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天空の庭はいつも晴れている 第3章 雨季の兆し

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 ユジュルクに入ると、畑や野原が増えてきた。ロバに乗った老人や、畑作業から戻って来たらしい男などとすれ違う。
 ルシャデールが止まったのは高い土塀で囲まれた民家だった。周りは少し離れたところに農家が二、三軒ある程度だ。大きな道からも外れて人通りはあまりない。
 不安そうにアニスは彼女を見ている。
「御寮様、ここは?」
「聞いたことないかい? トリスタンの……」
 あっ、と、少年は小さな声を上げ、了解したようだ。
ルシャデールは塀沿いに裏の方へ歩いていく。ためらいはない。土塀の崩れたところを乗り越えていく。アニスもついて来る。
 中は薔薇園だった。白やピンク、紅、とりどりの薔薇が咲き誇っている。芝草にはたっぷり水がまかれているようだ。青々して、きれいに手入れがされていた。通路にはベージュ色のレンガが敷き詰められ、つるばらのアーチの奥には青い唐草模様のタイルを飾った四阿《あずまや》もある。
 瀟洒《しょうしゃ》なつくりの家が建っていた。そのテラスの前に、トリスタンがいた。子供を抱いている。まだ一歳になってないだろう。横には栗毛の髪を優雅に結った女性が立っている。彼女に向かってトリスタンが微笑みかけていた。
(まだ、赤ん坊なんだ)
 ほっとしたような、そうでないような。
その時、顔に水滴が当たった。雨が降り出した。
 家から出てきたイェニソールが二人の彼らに気がついた。次いでトリスタンも。
「まずい、行くよ」
 ルシャデールはアニスの腕をつかみ駆け出す。引っ張られるようにアニスもついていく。ルシャデール! と呼ぶ声が後ろで聞こえた。
 四半時ほど走り続ける。ピスカージェンの中央に位置するオデルス広場まで来た時、さーっと雨が降り出し、干し果物屋の店先に雨宿りした。
「あー、苦しい」息を切らし、ルシャデールは呼吸を整えながらアニスの方を振り向いた。「アニス……」
 彼は青い顔をして震えている。声も出さず、うつむきがちに泣いていた。ルシャデールは彼の手を取った。もう一度呼んでみるが、答えはない。というよりも、彼女のことも目に入っていないようだ。ここにない、何か別のものに捕らわれている。
(そう言えば家族を亡くしてから、時々具合が悪くなると言ってたっけ)
 とりあえず屋敷に連れて帰らないといけない。すると急に彼は膝をつき、両手で顔を覆って叫びだした。今までしっかり持っていた小瓶が石畳に落ち、カシャンと割れた
「うっ、ううっ、うわあああー!」
 周りの人が一斉にアニスの方を向く。いったい体のどこからこんな声が出るのかというような、高く響く声だった。
「誰か助けて! かあさん、父さん! ああー!」
 何度も繰り返される叫び。その張り裂けるような声にルシャデールは心臓が止まりそうだ。干し果物屋の太ったおやじも目を大きく見開き、口はあんぐりさせて固まっている。
 ルシャデールは横目で雨が小降りになってきたのを認めた。このぶんならまもなく止むだろう。
「おじさん!」ルシャデールは唖然としているおやじに向かって、高飛車に有無を言わせぬ調子で言った。「悪いけど、私の召使の具合が悪いの。この子を私の家まで連れていくのを手伝って!」
 男は驚いたようだったが、お、おう、まかせときな嬢ちゃん、とアニスを抱え上げて、屋敷まで連れてきてくれた。

「大丈夫ですよ、御寮様」
 ビエンディクが言った。アニスは依然として泣いたり叫んだり、興奮の状態が続いていた。
「以前にもあったことです。今はそっとしておいた方がいいかもしれません。何かあったら御寮様にもお知らせします。わたくしがついておりますので、どうぞお部屋の方にお戻りください」
 アニスの部屋から出ようとしないルシャデールに、暗に、ここは御寮様が立ち入る場所ではありませんと言っているようだった。確かに、召使の部屋のある一角は主人やその家族が立ち入らないものだ。
 見上げると、部屋には天窓がついている。夜空を眺めるのに都合がよさそうだと彼女は思った。ふと、星に向かって祈るアニスの姿が思い浮かんだ。彼は何を祈っていただろうか。
 自分の部屋に戻ると、やかましい侍女もいなかった。カズックがどこからともなく現れる。
「よっ、遠足は楽しかったか?」
「薔薇がきれいだった……」
 カズックには何もかも見透かされているようで、ぶすっとして答えた。
「坊やと会ってしまったのが唯一の誤算か?」
「うん。……そんなに家族を亡くすってつらいものか?」
「家族といってもいろいろだけどな。普通はそうだろう。長い患いの後なら、ある程度覚悟はつくが、いきなり家族全員だ。おまえのおっかさんだって、亭主がいなくなって半狂乱だったんだろ?」
「かあさんが死んだ時、ぶら下がって何やってるんだろう、としか思わなかった。だって、白目むいてるのに、父さんの名前をずっと呼び続けてるんだ。」
 そして、それは今でも続いている。ユフェリにある『囚われの野』と呼ばれるところで。
「かあさんが死んだことはそんなに辛くなかった。私のことなんか、どうでもよかったようだし。面倒な同居人ぐらいのもんだろ。ただ、家を追い出され、寝るとこも食べるものもない生活はしんどかった。今、一応落ち着いた生活をしているから、特にそう思うのかもしれないけど。……だから、家族そろって幸せにくらすってのが、ひどく贅沢なことに感じるよ」
「二度と返らないものは、失う前の何十倍も大きくなるものさ」
 その時、玄関ホールで使用人たちの声がした。どうやらトリスタンが戻ったようだ。半時ほどして、彼はルシャデールの部屋にやってきた。
「ルシャデール、ちょっといいかな?」
 彼女はうなずいた。トリスタンはソファに座った。
「君とアニスがあの家へ来て、それから何があった?」
「何も。屋敷に戻るために歩いていただけ」
「ここ何ヶ月かあんなことなかったんだが」
「突然、思い出したんじゃない? 昔の幸せな頃を」
「……」
「妹がいたって聞いた。だったら、あんな光景を見たことがあるんじゃないかな」
 父さん、母さんが生まれたばかりの妹を抱いて、幸せそうに笑っている。そんな光景。トリスタンは考え込んでしまった。
「別にあなたが悪いわけじゃないだろ」
 まるで大人のような口ぶりでルシャデールは言う。
「それじゃ、君と彼があの家に来たのはどういうわけで?」
「それは、なぜ私があの家を知ったかってこと? それともどうしてアニスが一緒に行ったかってこと?」
「両方」
「そういう女の人がいるってことを、井戸で洗濯していたおばさんたちがしゃべっていた。あまり秘密ってわけじゃないみたいだね。場所は……自分が行きたいところを強く考えると、方角だけは見当がつくんだ。どのくらい遠いかはわからないけど。歩きながら次は右に曲がるとか、まっすぐ行くとか」
「それは便利な才能だね」
「かっぱらいして逃げる時、役立ったよ。アニスには途中でたまたま出会ったんだ。私が一人で外に出ているのを見て、ついて来た。……口止めはしてあるよ」
「ありがとう」トリスタンは深く息をついた。「いずれ折りをみて話そうとは思っていたんだが……」