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短編集55(過去作品)

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 そんな感覚になるのは、きっと危険信号なのだろう。
――離婚へまっしぐら――
 自分に言い聞かせる。後は開き直るだけだった。
 楽しい思い出が次第に心の中に封印されてくる。離婚という二文字が次第に現実味を帯びてくると、開き直りもスムーズだ。
「女性って、ギリギリのところまで我慢するけど、もう我慢できないと思えば、後は何を言っても無駄なのよね」
 男性との違いをそんな風に表現していた友達がいたが、まさしくそのとおりである。
「男性は、その点、なかなか煮え切らないのよ。思い出が先にきて、自分も思い出の中で反省しているのだから、女性も思い出によって反省があるはずだって思うのよね。自分本位の考え方なのよ」
 確かにそうだ。開き直るまではいろいろ考える女性は、男性に比べて現実的なのだろう。思い出を持ち出して、それを武器に女性を説得しようという男性の方が、自分本位なくせに子供っぽいのかも知れない。
「男の人って甘いわね。何でも自分の思い通りになると思っているのかしらね」
 その話を聞いている時は、そこまで男性を卑下することもなかったが、こと夫を見ていると、感情的になるくせに、現実的ではないところが腹が立つ。
 離婚の意志を告げてからの夫は。何とかして思いとどまらせようという努力をしていた。だが、覚めてしまった瑞枝にとってはわざとらしいデモンストレーションにしか思えなかった。
 現実的なことを今になっていろいろ調べてきて、何とか説得の道具に使おうとしている。理屈で何とかなるなら、もっと早く話をしていればよかったと、どうして気付かないのだろう。
 その意味では瑞枝も反省している。話しさえしていれば、ここまで急速な気持ちの変化もなかったかも知れない。
――いや、遅かれ早かれ同じことだわ――
 むしろ子供がいない今の方がやり直しもそれほど困難ではないだろう。今の世の中離婚など日常茶飯事。ただ、戸籍が少し汚れるだけのことではないか。
 それでも一人で暮らしていかなければならないと感じると、心細くなってくる。離婚を決意して、いろいろな人に話を聞いてみるが、
「考え直した方がいいわよ」
 という人と、
「決意が固いなら、早い方がいいわね」
 という人と、ちょうど半々くらいだっただろうか。半々なら、自分の決めた道を行くのが一番である。人の意見にいちいち決心を鈍らせることはするつもりはないが、自分の将来を貪欲に考えた時に、聞いていて損のない話である。ただ、整理整頓の苦手な瑞枝の頭が、うまく整理できるかが問題であった。
 離婚が成立すると精神的に落ち着いた。
 実家からも、今まで住んでいたところからも、遠いところに暮らすことを決め、駅前のコーポを借りることにした。
 コーポといっても、築二十年近く経っているものでかなり古いが、一人暮らしするにはちょうどよかった。駅に近いことが何よりの利点で、ただ、駅裏のあまり人が入り込むところではないので、実家や元夫を思い出すこともないはずである。
 一人暮らしは思ったよりも寂しかった。
 誰もいない暗い部屋に帰ってくるのは初めてではないが、生活観が滲み出る部屋ばかりにいたこともあって、帰ってきて扉を開けた時の暗さと、襲ってくる冷たい空気には、寂しさしか感じなかった。
 夏でも、一瞬冷たさを感じる。そして次の瞬間にモワッとした湿気を含んだ暑さが襲ってくるので、余計に気持ち悪く感じさせる。
 離婚して部屋も決まって、後は仕事だけだった。
 友達に話をすると、生命保険のセールスレディの話を教えてくれた。元々大学を卒業してから、OLをしていた瑞枝なので、研修を受けることは苦手ではなかった。OL時代も無意識に誰かと競争をしているようなところがあったので、セールスレディというのは、やってみる価値はありそうだった。
 その友達も、セールスレディをやっていて、元々同じ大学で知り合って、大学卒業と同時に結婚したのだが、同じように離婚していた。
 彼女の場合は、離婚は早かった。一年くらいの結婚生活だったようだ。
「あいつの顔を見るだけでも腹が立つ」
 そう嘯いているが、離婚の原因が旦那の浮気にあるのだから、その気持ちも当然であろう。
 友達もハッキリとした性格で、よく言えば竹を割ったようなサッパリとした性格、悪く言えば融通の利かないお堅い性格である。気性が荒いことで学生時代から有名だった。
 だが、なぜか彼女は男性によくもてた。確かに背も高く、モデル並みのスタイルのよさで、嫌味なところがないことから、ボーイフレンドはたくさんいた。
 彼女の性格の中で、
――頼まれれば嫌とはいえない――
 という一面があった。
 荒い気性の中で、そんな一面を見つけると、男性は放っては置けない気持ちになるようだった。
 女性の目から見れば、
「男って甘いわね」
 幾分、嫉妬を含んだ見方になってしまうのだろうが、男性の目に写っている「痘痕もエクボ」のような彼女も、男性の妄想が作り出した虚像にしか思えなかった。
 実際の彼女は掴みどころがない。友達の間では、
「彼女が一番最初に結婚するかも知れないわね」
 という人と、
「いえいえ、一番最後まで独身よ」
 という人と、意見が真っ二つで、中間という人は誰もいなかった。
――一番最後になるんじゃないかしら――
 というのが瑞枝の考えだったが、まったく予想を外してしまった。
 気性の激しさはあったが、熱くなるタイプでもあった。毅然とした態度を持っているかと思えば、男性に対して、軽いところがあった。
――依存症なのかも知れない――
 と感じたのは、彼女が結婚すると自分から話した時のことだった。
「私、大学を卒業したら結婚するの」
「早くない?」
「そうも感じたんだけど、今を逃すのが怖い気がするのね」
 彼女の口から、怖いという言葉が出てくるなど信じられなかった。気性の激しさは、時として鬱状態を引き起こすのではないだろうか。そんな時に唯一信じられる人がいたら……。結婚を考えたのも分からなくはなかった。
 結婚相手は、まさか浮気などできるような人には見えなかった。瑞枝とも友達で、大学時代には、時々彼女のことを聞きに来ていた。
 名前を、磯部というが、
「実は、恭子のことで折り入って相談が」
 と腰の低い、少し頼りないところがある男性だったので、少し心配していた。結婚すれば、主導権はまず間違いなく恭子が握るであろうという心配だった。
 それでも似合う夫婦というのはいるのだろうが、二人を見ていると、少し不安だった。その原因は恭子の鬱状態にあるのだが、磯部には敢えて彼女が鬱状態になることがあるという話はしていない。
 磯部のことを他人から伝え聞いたところによると、恭子から聞かされた話とは少し違ったニュアンスが感じられた。
「夫の浮気が原因なの」
 確かに、磯辺は違う女性と付き合っていたのは事実のようだが、他人の夫を奪うような女性なので、かなり気が強い女性をイメージしていた。それこそ恭子とどっこいどっこいで、磁石で言えば同極が反発しあうイメージを持っていた。
作品名:短編集55(過去作品) 作家名:森本晃次