隆子の三姉妹(後編)
今まで隆子がゆかり先輩に対してだけ優位性があるものだと思っていた。それも一方通行のもので、実際にはゆかり先輩も隆子に対して持っていたのかも知れない。
だからこそ、ずっとゆかり先輩からの「無言のプレッシャー」を感じることもなかったのだ。
だが今では本物の「無言のプレッシャー」を感じるというのも、実に皮肉なことだ。それも、「永遠のトラウマ」として心の底にへばりついて、消えることがないことを示している。
そう思うと、
――どうして、こうなる前に、何とかできなかったのだろう?
と思うようになっていた。
そう、隆子はゆかり先輩に対して、
「生き残った」
という意味のプレッシャーを感じさせられている。
「あなたも一緒に死ぬべきなのよ」
と、言われているような気がする。
でも、ゆかり先輩に対して隆子は身も心も提供してきた。それなのに何を今さら、自分が苦しまなければいけないのかと考えるようになった。
――提供してきたという「おこがましさ」が、ゆかり先輩にはたまらない優位性だったのかも知れないわ――
隆子は優位性を感じていると思いながらも、それが具体的に何を意味するものなのか分かっていなかった。これは妹たちに対しても同じなのだ。
洋子に弱いと思っているが、それは強い反発の裏返しなのかも知れない。それは三人が三すくみになっていることで、優位性は感じながらも、反発心を感じなかった一番大きな理由なのかも知れない。
隆子は、ここに墓参りに来るのは、先輩に対して悪いことをしたという感覚からではない。義務感が働くからではない、
「あなた一人が生き残って」
と言っている先輩に、自分が生きていることを、霊前で見せつけるために墓参りに来ているように思えてならない、先輩がどうしてしななければいけなかったのか、その理由は分からない、しかし死ぬことが本当に先輩にとっての最善の道だったのか、隆子は今でも分からない。それを自分が生きていることで証明しようと考えているのだろうか? 今の隆子にはそこまで分からない。
それが分かる時が来るとすれば、隆子が死ぬ時なのではないかと感じるのは、隆子と死んだゆかり先輩だけなのかも知れない……。
洋子は元カレの墓参りをしてきた。何年ぶりの墓参りだったのだろうか。墓前にて、
「ごめんなさい」
と答えたのは、あまりにもご無沙汰だったからなのか、それとも新しい彼氏ができたことへの謝罪なのか、そのどちらでもあるようだ。
洋子にとって、墓参りを怠ってしまったのは、彼氏ができたことで、元カレのことを、忘れてしまいそうになっていた。ご無沙汰だったのは、時間がなかったからだというよりも、本当に忘れてしまいそうになったことで、なかなか足を向けることができなくなったからだ。
「逃げていたとしかいいようがないわ」
そう思いながら墓参りをした。
「でも、もうここには来ない方がいいのかも知れないわ。あなたのことを忘れるという意味ではなく、私は前を向いて歩きたいの」
それが彼に対してどういうことを意味しているのか分かっていた。しかし、不器用な洋子には、元カレの思いを抱いたまま、他の人と付き合うなどできっこない。前を向いて歩いていきたいと言った洋子の気持ちは、至極当然のことなのだ。
言葉で何を言っても、相手は何も答えてくれない。しかも、きっと相手はこちらの気持ちなど、百も承知ではないだろうか。すべてを見透かされ、絶対的な優位を相手に与えてしまった。
「絶対的な優位」
それは、相手の死であった。
洋子は、墓参りを済ませると、隆二の兄の墓のある場所に行ってみたくなった。一度そう思ってしまうと、洋子は突っ走るタイプなので、人からは落ち着いて見られていても、集中していると、まわりが見えなくなる性格だというのも、分からなくはないだろう。
場所は知っていた。一度連れてきてもらったことがあったからだ。洋子と来た時は、洋子の事情もあるので日帰りだったが、兄弟で来る時は、数日間いることが多いという。
隆二と会えなくてもよかった。ただ、気分転換ができればよかった。そう思って隆二を追いかけていくつもりで、洋子は電車に乗り込んでいた。
墓地の場所も分かっている。前に来た時には気付かなかったが、金木犀の香りがしてきていた。どこから香ってくるのか分からない。だが、あたりには甘い香りが充満してくるのだった。
金木犀の香りを嗅いでいると、ホッとした気分になってくるのは、嫌なことをすべて忘れさせてくれるからなのかも知れない。
――本当にすべてを忘れさせてくれる――
それは、嫌なことだけなのだろうか?
洋子は、どうしても、いいことをすべて素直に受け止めることができない。いいことがあれば、その裏に必ず悪いことが潜んでいるものだ。
「嫌なことすべてを忘れられるのは、この世からいなくなった時だ」
と思っている。
この世からいなくなれば、一体どこに行くというのだろう。天国なのか地獄なのか、解釈は人それぞれだが、
「本当の地獄は、この世なのかも知れない」
と、思っている人も少なくない。
だから、人は宗教に走り、死んだ先で幸福になりたいと思う。
「マルチ商法がなくならないわけだ」
と、隆二が話していたのを思い出した。
隆二に対しては、自分の側からも、隆二の側からも、優位性を感じることはなかった。そういう意味では新鮮な相手だったが、逆に、それが本当なのかも知れない。洋子は今まで自分のまわりの人に対して、優位性を感じなかった人はほとんどいなかった。必ずどちらからかに優位性が存在し、立場が確立していたのだ。
却ってそちらの方が接しやすかった。自分の立場が明確な方が、相手との距離も測ることができるからだ。
優位性は、近親者になればなるほどハッキリとしていて、優位性を感じない相手には、どうしても距離があるように思えてならない。
「優位性のあることが、秩序を保っているのかも知れないわね」
と、以前隆子姉さんと話をした時に言っていた言葉だった、
今から思えば、それは隆子の洋子に対する「挑戦」のようなものだったのかも知れない。隆子は、洋子に対して、相手からの優位性を感じている。それは、洋子が感じているよりも数倍大きなものに違いない。優位性は相手に対して持っている人よりも、相手から受ける方が数倍大きなもののようだ。隆子もそれを感じているからこそ、敢えて洋子に対して、挑戦してきていたのだ。
洋子は、それに対して答えを出すことはできなかった。だが、洋子は自分の方が優位であることを自覚している。別に慌てることなど、何もないのだ。ただ、妹の由美も含めて、姉妹三人の間で三すくみが成立していることは、お互いに牽制し合っていることで、ある意味都合がよかった。
三女の由美は、自分が姉二人とは血が繋がっていないと思い込んでいたようだが、実際には、本当の姉妹だった。性格的に似ていないことと、洋子に対して優位性を感じていたことから、そう思うようになっていた。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次