不可能ではない絶対的なこと
「だって、お父さんの気持ちを考えると、聞くのが可愛そうに思えたのよ・明日美にはそんな感情になったことはない?」
という舞香に対して、
「私も確かに、相手の気持ちを察して聞かないということもあったけどね」
と明日美は言ったが、
――私が舞香の立場だったら、どうだったんだろう?
もちろん、父親がどんな人で、舞香がどんな状況で育ってきたのかを知らないので、一概に言えるわけもない。
しかし、普通に考えると、
――やはり聞かないということはないんじゃないかな?
と考えると、舞香という女性が、子供の頃は臆病だったのではないかと思えてきた。
「明日美なら分かってくれそうな気がするわ」
と舞香は言ったが、明日美の中で、
――舞香が言うんだから、その通りかも知れないわね――
と感じた。
舞香と仲良くなってから、今まで自分が人のことを信用しないタイプであるということにいまさらながら思い知らされた。
特に小学生の頃までは、人の言うことを信じないというよりも、自分が納得できないことは何であっても信用しなかった。その最たる例が、
「どうして勉強しなければいけないのか」
ということだった。
実際に先生に聞いたこともあった。その先生は女性の先生だった。
先生は、
「それはそうでしょう? 一般的な常識を会得して、人としてまわりの人とつつがなく生活していくために最低の知識を身に着ける必要があるからよ」
と言った。
当たり飴のことを当たり前にしか言っていない明日美としては、
「そんな当たり前の返事を聞きたいんじゃないの」
と答えた。
先生は困惑して、
「だって、人は一人では生きていけないのよ。まわりと協調しながら生きていかなければいけない。そのために必要な勉強なのよ」
と、少し興奮気味に話していた。
その様子を見ながら、
――先生も確かな答えを持っているわけではなくて、それでも説得しなければいけないから必死になっているんだわ。最初の一言で私が納得してくれるとでも思ったのかしら?
と感じた。
他の人なら、先生の最初の一言で引き下がったかも知れない。先生が何も答えてくれなければ先生や勉強に対して、本当に疑問が残るのだが、答えてくれたのだから、とりあえずは納得するのだろう。
明日美にしても、元々自分に納得するような答えを期待しているわけではない。それでも当たり前のことを当然のごとく答えた回答はないだろうと思ったのだ。同じ回答でももう少し表現が違えば納得したかも知れないが、明日美には納得のいくものではなかった。
「島崎さんは、どう思っているの?」
と、先生は聞いてきた。
「分からないから聞いているんじゃない。でも先生の話にある『人は一人では生きていけない』という言葉、分からなくはないんだけど、それを強調されるのは私としては納得がいかない。まるで勉強のための言い訳にしか聞こえなかった」
と明日美がいうと、
「言い訳にしか聞こえなかったのね。言われてみれば、言い訳に聞こえるかも知れないわね。正直、先生もさっき答えたような答え以外には思いつかないの。先生も完全に納得している回答ではないと思うので、あなたを納得させるなんてできるわけはないわね」
と、まるで開き直ったかのように先生は答えた。
今度は明日美が納得した。
「ごめんなさい、先生。先生を追い詰めるつもりはないのよ。そう答えてくれて私にはよかったと思っているわ」
明日美は納得したわけではないが、先生の回答で一応の解決を自分の中でできた気がした。
――私は納得できないことは信じないけど、自分が納得するということには、たくさんのパターンが存在しているのかも知れないわね――
と考えた。
その時の先生との会話を思い出していると、舞香の言葉も何かのきっかけで納得のいくことになるのではないかと思えた。
「理解することと納得すること」
この二つを、明日美は考えていた。
――理解することができるから納得するのよね。これが本当の流れなんだろうけど、私の中には、理解を通り越して納得できることも存在しているのかも知れないわ――
と、先生との会話を思い出しながら考えた。
――じゃあ、先に納得してしまったことを、あとから理解することになるというのだろうか?
明日美は先生との会話を思い出していた。
あの時の先生の話は完全に言い訳だったように思う。何しろ開き直りに近く、興奮気味に語っていたのは、考えてみれば逆切れだったのかも知れない。そう思うと、明日美に理解できるはずもないだろう。いつまで経っても交わることのない平行線に感じられたが、先生の言葉を納得したということは、その時点で理解していたと言えるのではないかと感じた。
つまりは、先に理解して、あとから納得するというのは正規の流れで、直に納得すると感じている時というのは、本当はその裏で同時に理解しているという流れが存在しているのだろう。その時に納得という印象が強すぎて、理解が裏に回ってしまうことで、理解していないという考えが自分の中に残ってしまう。だから、永遠に理解できないことが自分の中ではあるのだと思い込んでしまうことがあると考えている。
考えてみれば、今までの自分の中に、そんな思いがあったと思うことが幾度かあった。それをいちいち覚えていないが、直に納得したという事実を思い出すたびに、理解について考えてみれば、容易に同時に理解していたということを感じることができるのではないかと思うのだった。
今、こうやって舞香の話を聞いていると、納得した気分になっているということは、自分なりに理解もしているのだろうと思った。だが、リアルタイムでそのことを感じるのは初めてなので、どうにも理解できているという感覚に結びつかない。
――後で思い出さなければダメなのかしら?
と思ったが、本当にそうであろうか?
「舞香のお父さんは、舞香に対しては優しかったの?」
と明日美が聞くと、
「ええ、優しかったと思うわ。私が母親がいないことで悲しい思いをしないようにと考えてくれていたことも分かっているつもりだったし」
と舞香は答えた。
「舞香はお母さんのことを覚えていないの?」
「ええ、私がまだ赤ん坊の時に亡くなったって聞いたわ」
「病気で?」
「いいえ、交通事故だって聞いたわ。でも仏壇がないのがおかしいと思ったのは、結構まだ小さかった頃からだったような気がするのよ」
「今はその理由は分かっているの?」
「ええ分かっているわ」
と、舞香は少し戸惑いを見せた。
「どうしてなの?」
その戸惑いのためか、明日美も一拍置いてから話を聞いた。
その聞き方が舞香を警戒させたかも知れないとも感じたが、気のせいであってほしいと思った。
「実は、お父さんとお母さんが結婚した時、お母さんの親の方は大反対だったらしいの。それで結婚するのに、お母さんは駆け落ち同然だったらしいの」
「そんな事情があったのね」
作品名:不可能ではない絶対的なこと 作家名:森本晃次