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隆子の三姉妹(後編)

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 由美が考えていることの先に洋子がいて、それぞれに交わることのない世界を生きていながら、それが一本の延長線上に位置していることを、隆子は感じていた。その延長戦を一本にした内容が、スッポリと自分に当て嵌まるのではないかとも思っていた。
 だが、いかんせん、二人同時に何を考えているかを理解することは難しかった。由美のことを考えている時に、洋子のことを考えるのは難しく、洋子のことを考えている時に、由美の考えていることを想像することは無理だった。
 その考えは、隆二の考えに非常に似ている。しかしまったく同じではない。今はもう死んでしまって確認することは不可能となってしまったが、信二と隆子の間に性格的な一致はない。信二がどれほど兄弟のことで悩んでいたかということを知っている人は、誰もいない。
 何に悩んでいたのだろうか?
 それは信二が自分を顧みることでしか分からないことだった。信二が自分を顧みることは非常に珍しく、レアな状態だった。普段から何かを考えていないと気が済まない信二が、ふとした時、急に我に返って、何も考えられなくなる時がある。まるで能面のような表情と顔色になるので、分かる人にはすぐに分かるのだが、本当に稀なので、それを実感したことがある人は本当にいるのか疑問である。
 信二がいなくなって、隆二の性格が変わってきたという人もいた。それも一人ではなく、二、三人の意見であり、簡単に無視できるものではない。
「隆二君は、信二君に近づいたような気がする」
「乗り移っているのかも知れないぞ」
 などと、オカルトじみたことをいう人もいたが、あながち無視できないと裕也は思っていた。
 確かに隆二はたまに普段気にしないことを気にするようになった。元々、細かいことを気にする方ではなかった隆二だが、この細かさは信二のものだと人はいうのだ。
「長男が亡くなったので、自分がしっかりしないといけないと思うようになったんじゃないの?」
 という人もいたが、
「いや、それとも違うようだ。今まで気にしなかったものを急に気にするというのは、何か性格は変わってしまったように思えたとしても無理のないことだとは思わないかい?」
 と言われると、思わず頷いてしまう裕也だった。
 隆子は、今の状況を見ていて、
――もし、あの中に私がいたら、私も同じように金縛りに遭ってしまうのだろうか?
 と感じた。
 金縛りと言えば、先ほど動けなかった時のことを思い出していた。
 本当は動こうと思えば動けたのかも知れない。動こうとする自分と、動きたくないという自分の心の中の葛藤が、あの場面で繰り広げられたのかも知れない。動きたくない自分は決して表に出ようとしない。いや、隆子自身が、表に出したくないという意識を持って、作為的に打ち消してしまっていたのだろうか。
 隆子にとって、先ほどの金縛りに遭っていた時間が長かったのか短かったのか分からないが、夢が意外と短いものだという考えが頭にあるので、金縛りの時間も夢と同じで、さほど長くはなかったのかも知れないと思った。本当にあっという間の出来事だったと、後から考えれば思うことというのは、想像以上に多かったりするものだ。
 その間にどれほどのことを考えたというのだろう? 夢と同じでほとんど覚えているものはない。短い時間にたくさんのことを考えるということは、同じ時間に重複して考えるということなのか、それとも、重複しないほど、ものすごいスピードで時間が過ぎてしまっているということなのか、隆子には想像がつかなかった。
 そのことを考えていると、ゆかりが死を覚悟して、実際に心中を図った時、何を考えていたのかが気になってきた。心中を考えるようになってから、実際に死のうとするまでの時間は、さぞかし長く感じられたに違いない。その間に覚悟というものを固めなければいけない。ただの自殺と違って心中には相手がいることだ。
 当然、死ぬ勇気は尋常なシチュエーションなどではないことは分かっている。勇気と覚悟というものが同じものなのかどうかも疑問である。
 隆子は、勇気を持つということは、前に進むために必要な力を自ら自覚することだと思っていた。心中のような後ろ向きの考え方に対し、勇気という言葉を使ってもいいのかが疑問だった。
 そういう意味で、覚悟というのは、死を意識する時などに使う言葉で、
「死んだ気になって」
 という時に使われることもあるが、勇気とは背中合わせの言葉のようだ。
 ただ、勇気が表に出ている時に本当に覚悟は表に出ていないものなのか、逆に覚悟が表に出ている時に、勇気は表に出ることができないものなのかを考えると、分からなくなってくる。
 どちらも自分の中で同居できるもののように見えて仕方がない。それはまるで長所と短所のようで、それぞれに背中合わせだったり、すぐそばに存在するもので、なかなか同時に見ることが難しいだけのものではないかと思っていた。
 ゆかりが死んでしまった時も、自分では死ぬことを覚悟だと思いながら、最後の一決心をつける時、勇気が必要だったのではないかと思うのだ。
 勇気を持つことで、死へと誘う自分に、今まで見ることのできなかったものをたくさん見たような気がする。それは自分の中だけで存在を認めていたもので、誰にも話していないことなのではないだろうか。人には一つや二つ、意識しているしていないは別にして、そういうものが存在している。それを生死の境を目の前にして、やっと映像にして見ることができるのだ。
――これが死への誘いというものなのかしら?
 と思うような気がする。
 隆子は、今までそんなことを考えたことはなかった。死ぬ覚悟も勇気もないのに、死に対して正面から向き合うことなど、できっこないと思っているからだった。
「死というものを冒涜してはいけないんだ」
 という考えを持っているからであって、これは冒涜に関しては他の人も同じなのだろうが、それと覚悟、勇気という感情と結びつける人はなかなかいないだろう。
「私がこんなことを考えるなんて」
 まるで自分も死を意識しているようではないか。
 隆子は今までに死というものに向かい合ったことはない。
「死にたい」
 と思ったことはあった。それは隆子に限らず誰もが一度や二度はあるだろう。その程度の度合いにもよるのだが、直視できないことを最初から分かっていて、意識しようと考えていたのだ。
「死というものを直視した時、どんなことを考えるというのだろう?」
 隆子は、今までに知らなかった世界を見ることができるような気がしていた。
 やだ、それは違う世界が開けるという感覚ではなく、目の前にいる人の気持ちが分かる気がしてくるという感覚だ。その人の目になって、前を見てみると、世界が違って見える。ひょっとすると、自分をその人がどのように見ているのかまで見えるかも知れない。そう思うと、まず最初に自分を探すに違いないと思うのだ。
 だが、そんな時に限って、自分が見つからない。鏡などを見て、自分の顔は意識しているはずなのに、自分の知っている顔を見つけることはできないのだ。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次