隆子の三姉妹(後編)
と思うようになった。姉や妹に対しても同じことを感じた。肉親であっても、心の中まで侵入してくることはないと思っている。もちろん、自分も勝手に相手に侵入することはない。洋子は自分のまわりに侵すことのできない「結界」を作った。
だが、隆二と知り合って、姉妹たちを見てみると、何と二人にも結界があるではないか、これ以上は入り込むことのできないこと、それはやはり肉親であっても同じことだった。
――いや、肉親だから見えるのかも知れない――
ただ、結界は由美にも見えた。洋子の考えている肉親というのは、血の繋がりとは関係がないのだろうか。
そう感じた時、由美に対して、血の繋がりのないことへの、何かこだわりを持っていた洋子は自分が抜け殻のようになっていくのを感じた。身体から離れた魂が、相手からは見えないのをいいことに、相手の心を見つめようとしていることに自分で気付いた。
由美は洋子が自分に近づいてきていることが分かったようだ。だが、由美は警戒心を強めようとはしなかった。むしろ、
「入ってくるなら、入って来ればいいわ。いくらでも見せてあげる」
とでも、言いたげだった。
では、自分が逆の立場ならどうだろう?
由美が自分を見ようとしている。
――何を見ようとしているのだろう?
まず、最初にそれを感じるに違いない。しかし、今まで由美が自分に何かを知ろうとしたことがないと思っているので、まったく想像がつかない。
怖い気もするが、何が知りたいのか分かれば、対処もできる。そして何よりも、今までの優位性を逆転できるかも知れないと思うに違いない。
そう思うと洋子は由美を甘んじて受け入れようという気持ちになるかも知れない。
由美が洋子の侵入を受け入れたのは、同じような発想があったのかも知れない。
だが、どうもそれだけではないようだ。こちらが入りこもうとするのをいいことに、入りこんだら、今度は逃がさないというような意図も感じられる。甘んじて受け入れることで、相手を逆に知ることができる。この考えは洋子の中では手に取るように分かった。
洋子は隆二に墓参りに誘われた時、断ることもできた。もし、今までの洋子なら、時期尚早という判断を下していたかも知れないからだ。
恋愛に不器用な洋子は、決して無理なことはしない。無理なことをして、後悔したくないというのが洋子の考え方だった。
恋愛経験がほとんどないのは、自分が恋愛に不器用だからだというわけではなく、恋愛に不器用だという風に思っているからだということにいつになったら気付くのだろう?
それを一番分かっていて気にしているのが実は由美だということを、洋子が知ったら、どんな気持ちになるだろうか。
由美はその顔が見たいと本当は思っていた。洋子が由美のことを分かっているよりも、由美が洋子のことを分かっている方がかなり多い。それは二人の度量に大きな影響があるのだ。
度量としては、妹の由美の方が大きくて深い。
これは姉の隆子から見た目であるが、考えていること、さらに自分の考えに対してどれほどの幅を広げることができるかということを一番分かっているのが由美だった。
しかも、由美は長所と短所をしっかり把握していて、まわりとの協調を無難にこなしている。だからこそ、あまり妥協しないのだと隆子は見ていた。要するに「大人」の考え方ができる女性なのだ。
隆子はそんな由美に一目置いている。由美もそれを分かっているので、隆子の意見に逆らうことをしない。優位性はそんな二人の関係から滲み出てきたごく自然に発生したものだった。
では、洋子に対してはどうだろう?
洋子は、隆子から見ても、由美から見ても、謎の多い女性だった。
自ら結界を作っていて。侵入しようものなら、何が起こるか分からないという意識を相手に与えている。洋子が最近自分の結界に気が付いたようだが、無意識の結界だと見えていただけに、二人は気になっていた。
隆子にも由美にも決して自分の中で結界を作っているわけではない。まわりからそれが見えるわけでもない。洋子の気のせいには違いないが、そんな妄想を抱くことは、洋子にとって、自分自身にもまわりにも大きなマイナスイメージだった。
洋子はそのうち、世の中の全員に、結界が存在しているのではないかという妄想に駆られたことがあった。それがちょうど、好きだった人を失った時であって、洋子のそれまでの性格からすれば、好きだった人を失ったショックに耐えられるかどうか、隆子には少し怖さがあった。
隆子が心配していたのは、洋子が思いあまって、自殺を考えないだろうかという最悪の展開と、もう一つは、洋子が考え込んでしまった挙句に、自分の殻に閉じこもってしまって、まったく出てこなくなってしまうという二つの危惧であった。
実際には、最悪の展開を迎えることはなかったが、洋子は自分の殻を作ってしまい、そこから出てこなくなった。まるで、
「天岩戸に閉じ籠ってしまった天照大神」
のようではないだろうか。
こうなってしまっては、誰か力の強い屈強な人間が扉をこじ開けるか、作戦を考えて、表に興味を出させるか、あるいは、氷塚気持ちが氷解するのをただ待ち続けるかのどれかしかない。
最後の一つは現実的ではないが、最初の考えは、もっとまずい。その時はうまく行ったとしても、強引にこじ開けたのだから、いつ元の戻ろうとするかも知れない。強引に引っ張ると、必ず反動があるものではないか。
ただ、作戦を考えるにも、洋子の根幹にある性格が分からない。一歩間違えると、取り返しのつかないことに繋がるかも知れないからだ。
それこそ、入り込んではいけないその人のプライバシーの侵害になってしまう。一度信用を失うと、取り戻すには数倍の労力と時間を要する。ことは慎重に運ばなければいけない。
最初は、洋子のことをあまり気にしないようにしようと、隆子は考えた。かと言って、いつまでも放っておくわけにはいかない。天岩戸をこじ開けるには、段階を踏むという作戦を考えなければいけないと隆子は考えていた。
「こんな時、ゆかり先輩ならどうするだろう?」
先輩がまだ心中する前のことだったので、別れてしまった先輩だったが、今でも尊敬している唯一の人であることには変わりない。ゆかり先輩のつもりで考えようと思ったのも無理のないことだった。
「あなたにだって、一人になりたいと思うことあるでしょう?」
どこからか、ゆかり先輩の声が聞こえてきたような気がした。
「はい、もちろん、ありますよ」
「じゃあ、どうしてその思いになってみないの? 洋子さんは今一人になりたい、一人がいいと思っているんでしょう? だったら、その気持ちにどうしてなろうとしないんですか?」
隆子はそれを聞いて、目からウロコが落ちたような気がした。
「そうだわ。ずっと相手の身になって考えようと思っていたはずなのに」
「それはあなたが、一人でいることが悪いことだとして勝手に思いこんで、考えないようにしていたからなんじゃない?」
「ええ、確かにそうです。私にだって、一人になって考えたいと思うことがありますからね」
「それだけなの?」
「えっ?」
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次