不可能ではない絶対的なこと
どうして団地のポスティングだけだったのかという理由は結局分からなかったが、そのうちにポスティングもなくなった。ポスティングに対する効果が見られないことでやめてしまったのか、それとも住民の訴えから、警察より警告が入ったのか分からないが、ポスティングは本当に一時的なものでしかなかったのだ。
今となってみれば、宗教団体のポスティングなど普通では考えられないという印象で、その時の宗教団体は結局、
――大した団体でもなかったんだ――
と思わせた。
実際にその団体の名前をそれ以降聞くことはなかった。自然消滅したのではないかと思うほどであった。
「しょせん、こんな団体、長続きなんかしないさ」
とポスティングの段階から父親はそう言っていた。
そういえば、街でビラを配っている団体に対して露骨に見せる毛嫌いの表情に対して、ポスティングの団体に対しては、そこまで露骨な雰囲気はなかった。
――相手が見えないからかな?
と思っていたが、その感覚は半分外れてはいたが、半分当たっていたのだった。
ただ、その宗教団体は実際につぶれたわけではなかった。どうやら空中分解したようで、一部はつぶれてしまったようだが、一つだけがかろうじて生き残っていた。
もちろん、元々の団体と名前が違っているので、生き残った団体があの時のポスティングの団体であるということを知っている人は稀だったに違いない。
人数的には数人しかいないようだった。
十人にも満たない団体では、布教活動などほとんどできるはずもなく、密かな活動を余儀なくされていた。
しかし、宗教団体としての規模が次第に小さくなっていくことは、社会的にも許されることではない。一応団体として存在している以上、一定の大きさを保っていないと存在できないのが、今の社会だった、彼らの運命は、このまま自然消滅していくか、あるいは、もう少し大きな宗教団体と合併するか、大きな団体に吸収合併されるかのどれかでしかなかった。
それまでの経緯に関して細かいことはよく分からなかったが、一番可能性として考えられる最後の吸収合併の道をやはり彼らは歩むことになった。
結構大きな宗教団体に吸収されることで、それまで密かにやっていた存在を彼らは自分で打ち消すことになったのだ。
小規模な団体となった瞬間から、彼らには感情や感覚というのが欠落していた。彼ら自身が救われなければならない存在であり、宗教団体としての機能はおろか、彼ら自身、一種の難破船のごとくであり、救済される立場だったのだ。
そんな彼らに救いの手を差し伸べた宗教団体を彼らは受け入れ、救済の手が伸びたということで、さらに宗教団体というものが今まで自分たちが考えていたものと違うという意識が芽生えた。
それは初めて宗教団体に入信した時の感覚がまるで前世での出来事のように、今の世界で感じたことではないと思わせ、今までの自分たちお人生にどのような影響を与えてきたのか、いまさらながらに考えさせられていた。
彼らは吸収されたという意識よりも、
――救済された――
という意識の方が強く心の中に根付いたようだった。
そんな彼らは団体に対して従順だった。
新しく入信してきた人たちと自分たちは明らかに違うという意識を強く持ち、彼らとの違いと鮮明に感じていた。
その思いが普通に入信してきた人たちから毛嫌いされるようになっていた。
実は明日美の父親は、そんな彼らの中にいた。
ただ、家族に自分が宗教団体に身を投じているということを感じさせないようにするために、わざと宗教団体を毛嫌いしている素振りを見せていたので、いまさら宗教団体の布教活動を行うことは許されなかった。
そういう意味では、他の団体に吸収合併されたことを複雑な思いで感じていたのは、明日美の父親だけだったのかも知れない。
他の人は新たな団体に所属することで、
「朱に交われば赤くなる」
という状況を甘んじて受けとめようとしていたが、父親には許せないことだった。
そもそも父親が入信したのも、
――他の連中と同じでは嫌だ――
という意識を強く持っていたので、仕事仲間とも一線を画し、実は結婚前に付き合っていた女性たちとも一線を画すようにしていたのだ。
そんな父親の様子を、他の人と同じように比較することもなく眺めていた女性が母親だったのだ。
母親は生まれつき、人に逆らうことをしない人だったのだ。少し天然なところもあったので、他の人に対してはものすごい人見知りの状態だったのだが、父親に対してだけは違っていた。
自分から会話をする方だったのだが、態度としては、完全に三行半の状態だった。父親はそんな母親を好きになった。
――この人は、俺に対してだけ態度が違う、そして、そんな俺に対してだけ従順なんだ――
と感じていた。
父親はきっとそんな女性を求めていたのかも知れない。
母親と付き合い始めるまでには何人かの女性と付き合ったことのある父だったが、最初はいい雰囲気でも、急に別れがやってきていた。
「あなたといると、全然楽しくないの」
と、いつも判で押したようなセリフで別れを告げられた。
父親は自分から相手を嫌になることはなかった。
――せっかく好きになってもらったんだから――
というのが父親の考えで、
――好きになってもらった相手を嫌になるなんて、そんなもったいないことできるはずもない――
と思っていた。
この感覚自体が、そもそもずれているのだ。好きになってくれたということを履き違えている。そこには自分が好きになるという言葉は出てこない。あくまでも相手中心の考え方で、それが相手に分かってしまうことで、相手からすれば、
「楽しくない」
という言葉で言い表されるのだろう。
別れを言い出す方も、どう言って別れを切り出すかということに悩むはずである。しかし父親に対して誰もが感じる感覚をいとも簡単に感じることができる。これほど別れに際して簡単な相手もいなかったことだろう。
だから、いつも同じセリフで別れを告げられる。その理由について父親はまったく見当もつくはずなかったのだ。
父親もそれなりに悩んだはずだ。しかし、悩んでも答えなど出るはずもなく、結局どう解釈していいか分からず、一人で悶々と考え込んでいた。
考えは堂々巡りを繰り返し、そのうち、
――堂々巡りを繰り返しているうちに、答えが生まれてくるんだ――
という少し歪な答えで、自分を納得させることになった。
その考えが、どこでどうなったのか、宗教団体への入信という形になった。
そのうちに団体は分裂に瀕し、孤立した活動を余儀なくされた。
父親は、
――これこそ、自分らしい――
と感じるようになり、そんな自分の本性を誰にも見破られたくないという思いが強くなっていた。
そのために家族の前では、露骨に宗教団体を毛嫌いするようになり、まわりに自分の考えに対して大きな結界を見せつけるようになった。
だが、本人は結界を人に悟らせているつもりはなかった。ただ毛嫌いをすることで、自分が宗教団体とは縁遠い存在であるということを示せればそれだけでよかったのだ。
作品名:不可能ではない絶対的なこと 作家名:森本晃次