不可能ではない絶対的なこと
舞香の方は、逆に明日美のことを意識していたようだ。声を掛けようという意識はあったようだが、何をどう声を掛けていいのか分からなかったというのが本音だったようだ。
その様子を分かっている本屋の店員もいて、その人は女性だったのだが、二人を見ていて、
――青春だわ――
と感じていた。
静寂の中での本屋で、何も語ることもなく、かたや意識をしていて、かたやまったく意識をしていない二人がニアミスを繰り返している、そんな状況に青春も何もないと思われるが、店員はなぜかそう感じていた。
やっと二人が声を掛けあったのを見た時、
――この二人は、結構相性の合う二人なんじゃないかしら?
と感じたようで、見ていて安心感のようなものがこみ上げてきた。
彼女は彼女なりにいろいろ考えているようだが。まわりからは天然と思われていて、そんな彼女の本質を分かる人がいれば、本当の親友になれるのではないかと思うのは、だいぶ後になってからであるが、舞香が感じたことだった。
舞香は、いつも誰かのことを意識している。それは明日美を意識したことで自覚したのだったが、本屋の店員を意識しているという感覚は、すぐには分からなかった。本屋の店員があまりにも天然に見えて、意識すること自体、
――まるでウソではないか――
と相手に感じさせる雰囲気を、本屋の店員は秘めているようだ。
それが彼女の長所なのか短所なのか分からなかったが、
「長所と短所は紙一重」
という言葉と、
「短所は長所と背中合わせ」
という二つの言葉を知っていたことで、どちらでもいいように思えた。
紙一重と背中合わせという言葉、矛盾しているかのように思うのだが、本当に矛盾しているのだろうか?
他の人が気にしないようなことを、舞香は気にするタイプだった。このことも矛盾だと感じたとしても、他の人はすぐに、
「どうでもいいこと」
としてスルーしてしまうだろう。
だから逆に長所と短所はれっきとした違うもので、相反するものであるという一般的な考え方から脱却できないでいた。
しかし、舞香は疑問に感じたらそのことを考え抜くくせがあった。そこに結論を求めなくても、自分なりに納得できる何かを見つけることができれば、それは結論よりも自分のためになることで一つの答えを見つけられたという満足感を与えられたに違いない。
舞香は長所と短所のことについて考えることで、自分の性格の一辺を垣間見たような気がした。
――私は中途半端な考えが一番嫌いなんだわ――
という思いだった。
最終的な結論を見なくても、自分を納得させられるだけでいいというところは舞香にとっての、
――中途半端――
ではない。
中途半端というのは、面倒くさいと感じたり、理解できないと最初から思い込んでしまってすぐに諦めてしまうことだった。最初のきっかけから中途半端で終わるかどうかが決まるというのが、舞香の考え方だった。
そんな舞香が、本屋の店員を意識し始めたのは、明日美を意識するよりも前のことだった。
――もし、舞香が店員を意識していなければ、明日美と出会うこともなかったであろうに――
と舞香は考えていた。
なぜなら、舞香はこの本屋はたまにしか来たことがなく、別に毎日くる必要もなかったのだ。
確かに明日美を意識するようになって毎日来るようになったと自分でも感じていたが、実際には店員を意識していたからだということにすぐには気付かなかった。
そのことを気付かせないほどに店員は天然な性格だったのだ。
もし明日美という存在がなければ、舞香ももう少し早く店員を意識したかも知れないが、明日美の印象が、店員の気配はおろか、舞香が意識した感覚すらを打ち消そうとしていたのだ。
だが、一度感じたことをそう簡単に打ち消すことはできない。
いや、明日美を意識するようになってから、舞香にとって店員を意識していたことが無意識ではあるが、自分の中で大きくなっていた。そこにあるのはお互いの平衡感覚で、舞香を中心とした二人の平衡バランスだったのだ。それは天秤のようなものであり、一定した平衡感覚ではない。絶えずゆらゆらしていて、それが平衡感覚を保っているのだ。
明日美は、
――舞香が意識をしているのは自分だけだ――
という意識をずっと持っていた。
明日美の中には、一人の人を意識すると、他の人を意識するということができない性格だった。そのことに気付いたのは、つい最近のことであり、それを思うと、
――中学時代に、輪の中心になれなかったのは、この性格のせいだったのかも知れないわね――
と感じた。
そう思うと、輪の中心になりたいなどという大それたことを考えた自分が恥ずかしくなったのと同時に、輪の中心にいた人が自分にはない才能を持っていたのだと考えると、羨ましくも思えてきた。
だが、自分にできないことをいつまでも追いかけるところのない明日美は、ある意味潔い性格だとも言えるだろう。
――これが私の性格なんだ――
と何度感じたことか、明日美は一歩一歩そして確実に自分の性格を感じているように思っている。
それに比べて舞香の場合は、
――本当は分かっているはずのことを、あとから確認するかのような性格なので、冷静に見えるのではないか――
と明日美は考えるようになった。
これは明日美にとっての成長であるが、実は明日美にとって持って生まれた性格でもあったのだ。
舞香のよからぬウワサを聞いたのは、本当に偶然のことだった。短大の友達に舞香と同じ学校を卒業した人がいて、明日美が舞香と友達だということを知らず、ただの世間話として話した時のことだった。
まず、舞香は高校を卒業していない。中退だったのだ。学校での成績はそれほど悪くはなかったのだが、急に三年生の途中から学校に来なくなった。学校の先生が訊ねると、
「私、中退します」
と言ったそうだ。
あと少しで卒業だちという時期だったので、
「もう少しで卒業なのに」
と残念そうに語った。
だが、本人が中退したいと言い出したのだから、その決意が固いともなると、いくら教師でも止めることはできない。
舞香は学校では友達が少なかった。誰かとつるむことが大嫌いな舞香と、誘う人もいなかった。
「私は一人がいいの」
と言われてしまっては、誰も何も言えなくなることだろう。
明日美には、
――舞香の気持ちが分かる人なんて、なかなかいないわよね――
と感じていた。
自分も舞香の本当の気持ちまでは分からない。話をしていて相手の考えていることが分からないということが分かるだけだ。本当なら一緒にいることのないはずの相手と一緒にいる時間を持つことができるというのは、いいことなのか悪いことなのか、よく分からなかった。
それから少しして、舞香が自分の身の上について話してくれた。
「私ね。中退したことを親に話してなかったのよ」
と舞香が言い出した。
「えっ? そんな大切なことを?」
「ええ、私の家には母親はいないの。お母さんは亡くなったって聞いたんだけど、なぜか家に仏壇はないの。敢えてそのことをお父さんに聞いてみようとは思わなかったんだけどね」
「どうして聞かないの?」
作品名:不可能ではない絶対的なこと 作家名:森本晃次