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隆子の三姉妹(後編)

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 ただ、夕方に来る方が多い。デッサンを済ませてから墓参りに来るからだ。朝くる時は、いつもが夕方なので、たまには気分を変えてみたいという思いが強いからで、やはり基本は夕方だ。隆子は夕方の時間が好きだった。いわゆる夕凪と言われる時間である。
「昔は嫌いだったのに」
 夕方、特に夕凪の時間帯を、隆子は子供の頃は嫌いだった。
 夕凪という時間には、無性に空腹感が襲ってくる。燃えているような空も嫌いだった。あれだけ真っ青だった空が、ここまで変わってしまうのは恐ろしい。そのくせ、襲ってくる暗黒の夜が怖いわけではない。
「星が出ているからかしら?」
 煌めく星を見ていると、昼と明らかに違う世界が広がっていることを考えさせられる。
――誰も、昼と夜の存在に疑問を感じないのだろう?
 まるで一足す一が二になるという理屈を覚えこまされた感覚だ。算数の基礎である一足す一を誰もが疑問に感じずに素直に受け入れている。ひょっとすると本当は疑問を抱いたのかも知れないが、納得したと感じた瞬間に、疑問に思ったことも、納得したことさえも忘れてしまったみたいだ。そう思うと、人間の記憶というのは実に曖昧なくせに、自分に都合よくできているものだということを感じることができる。
――妹たちとの関係も、同じようにどちらかが昼なら、どちらかが夜というように、お互いをまったく意識しない時が存在するのかも知れない。でも、それも意識の外のことなので、誰も気が付いていないのかも知れないわね――
 と、感じるようになっていた。
 時々、相手が何を考えているのか分からなかったり、話が通じなかったりするのは、途中が抜けているからなのかも知れないと思うと、納得できなかったことも理解できるのではないかと思えるのだった。
 隆子は、その日、夕方の時間の墓参りだった。金木犀をいつものように感じながら、墓参りを済ませると、いつも昇ってくる道とは別に、違う道が繋がっていたことに気が付いた。
「この道を行っても帰れそうね」
 いつもの階段とは違い、つづら折れになっている道を、ゆっくり降りていくことにした。こんな道があるなんて最初から分かっていればこっちから行ったのにと思ったが。なぜ今まで気付かなかったのか、隆子は不思議だった。
「こんなにハッキリとして見えているのに、不思議だわ」
 道なりに歩いていると、途中から風が吹いてきた。ちょうど、夕凪の時間が終わったのかも知れない。ここから先は夜のとばりが襲ってくるまで時間の問題だった。
「今日はいつもよりも少し遅かったのかしら?」
 と、思ったが、時計を見ればそんなこともない。まるで季節が一日で、一月分過ぎてしあったような感覚だ。
「そういえば、風も心なしか冷たい」
 昨日まで聞こえていた騒々しいセミの鳴き声も、今日はすっかり失せていて、聞こえてくるのは、秋の虫の声だった。
「こんなに一足飛びに季節が進むなんて」
 秋は落ち着いた気分にさせられる。それだけ余裕を持てる時期なのだが、だからこそいつも通ることのない道を歩いてみようと思ったのかも知れない。
 普段なら、もし新しい道が見えていたとしても、果たして行ってみようと思ったかどうか。いや、きっと行ってみようなどと思わなかったに違いない。知らない土地で、しかも、夕暮れということになると、危険極まりない思いがしてくるからだ。
 そういう意味では隆子は臆病だった。
 子供の頃のお化け屋敷、肝だめし、言葉を聞いただけで、ゾッとしていた。そんな隆子を面白がって、よくからかわれたものだ。それでも苛めの対象にならなかったのは、やはり隆子の中に何らかの仁徳のようなものが存在していたからなのかも知れない。
 臆病な隆子だったが、妙に度胸が据わったところがあった。他の人皆が怖がったり薄気味悪いと思うことに対しては、却って隆子だけが怖さがないように見えた。
 ただ、それは開き直ったからで、精神が気持ちを凌駕したのかも知れない。そういう意味では、本当に隆子が臆病なのかどうか、誰も臆病だと言える人はいないのではないだろうか。
 隆子は、次第にあたりが暗くなって行くのを感じると、そこが、暗黒のトンネルに続いているのではないかと思えてきた。
「見えているものすべてが、モノクロに見える」
 道端に花が咲いているが。色はついていない。まるで白黒映像を見ているようだ。
「昔の白黒映像の方が、却ってリアルな感じがするって思ったことがあったわね」
 昔の映像をテレビで特集したりすることがあるが、事件や事故、あるいは戦争の映像など、ほとんど白黒映像である。人によっては、
「色がついていないから、そんなにリアルな感じはしないわ」
 と感じている人がいるかも知れない。
 しかし、隆子は色がついていないからこそ、余計に想像力が増して、よりリアルに感じると思っていた。
 隆子は、そう思いながら、右手で耳たぶの後ろの髪の毛を掻き始めた。これが隆子の考え込んだりした時のくせだった。
 色がついていないことでリアルに感じるのは、夢も同じではないかと隆子は考えていた。
 夢は目が覚めた時には覚えていないことが多いと言われるが、覚えていたとしても、夢の中に色は存在しない。
「色が存在していれば、夢というのも覚えているのかも知れない。夢を覚えていないから、夢に色がないのか、色がないから覚えられないのかが分からない。いや、それ以外にも想像できないような理由が存在しないとも限らない」
 と、考えればきりのない堂々巡りを繰り返してしまう隆子だった。
 暗黒のトンネルに恐怖を感じながら、ここから引き返す方が却って時間が遅くなって、もっと恐怖を感じることになると思う隆子は、そのまま進むことにした。それは恐怖を感じることはあっても、恐怖を感じることで、お化けや幽霊の類が出てくることは絶対にないという、根拠が微妙な考えによるものだった。
「恐怖を煽っているのは、他の誰でもない。自分自身なんだ」
 と隆子は思っている。
 それだけに自分の選択が大きな意味を持つ。誰のせいでもないということは、自分の選択がすべて、そこに運を感じてしまうと、臆してしまうのではないかと思う。思い立ったら、一気にまくしたてるしかないというのが、隆子の考えだった。
 前に進むしかないという状態はハッキリしている。足踏みなどしている暇はない。躊躇すればするほど、夜は確実に近づいてくるのだ。
 そこに分岐点があるとすれば、
「天国と地獄」
 なのかも知れない。
 そのどちらも本当は死ななければ行くことはできない。しかし、本当に天国も地獄もあの世にしかないのだろうか?
「死ぬも地獄、生きるも地獄」
 という言葉を聞いたことがある。借金地獄などという言葉もあるくらいだ。突っ込んでしまってはいけない世界に足を踏み入れると、抜けなくなることもこの世には少なくない。特に男女関係において苦しんでいる人は、今の言葉が身に沁みているだろう。中には自業自得の人がいたとしても、誰も助けてくれない状況に陥ったことを自覚してしまえば、きっと、地獄を見るに違いない。その人が自ら死を選ぶことも十分に考えられる。
「そんなことで」
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次