーンが答えた。
「頻伽鳥がなぜ夜しか現れないか、それは頻伽鳥が親を亡くした子供のために歌うからだよ。昼の間は生きるため身を粉にして働き、夜は親を恋しがって泣く。そんな子たちに伝えようとするのだよ」
「何を伝えるの?」ルシャデールはたずねた。アビュー家の庭でアニスと頻伽鳥の歌を聞いた晩のことを思い出す。
「わが子を置いてきてしまった親たちの想いだよ。ずっとおまえを見守っているよ、とね。たとえ」クホーンはルシャデールの方を見て言った。「他の何かに囚われてしまっていたとしても、心のずっと奥深くではそう思っている」
 ラフィアムが頻伽鳥のメロディに合わせて歌いだす。

「夏に至る祝祭の日
 陽炎たつ道のむこう
 青野原に風は渡っていく
 野イチゴの実が色づく
 今年最初の牧草を刈ろう
 麦わら帽子を忘れないで
 蛙が沢でゲコゲコ鳴くよ
 ほら、一緒に歌おう
 花が一つ咲き、散っていく
 最上の夏の午後
 今この一瞬は永遠
 花はまた一つ咲こうとしている」

 今この一瞬は永遠。アニスは胸の中で繰り返す。大人になっても、きっと僕はこの時を忘れないだろうな。忘れられない時というのはいっぱいあるけど、これもきっとその一つだ。思い出しさえすれば、きっとこの時に立ち返る。
 頻伽鳥が『庭』を目指して飛び立った。
 元の世界へ戻る時が来ていた。


 ドルメテ祭が終わって二週間ほどが過ぎた。二人とも以前と同じ生活が続いている。
 ルシャデールとトリスタンとの関係は前とあまり変わっていない。出て行く理由もなかった。
「午後から木を植えよう」
 昼食の時にトリスタンが言いだした。
「木?」
「ザムルーズ、って言ったかな。誕生の木だよ」
 思いがけないことで、ルシャデールは何と言っていいやらわからず黙ったままだった。