不可能ではない絶対的なこと
「他のジャンル、ミステリーだったりサスペンス小説だったらそれでもいいと思うのよ。でも歴史小説に限っては、私は許せない気がするのよね。だって、歴史小説というのは、小説を読む人の中で考えられている常識があるでしょう? 時代背景をある程度分かって読んでいる人が多い。だから常識が分かった人が読んでいるという時点で、ノンフィクション色が強いのよ。それをいかに興味をそそるかのように、エンターテイメントを織り交ぜるかになるんでしょうけど、そうなると、作者はまず読者の興味について考えてしまうように思うのよ。私はその考えが分かる気がするので、その時点で作者が自分にジレンマを感じてしまっていると思ってしまうの。だから、そんな状態で面白い小説を書くことはできないと感じるのよ」
と言った。
それを聞いて明日美は、これ以上舞香に質問する気は起きなかった。明日美は歴史小説という意味でのフィクションについて舞香がどのように考えているのか分かった気がしたからだ。
――舞香にも私と同じように、小説に関して自分だけのタブーを持っているんだわ――
と明日美は感じた。
明日美は舞香との出会いを思い出していた。
背表紙を見ながら同じように蟹歩きをしていた二人だったが、明日美の方は舞香のことを意識していたが、どうやら舞香の方は明日美を意識していないようだった。後になってその時のことを聞いてみたが、やはり、
「うん、私は意識していなかったわ」
と平然と言っていた。
「どうして?」
と聞くと、
「私は集中していると、まわりが見えなくなることが多いので、他の人がそばにいてもあまり意識しないようにしているのよ」
と言っていた。
明日美には不思議だった。
明日美はそばに誰かがいると意識しないわけにはいかない性格だった。特に同じような行動をしている人がいると、その人の心境を探ってみたくなる。本の背を眺めていたはずなのに、頭の中では違うことを考えている。目だけは本の背を追いかけていて、頭の中では違う発想になっている時の明日美は、自分がどこにいるのか分からなくなったり、時間の感覚がマヒしてしまうことが往々にしてあった。だからこそ、相手を意識するようにしていた。
相手を意識することで自分が自分でいられると思っていたのだ。
明日美は子供の頃から、何かをしながら他のことをしていることが多かった。テレビを見ながら勉強をしたり、本を読みながら食事をしたちである。
明日美の両親はそんな明日美のことが気になっていた。
「明日美ちゃん、ごはんを食べる時は、本を読むのをよしなさい」
と言われていた。
「はい」
とは答えるものの、空返事であることは明白だった。
両親もそのことを看過して、思わずため息をついていた。そのため息が明日美は嫌で、
――なんで、そこでため息をつくのよ――
と思っていた。
ため息を諦めと考えていたのだ。自分の両親は説教をしながら、簡単に諦めてしまっている。
――簡単に諦めるくらいなら、説教なんてしなければいいのに。中途半端がわざとらしいのよ――
と思っていた。
だが、明日美は大人になるにつれて、自分もいろいろなことを簡単に諦めるようになっていることに気付いた。その感覚がどこから来るのか分からなかったが、少なくとも両親からの遺伝であることだけは分かっていた。理由が分からないのだから、
――しょせん遺伝から来ているんだ――
という結論に至るのも当たり前のことだった。
だが、中学三年生になる頃までに、どうして自分がそんなに簡単に諦めるようになったのか分かるような気がしていた。
明日美は自意識過剰だということには、結構早い段階から気付いていた。小学生の頃から分かっていたような気がする。自意識過剰ということは、他人の意見を受け入れることをしない性格を作り出していた。それも早い段階で自分が自意識過剰だと分かったからだと思っている。
しかも自分が自意識過剰だと気付いた時に最初に感じたのじゃ、両親のことだった。両親もそれぞれに自意識過剰なところがある。家族で仲良くしているようにまわりからは見られているようだが、家に帰れば、ほとんど誰も話をしようとしない。表ではいい顔をしているくせに、家に帰れば自分中心の家庭だった。
それなのに、自分の娘には、まわりに協調することを望んでいるように見えた。短大に入る頃には分かる気がしたが、その理由は、
「自分の娘には、自分たちにない協調性を持ってほしい」
と望んでいるのだ。
普通に考えれば、
「親としては当然のこと」
と言えるのかも知れないが、早い段階で、諦めが早い両親の特徴を見抜いてしまった明日美にとって親のその考え方は、
「自分勝手も甚だしい」
としか思えなかったのだ。
お互いに声に出さないからイライラする。ここで敢えて言葉表現で書いたのは、そんな明日美の思いがあったからだ。
明日美が簡単に諦めるようになったのも、早い段階で両親の考えを看過したからだと思っている。
――知らぬが仏――
という言葉があるが、まさにその通り、下手に知ってしまうと、意識してしまうのも仕方のないことで、それがまだ自分というものを確立させることのできない子供であれば、どちらに寄るのか分からない状態であって、諦めが早い方に寄ってしまったのも仕方のないことだろう。
それが子供の頃に親を見て気付いたからなのか、それとも生まれ持っての性格からなのか分からないが、どちらにしてもその元凶が親にあることは明白である。そう思うと明日美は自分の運命すら、諦めてしまうようになるのではないかと思うようになっていた。
学校では友達は少ない方ではないと思っていたが、親友と呼べる人は一人もいなかった。明日美は成長するにしたがって、親友と呼ばれる人を作るのが困難になるということを分かっていた。
――高校時代までに作ることができなければ、きっと一生親友なんてできないに違いないわ――
と考えていたが、そこに根拠があるわけではない。
あくまでも明日美の勝手な思い込みに過ぎないが、親友というものがどういう人なのかという本質的なことが分かっていなかったので、漠然とだが、そう思っていたのだろう。
高校時代までの友達というと、
――ただ、一緒にいて楽しければいい――
というものだった。
それは明日美に限ったことではなく、まわりの皆も同じように感じていた。そのことを明日美は分かっているつもりだったが、まわりの人にはきっと分かっていないだろうと思っていた。
その思いが明日美にはありがたかった。
いつの間にか、自分が人よりも優れているということを感じるようになっていた明日美は、
――変な友達ならいない方がいい――
と思うようになった。
自分を低下させる評価をまわりに与えるような友達なら、いない方がマシだという考えが元になっているのだが、それは友達が自分に影響を与えて、それがまわりに気付かせることになるという前提の元に考えられているものだった。
だからこそ、友達を選ばなければいけないと思うようになったのだが、友達の選定には自分が冷静にならなければいけないということが一番だった。
その頃の明日美は、
作品名:不可能ではない絶対的なこと 作家名:森本晃次