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隆子の三姉妹(後編)

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「つまりこういうことさ。君はお姉さんとこれから出会うとして、出会った時のことを想像し、その時のイメージが最初に浮かんでくるんじゃないかな? でも、その意識は実に薄いものとして、記憶の中に無意識に格納されてしまう。そうなると。君は、そこから遡った『お姉さんがそばにいる』という思いに勝手に移行しているのかも知れないね。これは記憶の改ざんになるような気がするんだけど、それを君自身が許せることではないので、ほとんどの記憶がなくなって、最初の意識だけが残ってしまった。君の感じる記憶の欠落というのも、案外同じところに行きつくんじゃないかな?」
 同じようなことを何度も繰り返して、くどいくらいに話をしたことで、裕也は由美の発想を袋小路に閉じ込めて、何とか考えさせようとするのだった。
 由美は、裕也に洗脳されてしまうのではないかという発想もあった。あまり人の言うことは信じないうようにしようというのが由美の基本的な考え方だった。そのことを教えてくれたのは、洋子だった。洋子が由美に口で何かを説明したというわけではない。言われたことを、
「はい、そうですか」
 と言って納得するほど由美は素直な性格ではなかった。
 素直ではないが、その分、自分の頭で考えるようにしている。そんな由美が何も考えていないような素振りをする時というのは、相手の話を鵜呑みにしてはいけないと思った時や、裕也のようにしつこく言われて洗脳されそうになった時であった。
 洋子が、好きだった彼を、山で亡くした時のことだ。それまでは人と話をする時、いつも何かを考えているのが分かっていた洋子が、その時、まるで抜け殻のようになって、何も考えられない状態に陥っていた。
 由美には、洋子の心の中まで覗けるわけではないし、洋子に好きだった男性がいたということすら知らなかったくらいだ。
 ただ、抜け殻のような表情だったが、目はいつもの姉と変わらなかった。もし、その時姉の目までが抜け殻のようになっていたら、今の由美も違った性格になっていたかも知れない。
「私のこの性格には姉さんによる優位性が大きな影響を与えているんだわ」
 そう思うようになってから、由美は姉が自分のそばに来た時に分かるようになったのだ。
 姉が近づいたことが分かるということを裕也に話すと、
「きっとそうなんだろうね。何だか『信じる者は救われる』という言葉があるけど、まるでそんな感じがしてくるよ」
「えっ、それはどういうこと?」
「そのうちに分かってくると思うけど、でも、優位性に対して、それが何を意味しているのかということに気付く時がくれば、その時に分かってくるんだと思うよ」
 裕也の話を聞くたびに、首を傾げてしまう気持ちにさせられることが多いが、ただ、それもその時々の話を点としてしか見えていないからで、線で結ぶと何か一つの結論が生まれるのではないかと思うようになってきた。それが分からない間は、裕也の話を信じているしかないと思っている。
 金木犀の香りに、次第に慣れてくるのを感じてくると、今度は線香の香りが鼻を刺激してきた。
 金木犀の甘い香りは、そこにあっても、どこから香ってくるのか分からない時がある。それは、少々遠くにいても、甘い香りに誘われて、気持ちだけがまるで金木犀に囲まれているかのような感覚に襲われる。それは、見えない暖かい腕に抱かれているかのように思えるのだ。
 暖かい腕は、緩やかに大きな波を誘う。目を瞑っていれば船に揺られているかのような感覚だ。
 どうしても船酔いから逃れることのできない由美だったが、この時に感じた大きな波は決して酔いを誘うことはない。心地よさからそのまま眠りこんでしまうのではないかと思うほどだった。
 線香の香りは、逆にどこから香ってくるのか、すぐに分かる。もし分からなければ、不安に陥ってしまうのが線香の香りであろう。
 その場所には、必ずふさわしい匂いというのが存在する。墓地であれば、線香の香りは当然、ふさわしい匂いである。金木犀の香りは、墓地にふさわしくないと思われがちなのだろうが、
「香りはしてくるのに、それがどこからなのか分からない」
 という意識は、
「これほど、墓地にふさわしいこともないのかも知れないわ」
 と、由美は思うようになった。
「こちらからは見えないけど、向こうから見えてくることもあるんだわ」
 それが、血の繋がりのない姉の存在を感じている自分と似ていることに、由美は気付いていない。血の繋がりがどれほどのものなのか、由美にはきっと分からないだろう。
 裕也は、金木犀の香りを嗅いだことで、由美に対して、
「俺はお前の弟なんだ」
 と言えないことの辛さを感じていた。
――血の繋がりなんて、クソ食らえだ――
 と、裕也はそう思っていた。
 血の繋がりがある以上、男女の付き合いはタブーである。
――じゃあ、俺は一体何をやっているんだ。これじゃあ、ピエロよりもひどいじゃないか――
 と思っていた。
 まるで人身御供のような気持ちになっている。決してあってはいけないことを自覚しながら、それが目の前に広がっているのだ。
――俺がどうしてこんなに苦しまなければいけないんだ――
 心の中でそう思いながら、能天気に見える由美が羨ましかった。だが、実は由美にも裕也の苦悩している姿は見えていた。理由は分からないまでも、
――私がそばにいてあげよう――
 と思うようになっている。
 そばにいるだけで、それだけでいい相手という存在を、今までの由美は信じられなかった。人を好きになったのなら、一緒にいないと我慢できない。それが恋愛なのだと思っていた。
 そばにいたいと思うことの延長が、恋愛感情なのか、それとも、恋愛感情があるから、そばにいたいと思うのか。由美は当然、後者だと思っていた。だから、そばにいるだけでいいという相手にそれだけで満足できるはずはないと思うのは当然のことだ。
 だが、前者であれば、そばにいるだけでいいという相手だという理屈になるとも思えない。それよりも、そばにいたいという感情と、恋愛感情とは、別に一つの線上に広がっている必要はない。そう思うと、由美は裕也のことを、恋愛感情以外に、他の感情を抱いているのかも知れないとも思える。
 そこまで考えてくると。
――由美は、ひょっとして俺たちに血の繋がりがあるのではないかとウスウス感じているのかも知れない――
 とも思えてきた。
 由美は、時々表情が一変する裕也の顔を感じることがあった。
 その時に、
――どこかで会ったことがあったのかな?
 と感じることがあった。それは、昔の記憶というよりも、デジャブに近いもので、本当に裕也だとは思っていない。似たような表情をする人を見たという記憶が意識の中のどこかにあって、その思いにどこか時間差を感じる。
 由美はその辻褄の合っていない時間差の辻褄を合わせるために、以前どこかで会ったような気がすると思おうとしているのかも知れない。
「デジャブというのは、感情であり、決して現象ではない」
 と、何かの本で見たような気がしたが、そのことを思い出していたのだ。
 金木犀の香りから、線香の香りへと変わり、すぐにまた金木犀の香りが戻ってきた。
――線香が消えたのかな?
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次