隆子の三姉妹(後編)
日記を持って帰り、少し読んでみた。書かれているのは、それほど長い期間ではなかった。二か月ほどで終わっているのだが、終わった日の二日後に、ゆかりは心中未遂を起こして病院に運ばれていた。
この日記の存在を、隆子はもちろん知らなかった。ゆかりがここに自分で置いたわけもないのだから、誰かに託したのだろう。内容からすれば家族でないことは確かだ。こんなもの、見せられるわけもない。
ゆかりの家族は、ゆかりに対して冷徹とも言えるほど冷たかった。心中未遂があった後でも、見舞いには来たが、まるで義務を全うしに来ただけだと言わんばかりに、いかにも面倒臭そうな態度だったのは、見ていて胸が苦しくなるほどで、吐き気を催しそうになっていた。
「あの娘が自殺なんて企てるなんて、ご近所様に顔向けできないわ」
などと言って、もし、家に帰った後でも迫害を受けているのかも知れない。
ゆかりがレズビアンに走った原因が家族にあるのか、それとも、ゆかりがレズビアンになったことで、家族の目が冷徹になったのか、どちらにしても、ゆかりは家族に受け入れられる運命の娘ではなかったということだ。
心中の理由は、そのあたりにもあったのかも知れない。世を儚むには、十分な理由ではないだろうか。
「他に不幸な人はたくさんいる」
と、言われるかも知れないが、本人にしか分からない苦しみを考えもせずに、他人事のように言われるのを心外だと思うのは、ゆかりだけではないだろう。
そんなゆかりが日記を付けていたということは、日記の中に自分を照らして見ていたのかも知れない。ただ、それ以前の日記がないというのはどういうことだろう? ひょっとすると、この日記をここに隠した人が持っているのかも知れない。そこには、何かその人にとっては見つかっては困るものが書かれていたのだろうか? 隆子はその日記が、ここに書かれているのとはまったく違った内容であるように思えてならなかった。
隆子は、日記を見ていて、少しでも気になるところがないかどうか、ゆっくり見てみることにした。とりあえず、部屋に持って帰って、ゆっくり読んでみようと思ったのだ。この日記を見つけてから、今日で三日目、まだ半分くらいまでしか読んでいない。
それでも、ゆかり先輩が何を考えていたのか、漠然としてだが分かった気がした。
何かに怯えているのは、少なくとも分かってきた。何日かに一度は、日記の中に夢のことが載っている。夢の話ではなく、夢に対しての自分の見解というべきか、夢に対して意識していることを書いている。似たような内容もあるが、言いたいことをどう表現していいのか戸惑っている様子が伺える。それも他人ごととして見ているからであって、当人にはどれほど真剣なものなのか、想像を絶するものがあるような気がした。
その中で自分と同じような感覚を持っているように感じたのは、隆子がもう一人の自分を夢の中で意識しているのを感じたからだ。
ハッキリと明記しているわけではなく、他の人が見れば、そこまで意識しているのを感じることはできないだろう。
――私だから分かるんだわ――
と、隆子は感じたが、それと同時に、元々この日記帳を託された人も同じように、ゆかりの気持ちが分かっていたように思う。ゆかりの気持ちが分かる人間でなければ、ゆかり自身が自分の日記を誰かに託すなど考えられないからだ。
それが一体誰だったのか、隆子には分かるような気がした。しかし、敢えてそれを意識しないようにしている自分がいるのも事実であり、その人の存在を今までは自分に優位性があると思っていた相手であることを認めたくないのだ。その人への優位性があればこそのバランスが、ここで崩れてしまうことは、隆子は絶対に避けなければいけないと思っていた。まさか優位性への爆弾を、死んだゆかり先輩の遺品でもあるかのように残されるとは思ってもいなかっただけに、隆子は誰を恨めばいいのか、自分の気持ちの落としどころに困っていた。
ゆかり先輩の日記を見ていて出てくる夢は、情景まで浮かんでくるほどではないが、自分に置き換えてみれば少しは分かってくる。
――もう一人の自分に恐怖を感じているんだ――
それは三人目の自分であって、客観的に夢を見ている自分と、主人公である自分が存在しているところなど、目を瞑ると、シチュエーションさえ分かれば、イメージとして浮かべるのは、そんなに難しいことではない。
ゆかり先輩の日記が止まっている日を見ると、心中する一週間前のことだった。
その間に、心中するだけの何かがあったのか、それとも、この日記の中にこそ、何かの真実が存在するのか、隆子にはすぐに理解できることではないように思えた。日記を半分までしか読んでいないのは、一気に読んでしまうことができないからだ。
読んでいるうちに、どんどん想像が膨らんでくる。膨らんでくる間に次を読むと、せっかく膨らんでいる想像にストップを掛けてしまって、中途半端に終わってしまった想像は、次の日記にも影響してしまい、まったく違った方向に導かれてしまいそうだった。
――まさか?
それがゆかり先輩の作為によるものだと考えるのは考えすぎだろうか。ゆかり先輩は日記を残しながら、誰かに見られたくないという思いから、想像の腰を折るような内容をわざと膨らませて書いているのだとすれば、それはすごいことだ。
ただ、ゆかり先輩の日記を、どこまで拡張して想像するかによって、まったく違った性格に日記がなってしまいそうで、微妙な感覚に襲われる。
明らかに何かに怯えを感じているように思う。死を悟らせる何かがあるとすれば、この日記の中に含まれているように思えてならない。
この日記をここに隠した人のことを考えてみた。ここに置いておくということは、万が一誰かに見つからないとも限らない。ゆかり先輩から日記を託されるような人がそんな愚かなことをするはずもないように思える。
ということは、ここに置かれたのは作為があってのことで、わざと人の目に触れることを予期してのことなのかも知れない。この日記を最初に見つけるのが誰なのかを探っていたようにも思える、ひょっとすると、それが隆子であることを、その人は分かっていたのではないだろうか。
――ゆかりと隆子の関係を知っている人――
そんな人が存在するのだろうか?
ゆかりは自分に対してしたように、他の女性をそばに置くことも考えられなくもないが、だからといって、その人に、過去の相手である隆子の話をするかと言えば、可能性としては限りなく低いように思えて仕方がない。
隆子は日記が、最近のものしか入っていないことも気になっていた。
隆子と一緒にいる頃から、ゆかり先輩が日記を付けていたことは知っていた。その日記の所在が隆子には気になっていた。
「ここに隠した人が持っているのかしら?」
とも、思ったが、ゆかりの性格からすれば、それ以前の日記は処分してしまった可能性も大いに考えられる。過去の日記がどんなものだったのかは分からないが、少なくとも何かに怯えているような日記ではないはずだ。
「この日記は、それまでのゆかり先輩が生きてきたことの集約されたもののようにも感じるわ」
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次