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隆子の三姉妹(後編)

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 記憶を封印するには、いくつもの段階を踏まなければいけないことになる。時間もかかるし、その間に心境が微妙に変化してしまっては、記憶を封印するなど難しいと思っている。
 大体そんなに簡単に記憶を封印できるのであれば、苦しむなんてこと、そんなにあるわけがないだろう。この思いは洋子一人で抱え込んでいるつもりでいたが、本当は同じ感覚でいるのは、隆二も同じだった。だからこそ、隆二に洋子は惹かれるのだろう。
 隆二は、洋子の気持ちをある程度分かっているつもりだ。
――この女は、俺と同じ傷を持っている――
 と感じていた。
 三兄弟の中で一番頭がいいのは、隆二だった。
 三兄弟の中で一番機転が利くのは、亡くなった長男だった。そして、一番したたかではないかと思えるのは三男の裕也だ。隆二はその中でも一番頭がいいと思うのは、先を読むことができるところだった。
 頭の回転の速さもそこには含まれていて、若干の勘もあった。
 洋子と付き合う男性は、それくらいではないと務まらないかも知れない。
 洋子も頭の回転の速さに関しては、負けていないかも知れない。だが、洋子の中にできてしまったトラウマは頭の回転の速さを微妙に鈍らせる。しかも、それは肝心なところで起こるので、最終的な判断を誤ってしまう可能性は大いにあった。
 自分で頭の回転の速さを自覚しているだけに、最終的な判断を誤るかも知れないことを意識しているだけに、自分が怖くなるのだ。
――自分を信じられなくなってしまっている――
 それがトラウマが引き起こした副作用ではないだろうか。洋子にとって隆二と付き合うことはある意味
「諸刃の剣」
 と言っても過言ではないだろう。
 金木犀の香りを感じながら、
「お姉さんも、同じ香りを嗅いだのかしら?」
「きっとそうだよ、でも、君のお姉さんだけだもんな、二人に関係があるのは」
 隆二は、隆子とゆかり先輩のことも知っているのだろうか? 関係という言葉を敢えて選んだのか、それとも偶然なのか、洋子は隆子と一緒に住んでいたのだから、いくら隆子が隠そうとしても分かるものである。特に同じ女なのだから、
「信じられない」
 と思いながらも、
「そういう関係もありなのかも知れないわ」
 とも感じていた。
 それだけに、この間のベッドの中で、洋子が妹の名前を呼んだことで、
――隆二さんが、私と由美との関係を疑っているのではないか?
 と思うようになった。
 いくら何でも、隆二は自分と由美に血の繋がりがないことまでは知るはずはないだろう。姉妹でレズビアンなど、さすがに想像するだけで、鳥肌が立ってくるというものだ。
 洋子はレズビアンではない。男性に対して興味がないような雰囲気を醸し出していることで誤解されがちだが、洋子にとって自分を守るということは、
「あまり目立ったことをしないようにする」
 ということである。
 物静かに見えるのも、目立った行動を取ったりしないから、そう見えるだけで、洋子が保守的になったのは、好きになった人が、もうこの世にいないことが大きな影響を及ぼしているのだった。
 由美は洋子が近づくと分かるというが、洋子も隆子が近くにいると分かる時がある。いつでも分かるわけではないところが何事にも自信を持つことのできない洋子らしいところであった。
 不器用なのは、わざとそう見せているだけで、本当は要領も悪いわけではない。要領がよくて、器用だと思われてしまうと、下手に人から慕われたり、期待されたりする。自由に動けないことが、洋子にとっては、一番嫌なことだった。
 隆二が洋子を気に入った理由の一つに、
「洋子は、俺が考えていることのさらに先を読んでいるようだ」
 と思うことだった。
 他の人であれば、自分よりも先を読まれてしまうと、癪に障って、相手にしない気分になるのだが、洋子に関しては、先を読まれても、さほど癪に障ることはない。それが洋子の魅力の一つなのだと感じるのだ。
 洋子と一緒にいて、会話が弾むということはなかったが、下手に会話が弾みすぎると、却って疲れてしまう。それを思うと、何を考えているか分からないところもあるが、肝心なことだけを話す間柄の方が、感情の籠った話ができそうな気がしていた。
 それにしても、どうして洋子は由美の名前を口にしたのだろう? 隆二は由美と洋子の血が繋がっていないことを分かっている。由美が自分たちの兄妹だということをである。
 それを分かっていて付き合っている裕也の気持ちが隆二には分からない。決して愛し合うことのできない相手だということを分かっていながら、裕也は何を考えているのだろう。
 裕也は、いつも相手のことばかり考えている男ではない。むしろ、
「自分のために、相手がどうあるべきかを考えるタイプではないか」
 と思っている。
 裕也と由美を引きあわせたのは、実は隆二だった。隆二は由美のことを以前から知っている。そのことを洋子にも隆子にも話していない。
 もちろん、由美が他の人に話すこともないだろう。表面上、由美と隆二が知り合いだということは、その気になって調べないと、分からないことである。
 今では、由美と隆二、そして裕也を含めたところで、いろいろ作戦が練られている。
 考えてみれば、この三人は実の兄妹ではないか、ただ、問題は由美と裕也の関係である。最初から姉弟だと思っていた裕也に対し由美は、そこまでは何も知らなかった。
「もし、由美に対して三人の血が繋がっていると話す時は、それが最終決断の時になる可能性が大きい」
 と、隆二は裕也に話した。
 その時の裕也の顔が少し寂しそうだったのを、隆二は気付かなかった。
――俺は完全にピエロにされてしまうかも知れないな――
 と、裕也は感じた。
 その思いは、目の前に存在している由美に対しての思いであることに、最初から気付いていたわけではなかった。
――由美を好きになってはいけない――
 と、最初から考えていたわけではない。
――姉を好きになるはずなどない。何も知らずに後から妹だと言われるより、最初から姉だという目で見るのだから、好きになる余地があるはずはない――
 と思っていた。
 だが、実際には本当に好きになったのかどうかは分からないが、最初に考えていたほど意識していないわけではない。
 それは最初から姉だという意識があるからなのかも知れない。
「姉だから、好きになってはいけない」
 と、もう一人の自分が語り掛けてくる。
「そんなことは分かっているさ」
「どうしてそんなにムキになるんだい?」
「ムキになんかなっていないさ。お前も俺だったら分かるだろう? 分かりきっていることを指摘されれば、苛立ちを感じることを」
「それがムキになっている証拠さ。まあいい、本当の自分をお前はこれから知ることになるんだからな」
 と、不敵な笑みを浮かべるもう一人の自分。今までにももう一人の自分が語り掛けてきたことがあったが、そのたびに不敵な笑みを浮かべていたのを思い出した。一体もう一人の自分は敵なのか味方なのか、それともただの傍観者なのか、不敵な笑みから想像することは難しかった。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次