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隆子の三姉妹(後編)

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 今までにもう一人の自分が現れた時、自分の意志に反して、もう一人の自分の思惑通りになっていた。今回も同じようにこの男の思惑通りになってしまったことが悔しい。
 だが、好きになってしまったことを後悔していない。むしろ、好きになれる相手が現れたということの方が裕也には嬉しかった。
「姉だから好きになってはいけない」
「こんなことを言いだしたのは誰なんだ? 別に構わないではないか。倫理や道徳などクソ食らえだ」
 と裕也は思うようになった。これが開き直りというもので、逆切れとは違うと思っている。
 裕也はまだ由美を抱くことはしない。正直、抱きたいという意識がない。
「好きになることと、身体を欲することとは、本来別なのかも知れない」
 と思った。
 だが、それが微妙に違う感情であることに気付くまでに、それほど時間は掛からなかった。
――好きになったから身体を欲するのか、それとも身体を欲するから相手を好きだと思うのか――
 裕也は、そのどちらかだと思っていたのだが、そうではなく、最近思うことは、そのどちらも真実だということである。やはり好きになることと身体を欲することは別物ではないということである。裕也が由美の身体を欲しようと思わないのは、好きという感覚の種類が違っているからだと考える方が、説得力がある。
 それがいとおしい思いなのか、それとも相手を自分のものにしてしまいたいという「欲」というものから来ているのかの違いである。
 欲が前面に出てしまうと、身体に対する欲は必然である。身体を重ねることが大きな目標ではあるが、本当に相手のことが好きであるなら、身体を重ねることは目的完遂ではなく、プロセスの一つである。それも一つの愛の形であり、尊い気持ちの一つに違いないと思う。
 しかし、裕也は今まで愛の形は、身体の関係ありきだと思っていた。だから、由美に対して相手が妹だと思うことから、好きになることはないと思っていた。
 だが、実際には愛おしさがこみ上げてきた。それで終われば姉弟としての愛情で済むのだろうが、裕也にはそれで終わる気がしなかった。
 愛おしさも、次第にこみ上げてくると、相手の身体を欲するようになる。つまりは、相手を好きになるきっかけとしての愛おしさなのか、それとも最初から姉としての愛おしさなのかどちらなのかが分からなかったからだ。
 裕也は、今まで年上に憧れることが多かった。それは、自分に姉がいるということを知った時、姉への憧れがそのまま、
「年上好き」
 に変わってしまったのかも知れない。
 年下に興味が失せたわけではない。由美のように年上でありながら、甘えられたり、慕われたりすることが裕也にとって一番の快感だったからである。
 由美は、裕也が身体を求めてこないことにいつ痺れを切らすだろう。裕也は、もしその時自分が由美の身体を欲していれば、一線を超えてもいいと思っている。感情を愛情に混じり合わせると、そこから先は本能の赴くまま行動すればいいのだと思っている。
 由美は今まで恵まれた生活ができていたように裕也の目には見えていたが、実際に一緒にいると、由美はどこか寂しそうな顔をする時がある。そんな時、裕也はドキッとした気持ちにさせられる。
 大人のオンナとしての妖艶さを感じるようにも思うし、寂しそうに虚空を見つめるその先に、ひょっとして自分の姿を思い浮かべているのだと思うと、裕也はまたしても愛おしさを感じ、抱きしめてしまいたい衝動に駆られるのであった。
 普段は、大人の雰囲気を醸し出すような妖艶さを感じさせることのない由美なのに、寂しそうな雰囲気が似合っているというのだろうか。
 人は見る角度によってまったく違って見えることがある。少し斜め前から見ると、相手が正面を見ていても、少し向こう側を見ているように感じる時がある。それは自分を中心に考えるからだ。しかも、その時に日差しが当たっていると、表情に大きな違いが出てくる。思ったよりも顔が小さく見えたりするのもそのせいだ。シルエットの部分が顔を小さく感じさせるからに違いない。
 さらに表情が違って感じるのは、相手がこちらをまったく意識していないと感じるからだ。こちらから視線を逸らしたということは、顔を合わせることのできない何か事情がある場合か、あるいは、何かを考えていて、集中できていないかのどちらかであろう。後者であれば、相手は自分のことしか考えていないことになり、こちらが入り込む隙間すらないのかも知れない。
 また正面から相手を見る時は、こちらが気後れしないようにしないといけないという気持ちが強く、余計な緊張が顔面に入ってしまう。それが目力になっていればいいのだが、睨みつけているように思われると最悪だ。相手が怯えてしまうか、警戒心を持たせるか、どちらにしても、それ以上の歩み寄りは難しい。視線を合わせることができない人は、このことを意識しすぎているのかも知れない。
 由美の場合は、相手の顔をまともに見ることができないことが多い。ただ、それは初対面の人や、あまり馴染みのない人に対してのことではない。親しい人に対しての方が多い。相手が洋子や隆子であってもそうだ。まともに顔を見ることができなかったりすると、
「あんた、ちゃんと目を見て話をしなさい」
 と、よく洋子から言われたものだ。
 洋子に対して優位性を感じているはずの由美なのに、目をまともに見ることができない。目を見てしまうと、優位性が発揮できないばかりか、今まで培ってきた優位性までリセットされそうに思うからだ。
「まるでメドゥーサみたいだわ」
 メドゥーサというのは、ギリシャ神話に出てくる女性で、髪の毛がヘビになっている。その視線に見つめられると、どんなに屈強な人間であっても石にされてしまうという力を持っている。
「メドゥーサって死んでも、その能力は消えないっていうけど、女の一念というのはすごいわね」
「それを執念というのかしら? 私たちにもそんな執念ってあるのかしら?」
 という会話を友達としたことがあった。
 洋子と目を合わせてしまうと、知りたくもないことを悟ってしまう予感があった。それがどんなものなのか想像もつかなかった。洋子の方でも由美が視線を合わせることができない理由を、漠然としてだか分かっている。そして、自分たちに血の繋がりのないことを、由美が悟ってしまうということも、洋子にとっては、避けたいことだった。
 由美が他から知ることに関しては仕方がないことかも知れないが、自分の視線から悟られるというのは、きっと洋子にとって、後々まで後悔の念に悩まされることになりそうで、それが怖かったのだ。
 由美にとって、自分のことを知りたいという気持ちは人一倍強いのではないかと洋子は思っていた。
 三姉妹の中で生活していると、成長していく過程の中で由美の中に好奇心とは別に、
「もっと自分のことを知りたい」
 という気持ちが溢れているのを感じるからだった。
 自分のことを知りたいと思うことは好奇心とは違うものだと洋子は思っていた。もし、由美が自分たち姉妹のことをもっと知りたいと思っていたとすれば、それは好奇心という言葉では片づけられないものが、由美の中に存在しているからに違いない。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次