隆子の三姉妹(後編)
と人はいうかも知れないが、自ら命を断とうする人の気持ちはその人にしか分からない。それをまわりが勝手な想像で、
「そんなこと」
と表現する権利がどこにあるというのだろうか。
もしそれが肉親であったとしても、許されることではない。死を意識した人に対しての冒涜になるのではないか。
隆子も自ら命を絶つ人は、弱虫だとまで思ったことがあった。しかしそれが浅はかな考えではないかと思うようになった。
「生きようと思っても生きられない人がいるのに、それを自らで命を断つなんて、生きられない人への冒涜だ」
それが本心から言っていることなのかどうか分からないが、隆子にはそれでも、死を意識した人の気持ちを無視していいということにはならないように思えてならない。
とは言いながら、隆子にはゆかり先輩が許せない。ゆかり先輩は一度は助かった命なのに、再度自殺を試み、本当に死んでしまったのだ。二度目は裏切りにしか思えなかった。
誰に対しての裏切りかというと、もちろん隆子自身に対しての裏切りであり、そして何よりゆかり先輩の自分自身に対しての裏切りである。
ただ、ゆかり先輩の中で、
「死ぬも地獄、生きるも地獄」
ということを、嫌というほど味わったのかも知れない。どうせ地獄を味わうなら、今は知らない死んでから行く地獄を味わいたいとまで思ったとしても無理はない。
本当に死んでしまったら戻ってこれないことは分かりきっているのに、そこまで頭が回らなかったのだろうが、そこまで行きつくには一体何がそこまでさせるというのか、やはり本人でないと分からない「聖域」が存在しているに違いない。
ゆかり先輩が死んでしまったことへのショックはだいぶ抜けてきたが、完全に記憶の奥に封印することはできないでいる。最終段階になって先に進まないことは隆子に苛立ちを与えた。
隆子はつづら折れの坂道を半分くらいまで来た時、ふと前から誰かがやってくるのを感じた。
反射的に隠れたが、なぜ急に隠れる気になったのか自分でも分からなかった。しかし隠れたことはとりあえず正解だったように思う。目の前に見えているのは、妹の由美と、以前家に訊ねてきた裕也だったからだ。
「どうしてあの二人がここに?」
隆子にはどうしても分からなかった。
――この場所は私だけのものであって、誰にも侵されたくないところだ――
と思っていたからだ。
神聖な場所を侵された気分になった隆子は、自分の頭の中の理論が音を立てて崩れていくのを感じた。
目の前にいる女性は妹の由美だということは分かっているはずなのに、妹として見ることができなくなっている精神状態に戸惑っていた。
いつも冷静に考えている隆子は、思考回路に狂いが生じることなどなかなかないことだった。先輩が死んだという話を聞いた時も、ショックであり、理屈が分からず戸惑ったが、その時に一番戸惑った理由は、先輩の死を自分のせいだと決めつけていたことからだった。
隆子は自分を責めた。何が悪いのか分からないが、自分が悪いのだという結論は持っている。その中でプロセスを考えるだけだったので、思考回路が崩れたわけではなかった。
その時は、かなり立ち直るのに時間が掛かった。思考回路が崩れていたわけではないのに時間が掛かったというのは、元々考えていた結論が間違っていたからである。
隆子は自分が悪いと思い、自分を責めた。しかし思考回路がどう考えても、先輩の死に、隆子が関わっているわけではない。それは当たり前のことだった。しいて言えば、
「あの時、別れてさえいなければ」
別れた原因がハッキリしないのは、自分で思い出したくないという気持ちの表れなのか、それとも、原因はどうであれ、別れたということが隆子の中でトラウマになっているということなのだろう。
だが、重要な別れたという理由がここまで曖昧であるにも関わらず、別れたことが先輩が死のうとしたことに影響があるなど、どうして感じたのだろう? 別れたという事実だけが先行してしまい、理由が後からついてきているからであろうか。
しかし、隆子はその時、先輩と別れたということだけしか見ていなかった。何かを考える時は、まわりから全体を見つめないと分からないということは分かるはずだった。
先輩がこの世からいなくなってしまってから、隆子の考え方は大きく変わった。それまで正しいと思っていたことを打ち消してみたり。逆に間違っていると思っていたことは、今では正しいこととして意識しているほどである。それを一つ一つ話していると、時間がいくらあっても足りない。こういう話をするのが好きだった隆子だったが、あまりにも内容が大スペクタクルに及ぶと、話もできなくなってくる。
それは年齢を重ねるほど、大スペクタクルは大きくなってくる。減ることはなく増える一方なので当たり前のことなのだが、それだけ人に話さなくなると、自分の中で抑え込むようになる。どこまで自分のキャパが耐えられるかなのだが、耐えられなくなるまでには当然自分の中から危険信号を発するはずなので分かるのだが、まだそこまでは酷い状態ではなかった。
ただ、耐えられなくなる前の信号が送られる前にも段階が存在する。
その段階というのが、
――意識の感覚がマヒしてしまう――
ということだった。
確かに隆子には、
――感覚のマヒ――
が存在したように感じた。そのせいなのか、隆子には耐えられなくなる信号が伝わったのかどうか、曖昧だった。
隆子は由美と裕也の姿を見ていると、ついついゆかり先輩とのことを思い出していた。したくないと思っていた後悔をしているようで、由美と裕也がどうしてここにいるのか理由を考えているつもりで、二人から何か責められているように思えてきたのだ。
その時、急に由美が遠い存在に感じられてきた。今まで本当の妹ではないのではないかという意識はあったが、不思議と、
「由美に限って」
と思っていた。
しかし、由美を見て本能的に隠れてしまった自分、由美のそばにいるのが自分のほとんど知らない人であるということが、思考回路をマヒさせた。しかも三姉妹の中で一番表情が豊かなはずの由美がまったくの無表情である。
「あれが由美に感情がない時の表情なんだ」
と、背筋がゾッとするのを感じた。
二人が向かう先には、隆子が参ってきた墓地しかないはずだ。二人に共通の誰が眠っているというのだろう?
隆子はそのことを頭に浮かべてはいたが、深くは考えられなかった。追いかけてみれば分かるからだ。
二人の歩幅は次第にゆっくりになってきた。
――時間の経つのがゆっくりになってきた?
と思いながら、二人の顔を覗き込もうとしたが、完全に逆光になっている。さっきまで木陰は完全に闇を示していたが、今は木々の合間から、光が漏れてくる。しかもその光は木漏れ日という程度の生易しいものではない、差し込んでくる光をまともに見てしまうと目が潰れてしまいそうなほどだった。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次