短編集55(過去作品)
という気持ちにさせるに至っただけでも悪くはなかったのかも知れない。
それからしばらくは一人でいることが普通であり、寂しさなどという気持ちは忘れていた。
一人でいるとまわりへの意識が強くなる。それはまわりの人に対してということではなく、自然環境に対してが大きい。歩いていても、それまであまり気にすることのなかった足元から伸びる影、風の動き、さらには風が運んでくるかすかな匂いまでもが、典子に何かを感じさせた。そのほとんどは思い出と言ってもいい。自分の潜在意識の中にある思い出を引き出すためにまわりを意識していると言っても過言ではない。
離婚のことを思い出す。
青木が浮気性だということを責めたのだが、考えてみれば典子も同罪ではないか。あからさまになっていないから余計に後ろめたさを感じてはいけないと感じたことから、自分の中での罪悪感さえ忘れていた。それを思い出すと今の自分が人生から逃げていることに気がついた。
普通逃げていることに気付いたら、進歩であろう。しかし、典子の場合、感じなくてもいい寂しさがこみ上げてきた。
――孤独が好きなはずなのに――
自分が一人でいることを今でも自分らしいと思っているのは間違いない。だが、言い知れぬ寂しさが襲ってくるのは、自分の中に逃げを感じてしまったことで仕方のないことだった。
またしてもネットに嵌ってしまう。人に言わせれば、
「中毒なんじゃないの?」
と言われてしまうだろうし、また自分でも、同じことを繰り返してしまうことが目に見えている。
想像どおり、気に入った男性が現れて、同じように喫茶店で出会って、そのまま男に誘われるまま抱かれてしまう。抱かれてしまえば男に対しての気持ちは一気に冷めてしまい、また別の男性を求めてしまう。
――これが本当の私なのかしら――
その日も知り合った男性の後ろを見ながら歩いている。
――この人で何人目かしら――
影が蠢いているが、ハッキリと見える影ではない。
歩くのはなぜかいつも同じ道。なぜこの道を歩こうとするのか、因縁めいたものを感じるのは、途中にある産婦人科が気になって仕方がないからだろう。
――そういえば、最近満月を見たことはないわ――
男の顔がおぼろげにしか見えない。しかし、空には綺麗な三日月が見えている。両側は研ぎ澄まされた鋭利な刃物に似ている。そんな発想をしてしまう自分が恐ろしく感じ、風は生暖かく、鉄分を含んだ血の匂いにしか感じられなくなっていた……。
( 完 )
作品名:短編集55(過去作品) 作家名:森本晃次