隆子の三姉妹(後編)
由美のことを一番気にしているのは洋子だった。
洋子は、由美に対して、目を見て話をするように促していたが実は、目を見られないことにホッとしていた。もし、目を見て話されると、自分の気持ちの奥底まで見られてしまう気がするからだ。
それは、洋子にもモヤモヤと漠然とした感覚であり、まるでマグマのようにドロドロとしたもので、
「冷たく燃えている感情」
という表現が一番ぴったりくるかも知れない。
その感情は、由美も感じていたが。ただ、その思いが洋子と視線を合わせない理由だというわけではない。
洋子と由美の間で、視線を合わせられない理由に微妙な開きがあることを、お互いに分かっていない。ただそれをもし分かっている人がいるとすれば、それは隆子ではないだろうか。隆子は二人の間を中立の立場で見ることができる。だが、厳密に言えば、洋子に近いのかも知れない。それが血の繋がりということであり、どうしようもないことだ。
どうしようもないことを理解しないまま、二人を見ていると、ある程度までは分かってくるが、肝心なところまでは分かっていない。それは洋子にも由美にも漠然としているところで、結局、誰も肝心なところが分かっていないのだ。
そうなると、肝心なところが顔を出す時は、本人に意識がない間に芽生えてくることになり、肝心なところが表に出てきたことを最初に誰が感じることができるかと言えば、隆子ではないだろうか。やはり、客観的にものを見ることができる人間が、二人の間に存在する衝突や感情を悟ることができるのだ。
隆子が見ていて、洋子と由美の二人の間の感情で、押しているのは、由美の方だった。それは優位性がもたらしたものであり、客観的に見ているのだから、それこそ当然のことに思える。
押しているのは由美の方だが、どちらが強いオーラを発揮しているかというと洋子の方である。オーラというのは、醸し出ているものであって、醸し出しているものではない。まるで温泉から上がってきて、身体から発散される湯気を見ているようだ。
しかし、洋子が発散しているオーラは醸し出ているものではなく、醸し出しているものだ。
洋子に自分でその意識があるかどうかは分からないが、結果的に洋子の方から醸し出しているものである。
それは、無意識の中で全身全霊を込めて、由美に対して向けられているものだ。
「全身全霊を込めることができるのは、無意識の中に意識を持った時だけなのかも知れない」
と、洋子は後になって気付くのだが、その前兆になったのが、この時のオーラだったのではないだろうか。
洋子は、本当は自分が何もかも知っているのではないかと思うことが時々ある。そんな時に限って、
「そんなことは知りたくもない」
と思っていることばかりなのではないかと思うのだ。
隆子は、そんなことを洋子が思っているとは知らないが、そのことを考えている時の洋子は、普段と違って、自信のようなものが漲っているように思う。
もちろん、洋子の中に自信などという意識はない。普段から、自分には自信を持つことができないという意識があるからだ。
それだけに自信過剰の人間を洋子は一番嫌いだったりする。いつも冷静に見えているのは、そんな感情も含まれているからであって、本当は無意識の中に存在している冷静さなのではないだろうか。
隆子にはそのことが分かっていた。分かっていて何も言わない。洋子が自分に対して優位性を持っているのは、隆子が分かりすぎていることに影響しているのではないかと思うようになっていた。
そういう意味では、洋子が由美のことを分かりすぎるくらいに分かっているくらいに、由美は隆子のことを分かりすぎるくらいに分かっているのだろうか?
分かっているというよりも、気になって仕方がない気持ちになることが、頻繁にあることで、
――もっと知りたい――
という感情がこみ上げてくると、血の繋がりは別にして、一緒の環境で育ってきたのだから、ある程度まで知ることはできるはずだ。
ただ、それが、
「知りすぎていること」
になるのかどうかまでハッキリと分からない。
三姉妹の中で知りすぎていると言えるのは、洋子が由美に対してだけなのかも知れない。それが由美の洞察力によるものなのか、由美の中で知られたくないという思いがさほど大きくなく、洋子の視線を受け入れるだけの門戸を開いているからなのか分からない。
隆子が全体のことを掌握していれば、三人の中での三すくみなど存在しないのかも知れない。隆子はしっかりしているつもりでも、三人が距離を適度に置いていることで、把握できない部分が大きい。
由美は、洋子が近づいてきたら分かるというが、それも、自分のことを掌握されているという意識からの、恐怖心が煽られることで、神経が研ぎ澄まされた結果なのかも知れない。
洋子が近づいてきていると感じた由美は、思わず逃げ腰になってしまっていることを、裕也に看破されていた。
「どうしたんだい? 何か不安なことがあるのかい?」
由美が何かに怯えているのは、前から分かっていたが、それが洋子に対してだということまでは知らなかった。しかし、裕也はその少しあと、由美が怯えている理由を知ることになる。そして、そのことが由美の中で繋がらなかった糸を、一本に修復することになった。一本の糸が繋がった瞬間を今までに見たことがなかった裕也は感動を覚えたが、実は自分の中にも、どこかで切れている糸があるのを自覚していた。
それが自分だけで解決できるものではないということが分かってくると、身内に対しての見方が少し変わってくる気がした。
――自分の知らない自分を知っているんだ――
と思うようになると、まるで目の前に鏡が置いてあるのではないかという錯覚に陥ってしまった。
それはマジックミラーのようなもので、自分からは相手を確認することはできないが、相手からはこちらの様子が手に取るように分かる。それが心の中のことであれば、なおさら相手に見透かされていることになる。見透かされていることを自覚しているということは、マジックミラーとしての機能は度返しにして、相手に悟られることで、見透かされているという恐怖心を植え付けることになるのだ。
「何でもないの」
と、由美なら答えるだろうと思っていた裕也だったが、
「実は、洋子姉さんが近くにいると、私には分かるの」
と答えた。
由美は、他の友達には、姉が近くにいると分かるということを話していたが、裕也に対して初めて話したような気がした。
――どうして、今までは話さなかったんだろう?
という思いがあったのと同じように、
――どうして、今なんだろう?
という思いが交錯した。
由美は、本当は洋子に対して優位性を持っていることを知られたくなかった。姉がそばに来ると分かるということを話してしまうと、
「どうして分かるんだい?」
と聞かれるだろう。
「何となく」
と答えればいいのだろうが、それであれば納得するとは思えない。いずれ話をしておかないと、姉に対して優位性があるくせに恐れているのを悟られることになる。お互いに恐れを感じているという関係はが何を意味しているのか、由美には分からなかった。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次