不可能ではない絶対的なこと
そんな父親の気持ちとは裏腹に、明日美は父親に対して反抗的な気持ちが芽生え、黙っている母親に対しても毛嫌いをするようになった。
父親の露骨さを見るたびに、
――人に気を遣うなんて、無駄な労力だ――
と思うようになっていた。
露骨さというのは、明日美には嫌ではなかった。むしろ、隠そうとする方が明日美はわざとらしさを感じ、嫌だった。
宗教団体というものに対して毛嫌いしている父親をまともに見てしまったことで、父親に対して、ひいてはまわりに対して、
――気を遣うなんて損をするだけのことだ――
と感じていた。
だが、明日美は舞香と知り合って、舞香が父親に対して何も感じていないという雰囲気に興味を持った。
――父親なんて――
と舞香も感じているのだろうと思ったが、そこには明日美が感じる自分の父親への思いと同じなのか違うものなのか、本当は分かりたいと思っていたのだが、分かってしまうと、舞香と一緒にいる時間が極端に減ってしまいそうで、それも嫌だった。
明日美はある日の帰り、ビラ配りの宗教団体を見かけた。それまでにビラ配りの宗教団体をあまり見かけることがなかったのに、久々に見ると宗教団体に対して毛嫌いをしていた自分を思い出していた。
それと同時に思い出す自分の父親のイメージがよみがえってくると、自分の中でデジャブを感じるのだった。
その感覚を感じたのがいつのことだったのか、ほとんど分かっていない。舞香と出会う前だったのか、出会ってからのことだったのかという基準も分からない。ただ、最初に感じた基準は、舞香との出会いだったのが自分の中では気になっていた。
「どうぞ、よろしくお願いします」
その雰囲気は、宗教団体を思わせるものではなかった。
宗教団体というと、もっと密かなもので、後ろめたさを感じさせる雰囲気があり、
――謙虚さを売りにでもしているのか?
と感じさせるものだったのに、そのビラ配りには後ろめたさは感じられなかった。
むしろ、元気さを感じさせるもので、
「もらいたくなければ、それでもいいのよ」
と言っているかのようにも見えた。
――上から目線を、まさか宗教団体に感じるなんて――
それが彼らの開き直りに感じさせられたが、不思議と嫌な気分はしなかった。
――ここまで堂々とされると、納得できる気がするわ――
と感じたが、その意識としては、
――堂々巡りって、堂々としているから巡っていても、簡単に忘れることができないのかも知れないわ――
堂々巡りをあまりいいイメージに捉えていなかった明日美だったが、堂々としている開き直りと考えると、悪いイメージだけだとは言えないような気がしたのだった。
ビラを配っているだけなのに、いろいろ考えさせられるのは、相手の術中に嵌っていることになりそうなのに、明日美に警戒心はなかった。
明日美は自分がビラ配りをしているところを想像してみた。もし、知り合いに会ったりすると恥ずかしいという気分になると感じた記憶は残っているが、それは自分がまだアルバイトを初めてすぐだったということで、それも仕方のないことだと思っていた。
明日美は、そのビラを手にして中を見てみた。
宗教団体であるとずっと思っていたが、その内容はなるべく宗教団体であるということをひた隠しに隠しているかのように見えて、それが情けなく感じられた。
――さっき、開き直りを感じたのに――
と思うと、ビラを配っている人が気の毒に感じられた。
――あんなに頑張っているのに、その内容は彼らの努力を否定しているようで、何とも言えない気分になってくるわ――
団体とその中の個人ということになると、そういう関係も仕方のないことなのかも知れないが、宗教団体においては、仕方がないでは済まされないような気がした。せっかく団体を信じて入信してきた人たちの気持ちをどのように考えているというのか、明日美は彼らに対しての同情をあらわにしている自分を感じていた。
団体の活動を気にしていた時間は、それほど長いものではないと思っていたが、気が付けば結構な時間が経っていた。時計を見るまで分からなかったが、そろそろ三十分が過ぎようとしていた。
明日美はそれほど気の長い方ではない。むしろ気が短い方で、飽きっぽい性格も、気の短さから来ているのだと思っていた。
ただ、この気の短さは明日美が自分の中でも嫌いな性格の一つだった。それは気の短いということが悪い性格だということよりも、父親を見ていて、気の短さしか感じなかったからだ。
いつもイライラしているように見えた。特に母親に対しては、自分の方が絶対的な立場を有しているようだった。何があっても母親よりも自分が優位に立っている。その様子を見ながら明日美は苛立ちを覚えていたが、当の本人である母親はそのことを甘んじて受け入れているように思え、それも苛立ちの一つとなっていた。
――どうして抗おうとはしないのかしら?
不思議で仕方がなかった。
何かを守ろうとしているのであれば分かるが、何を守ろうとしているのだろう?
母親が必死になっているところを見たことがない。何をされても抗うこともなく、嵐が通り過ぎるのを待っているだけにしか見えなかった。あくまでも受動的なその態度に、いつも明日美は、
――いったい、何を考えているんだろう?
としか思えなかった。
ただ、父親は明日美に対して苛立つことは何もなかった。苛立っているのは母親に対してだけなのに、明日美はいつも自分にも父親が苛立っているかのようにしか感じることができなかった。
明日美は、そのことに最近気が付いた。そして、その理由がどこから来るのかをずっと考えていたが、考えがまとまるにもそんなに時間が掛かったわけではなかった。
――私は被害妄想なんだわ――
理論立てて考えればすぐに分かることではないかと思った。
被害妄想というのは、意外と自分では気づかないものだということを分かっていたような気がする。気が付いてから感じたことなので、被害妄想というのは、やはり受動的な考え方の人がなりやすいものだとも言える。そんな明日美にとって母親は、
――自分を映す鏡――
として写っていた。
ただ、明日美は基本的に母親が好きではなかった。それは自分が被害妄想だと感じるようになって、余計に深くなったものであり、決定的になるのも時間の問題ではないだろうか。
――お母さんがどうしてお父さんに逆らえないのかが分からない。分からないはずの私がどうしてそんな母親と鏡を通して感じる相手であるというのだろう?
そこに矛盾を感じた。
矛盾というのは、自分で認めていることを自分で納得できないということなのかも知れない。逆もあることで、自分で納得できるくせに、認めることができないというのも矛盾だと言えるだろう。
この二つは紙一重とも言える。見方によっては、そのどちらとも言えることも往々にしてあるのかも知れない。
――どちらが多いのだろう?
と考えた時、明日美の中では、納得できることを自分で認めたくないと感じる方が多いような気がした。
作品名:不可能ではない絶対的なこと 作家名:森本晃次