不可能ではない絶対的なこと
「それは、時系列的に前後して覚えているのも原因かも知れないわ。どれが最初だったのかすら分からないほど、自分の中で混乱していたのだとすれば、私にとって消してしまいたいほどの過去になるまでに紆余曲折がいくつもあったのかも知れないと、今では思っているのよ」
明日美は、もっともらしく答えたが、実はその時、舞香との会話で思いついたことだった。
舞香と話をしていると、それまで気付かなかったことを思い出させる。そんな存在の舞香を明日美は、
――親友だ――
と感じるようになったのだろう。
「私ね。歴史の本を読んでいる時が一番落ち着くの」
と舞香は言った。
「私は歴史は好きなんだけど、あまり本を読んだことはなかったわね」
基本的にはフィクションが好きな明日美は、歴史の本を読むのはあまり好きではなかった。
本屋に行けば、歴史の本はたくさんある。時代を中心にした本もあれば、歴史上の人物に焦点を当てた話もあった。そのほとんどはノンフィクションである。学校の歴史では習わないような興味深い話があるということなのだが、どうもノンフィクションと聞いただけで敬遠してしまう明日美は、自分がどうして歴史が好きなのか、不思議だった。
「明日美はノンフィクションが嫌いだって言ってたけど、史実とは少し違ったフィクションを描いた小説もあったりするんだけど、そっちには興味ないの?」
と舞香に聞かれて、
「知ってはいるんだけど、読む気にはなれないの。史実を曲げてまで話を作っているというところが私的には許せないところなのよね」
というと、舞香は、
――やれやれ――
という表情になった。
「変わっていると思うんだけど、好きな学問を愚弄しているかのように思う小説は、許せないと思うのは当然のことよね」
と明日美が言うと、
「じゃあ、ノンフィクションを騙されたつもりで読んでみるというのも一つなんじゃないかって思うんだけど、それも嫌なの?」
と舞香に言われて、
「そんなことはないんだけど……」
と、煮え切らない様子だった。
「じゃあ、私が読んだ本を貸してあげるから、読んでみればいい。面白くないと思えば、翌日にでも返してくれればいいのよ」
と言って、舞香は翌日自分が読んだ本を持ってきてくれた。
時代的には飛鳥時代から奈良時代に向かってのもので、明日美にとってはあまり興味のある時代ではなかったが、
――舞香が薦めるのだから――
と、本当に騙されたつもりで見てみることにした、
その日、舞香と別れてすぐに帰宅した明日美は、夕食や入浴を早々と済ませて、自室に入った。布団に横になって、眠ってもいい体勢にすることでリラックスして読もうという気持ちの表れだった。
さすがに興味のある時代ではないので、読み始めはよく分からないというのが本音だった。
それだけに読み進むには自分の中で気分をリラックスさせなければいけないと思った時点で、横になって本を読む体勢に最初から持っていけていたのは、自分の中でのファインプレーだと思った。
もし、少しでもリラックスして見ることができなければ、いくら舞香に薦められたとはいえ、早い段階で挫折していたのは間違いないだろう。
明日美が興味を持っている時代は、平安末期から鎌倉初期、あるいは戦国時代関係と言った、歴史好きにはいわゆるミーハーと呼ばれる時代だった。それ以外の時代にはどうにも興味を持つことができず、歴史が好きだというのも一部の人に公言しているだけで、ほとんどの人は知らないに違いない。
明日美は本当はミーハーは好きではなかった。中学高校時代など、アイドルにうつつをぬかしている連中を横目に、
――私はあんな連中とは違うんだ――
と思っていた。
あくまでも他の人とは違うということを自他ともに認めるような自分でなければ嫌だと思っていた。その最たる例が、
――自分はミーハーではない――
という思いからだった。
歴史が好きになったのも、
――歴史を好きな女の子は少ない――
という思いもあったからだが、まさかその少し後に歴史ブームが起こって、「歴女」と言われるような歴史好きの女性が話題になるなど思ってもみなかった。
しかも、自分が好きな時代は、歴史好きの人ならだれでも興味を持つような時代だったことで、自分が歴史好きだなどというのが恥ずかしい気分になっていたこともあって、まわりにあまり言わなかったのだった。
明日美が一人で行動するようになったのも、歴史が好きになってからだった。それまでは友達と行動することが多かったが、ある日気づいたのだ。
――このまま友達とずっといても、自分が目立つことなんかないんだ――
意識していないつもりだったが、明日美は友達と一緒にいる時、いつかは自分が輪の中心に立つことを願っているということを意識するようになっていた。
だが、いくら待ってもそんな機会が訪れることはなかった。なぜなら輪の中心に行くには、それなりの技量と何よりも器量が必要だったのだ。
技量は努力で何とかなることもあるだろうが、器量に関しては持って生まれたものであり、自分の中にないと判断すれば、永遠に輪の中心になんかなれるわけはないのだ。
それを世間では、
――限界――
というのだろう。
明日美は早い段階でその限界に気付いてよかったと思った。そう思って自分を顧みると、輪の中心になろうと思っていた自分が可笑しくなってきた。冷静な目で一歩下がって集団を見ると、自分以外の人も皆、虎視眈々と輪の中心になりたいと狙っていたのだ。
どれだけ自分だけしか見ていなかったのかということを思い知らされた。そして、いまだに集団に属していて、しがみついている人たちが可愛そうに思えてきたのだ。
明日美は、その頃からミーハーが嫌いになり、人のやらないことに興味を持つようになった。それが歴史であったのだ。
明日美は、そこで壁にぶつかった。それが、
―ーノンフィクションは嫌だ――
という思いと、
――同じフィクションでも、歴史に関してのフィクションはもっと嫌だ――
という思いの間で渦巻いている自分の中のジレンマだった。
それを解消させようと思い、明日美は時間があれば本屋に赴いていた。毎日のように通って、本の背を眺めていたところで、何が解決するというのか、明日美には理解できない自分を感じていた。
そんな時に知り合ったのが舞香だった。
明日美は舞香に自分と同じ匂いを感じた。最初こそ舞香の目は他の人が見る明日美への視線のように、警戒心に満ちているかのように感じたのだが、実際には違っていた。
明日美はそれまで気付かなかったのだが、いつも行く本屋で今までにも何度か舞香とニアミスを繰り返していた。本棚を挟んでまったく同じ棚を見ていたり、背中合わせに同じ場所にいたりしたのだが、それだけ明日美はまわりを意識していなかったのだ。
だからと言って、本棚に集中していたからだというわけではない。逆にまったく集中していなかった。何かをいつも考えている明日美は、本の背を眺めながら、いつも何か余計なことを考えていたのだ。だからこそ集中できていない自分がまわりのことに気付くはずもない。それは本屋に限らず、いつものことであった。
作品名:不可能ではない絶対的なこと 作家名:森本晃次