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不可能ではない絶対的なこと

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 という彼女の返答はあまりにも曖昧だった。
 それだけに、明日美にとっては気になるところだった。自分が期待した答えをまったく返してくれているわけではない彼女の得体の知れない雰囲気に、自分が魅了されているのを感じたからだ。
「よく分からないんですが、ここでビラを配っているのは、いわゆる布教活動だと思ってもいいわけですか?」
 と聞くと、
「ビラを見てもらう方がいいかと思います。ここで私が答えてしまうと、余計な先入観を与えてしまうことになるので、その質問には答えないようにしているんですよ」
 と彼女は言った。
――じゃあ、最初の回答は許されるということなのかしら?
 という疑問を感じたので、
「それは、団体の中の決まりなんですか?」
 と聞いてみた。
「そうではありません。私が勝手に思い込んでいるだけです。ただ、最初に私が答えたのは、あくまでもどう感じるかというのは、受け取る人の感覚で違うということを言いたかっただけなんですよ。だから、私の回答に曖昧さを感じたんじゃありませんか?」
 と言われてドキッとした。
「まさにその通りですね。だからあなたへの二度目の質問が出てきたわけで、それに対してボカすような回答だったので、少し疑問に思った次第なんですよ」
 と明日美は言った。
「そうなんだって私も思いました。だから、必要以上なことを私は言わないということを、分かってもらいたいという気持ちで回答したんですよ」
 と彼女は言った。
「よく分かります。私もそんな気持ちで人と接することができれば、もっと友達ができたかも知れないと思っています」
 と明日美は言った。
 この明日美の回答は、半分本音であり、半分ウソである。
 言葉の表面上の気持ちとして本音であろうが、友達ができたかも知れないというところに対して、裏で、
「友達なんかいらない」
 と自分に言い聞かせているということを自覚しているにすぎなかったからだ。
「きっと、あなたのような人が、このビラを見ると、何かを感じるんでしょうね。ほとんどの人はビラを見て、宗教団体であるというだけで毛嫌いして、すぐに捨ててしまうに違いないからですね」
 という彼女の言葉に虚しさはなかった。
――ビラを配っているのに、それを簡単に捨てられると普通ならショックを感じるだろうに、彼女にはそんな気分は微塵もないようだ――
 と明日美は感じていた。
 そういえば、明日美がビラ配りをしていた時もそうだった。最初こそ、自分の配ったビラを、見えなくなってから捨てるならまだしも、見えるところで見られているのを分かっていながら、これ見よがしに捨てている人もチラホラいた。
「差し出されると無意識に受け取ってしまうので、こんな私に今度からビラなんて渡さないでね」
 と言わんばかりだった。
 その時は、相手の気持ちが分かるのだが、いちいち一人一人の顔など覚えているわけもない。しかも、数人が並んでビラを渡しているので、私が渡すとは限らない。相手はそんなことを分かっているのかいないのか、自分の感情を表に出しているだけだった。
 もちろん、相手がどんな気分になるかなどおかまいなし、しょせんは自分だけがよければそれでいいのだ。
――世の中なんてそんなものよ――
 明日美は半分、世の中に諦めかけていた。
 気を遣って人のためにしている人がいるのを時々見る。
 しかし、気を遣われて喜ぶ人もいれば、気を遣われたことすら気付かない人もいる。そんな人は本当に気付いていないのだ。
 人に気を遣う人に限って、相手も自分と同じような性格の人ばかりだと思いがちなのではないだろうか?
 だから気を遣ってあげた相手が、それに気付かなかったり、気付いていても無視したりすると、
「せっかく気を遣ってあげたのに」
 と露骨に嫌な顔をしたり、言葉に出して感情を表に出したりする。
 そんな姿を見ていると、
――人に気なんか遣うからそんな嫌な気分になるのよ――
 と感じ、さらに
――しかも、それを表に発散させるから、他の人まで嫌な気分にさせられる――
 と感じる、
 そんな人を見て明日美は、
――偽善者だ――
 と感じる。
 偽善者という言葉、ほとんどの人が嫌なイメージとして使っていることだろう。しかし、そんな人の中にも同じ偽善者と呼ばれるような人も少なくはないだろう。それだけ人に気を遣うことを美学のように感じ、見返りを当然のように求めようとしている人がいるという証拠である。
 明日美は、この時、
――相手が宗教であっても宗教でなくても別に関係ない――
 といつもだったら思うのだろうが、この日は少し違っていた。
――宗教であってほしい――
 と思っていたのだ。
 それは相手の人に話しかけて、相手が曖昧ではあったが回答してくれたことで感じたことだ。
――今まで感じた宗教団体とは少し違っていることを私は期待しているのかも知れない――
 と明日美は感じていた。
 明日美は自分の親が宗教団体を毛嫌いしていることを知っていた。特に父親の毛嫌いの度合いは激しく、どちらかというと母親はさほど宗教団体に対して毛嫌いをしているという雰囲気ではない。あまりにも父親の毛嫌いの激しさから、逆に擁護したいような雰囲気も見られたが、それも父親の毛嫌いの激しさに打ち消されているようで、母親の性格も手伝ってか、何も言えなくなっていた。
 意思表示のハッキリしている父親と、意思表示がまともにできない母親、そんな雰囲気が明日美の家族のイメージだった。明日美はどちらに似たのか、自分から意思表示をすることはない。両親の性格をそれぞれ受け継いでいるのだろうが、いいところを受け継いだという意識は本人にはない。悪いところばかりを受け継いでしまったことに明日美は苛立ちを感じ、その感覚が時として、
――親のようにはなりたくない――
 と感じさせるのだった。
 それがひいては、
――人と同じでは嫌だ――
 という拡大解釈に走っているのではないかと思わせ、明日美にとって自分と他人との違いに大きな結界を感じるのだった。
 父親が宗教団体を毛嫌いしているというのは、小学生の頃に初めて感じた。当時住んでいた団地の集合ポストに、当たり前のように入っていたいろいろな広告の中に、宗教団体の勧誘が入っていた。そのことをクラスの人に話すと、
「何それ。そんなの入ってなかったわよ」
 と、簡単にあしらわれたが、どうやら、一軒家のポストには入れていないようだった。
 単純に、
――団地のポストに入れる方が簡単だから――
 と小学生の頭で考えていたが、そこに理由があるということを考えていなかった。
 中学くらいになると、
「一軒家に住んでいる人より団地に住んでいる人の方が貧しいので、入信する人が多いのではないか」
 と考えるようになったが、それも正解ではない。
「一軒家の方が、皆それぞれに独立しているので、孤独や寂しさを感じている人が多いだろうから、入信する人が多いとも考えられる」
 とも言える。