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我輩は爬虫類である
我輩は爬虫類である
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幻影の帝国~蝦夷共和国と銀の道

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第一章・江戸柳川横町




この榎本釜次郎なる傑物は、天保七年(一八三六)の生まれである。幕府旗本・榎本円兵衛の次男として、江戸下谷・御徒町の柳川横町に誕生した。家格は五人扶持、五十五俵であったといわれる。
 この年は、半世紀も続いた十一代将軍家斉の治世も、後残すところ一年に迫っていた。徳川幕府による支配体制は爛熟期をむかえ、長期に及ぶ天下泰平の世の影で、不穏な空気がすでにただよいつつあった。
 特に米中心経済の限界が見えはじめ、東北などでは打ち続く飢饉の末、餓死者が続出し、幕府は対応に迫られていた。
 その一方でイギリス、フランス等の欧米列強は、すでに相次いでアジアにまで進出していた。特にイギリスなどはインドを植民地とし、これより四年後にはアヘン戦争で中国・清朝をも屈服させてしまうのである。

 
 釜次郎が生まれた御徒町の柳川横町という所は、通称、下谷三味線堀といわれた。現在このあたりに江戸期をしのばせるものは少ないが案内があった。
「下谷三味線堀は、現在の清洲橋通りに面して、小島1丁目の西端に南北に広がっていた。寛永七年(一六三〇)に鳥越川を掘り広げて造られ、その形状から三味線堀とよばれた。一説に、浅草猿屋町(現在の浅草橋三丁目あたり)の小島屋という人物が、この土砂で沼地を埋め立て、それが小島町となったという。
 不忍池から忍川を流れた水が、この三味線堀を経由して、鳥越川から隅田川へと通じていた。堀には船着場があり、下肥・木材・野菜・砂利などを輸送する船が隅田川方面から往来していた」
 いわば物資の流通の拠点であったといえるだろう。


 釜次郎の父・円兵衛は、安芸の国(広島県)の出身で、幼い頃より秀才の誉れが高かった。江戸に出た後、幕府天文方として徳川家に重要視され、高橋至時の改暦の事業にも関わってもいる。また伊能忠敬の大日本沿岸地図作成にも参加していた。
 父の影響で幼少の頃より地球儀を見て育った釜次郎は、当時の最新の宇宙学を知り、やがてその学問的素質を開花させる。
 幼少時から朱子学を修め、十五歳で昌平坂学問所に入学する。成績はかんばしくなかったが、ここで西欧の国々に対して強い関心をもつこととなる。さらに江川太郎左衛門の屋敷で開かれていた英学塾では、有名なジョン万次郎から英語を学んだといわれる。
 榎本釜次郎は実に早熟な男だった。そして性の面でも早熟であったようである。すでに十六歳の時には、一人前に女遊びも覚えていた。時に嘉永五年(一八五二)ようやく夏の暑い盛りをむかえ、榎本は上野にあるとある女郎のもとへ入り浸っていた。

 
 墨水の桜花は皆な重弁。上野は則ち並びに単弁。重弁は濃くして単弁は淡し。予、戯れに、これを評して曰う、墨水の花は吉原娼に似たり。上野の花は深川妓に似たりと。一友僧、批して曰う、琉瑠界の花を把て脂粉娼婦に比す。気類にあらざるや(江戸繁盛記)

 
 上野不忍の池には、今や蓮の花が見ごろの時を迎えつつある。上野といえば江戸時代、両国と並ぶ盛り場として見世物小屋や屋台などが立ち並び、水茶屋や料理茶屋が昼夜を問わず繁盛した。
 茶屋といっても、この時代ただ単に茶を楽しむ場ではない。必ず一件につき二、三人は茶汲み女と称する遊女が存在した。特に昨今榎本が通う上野広小路の遊女は、俗に「けころ」といわれていた。
「けころ」の由来については、一説には芸者が遊女に転向したことといわれているが、はっきりしたことはわからない。
 まだ若い釜次郎は、今まさに広小路の茶屋「夢うつつ」に出入りし、天下泰平の世を謳歌していた。遊女さゆりに三味線を弾かせながら、座敷に横になり、夏の夜を過ごしていた。時折やぶ蚊が周囲を徘徊するものの、暑さはそれほどでもない。
 およそ十数年後には、この周辺一体は血の戦場と化すわけだが、まだ釜次郎はそんなことは知る由もない。
「榎本はん、榎本はん」
 地味な木綿の衣装を着たさゆりが呼びかけるも、釜次郎はなにやら考え事をしている様子で、なかなか呼びかけに応じようとしない。
「どうした? 呼んだか?」
「どないしはったのですか? さっきから深刻な顔をして?」
「いや何、数日前用事で本所(現在の墨田区)に行った時、妙な親父と出くわした際のことを思い出していた」 
 そういって釜次郎は再び沈黙した。

 
 数日前釜次郎は、父、円兵衛の使いで本所まで赴いた。無事用向きを済ませ、ちょうど腹がへった。立ち寄ったそば屋でようやく一服ついた時、事件はおこった。
 釜次郎が、かけそばをすすっていると、いつの間にか隣の席の客が近よってきていた。見るとみすぼらしい身なりで、不精ひげをはやしている。年は三十ほどであろう。
「若いのちょいと頼みがあるんだ。おいら不覚にも財布を忘れてこの店に入ってしまったようだ。後生だ。俺の代わりに十文ほど支払ってくれねえか?」
 釜次郎はしばし沈黙した。
「よし、いいだろう。こちとら江戸っ子だ。困ってる奴を見捨てるわけにはいかねえ」
 ところが懐に手を入れてみて、釜次郎の顔色が変わった。
「ないぞ! 俺の財布がない!」
「なんだって? そいつはただ事じゃねえ。そういやさっきそこいらを様子が変なのが歩いていた。さてはそいつが巾着切(すり)だったに違えねえ」
 釜次郎が呆然としていると、男は意を決して口を開いた。
「おめえさん名をなんという?」
「榎本釜次郎」
「そうかいじゃあ釜さんよ、こうなったら残された手は一つ。逃げるしかねえ」
 二人はものすごい勢いで店から飛び出した。
「おーい食い逃げだ! 誰かそいつらを捕まえてくれ!」
 叫ぶ声をもろともせず、二人は必死に走る。やがて隅田川が見え、両国橋のたもとまでやってきた。


「はあーおいらは江戸っ子だー。この隅田川の流れを見ると、何というか心が休まるよ」
 二人は川を目の前にして腰をおろす。男は思わずゴロリと横になった。
「悪かったな釜さんよ。とんだことに巻き込んでしまって」
「いや悪いのは巾着切だ。あんたが悪いんじゃない」
 釜次郎は首を横にふる。
「あんた結構な家の出だろ? 雰囲気でだいたいわかる」
「いやそれほどでも……」
 釜次郎は再び首を横にふる。
「恥ずかしながら、おいらは小普請組さ。一応幕臣で勝麟太郎っていうんだ」
 といって男は苦笑した。
小普請組というのは江戸幕府における家臣団の一組織である。 三千石以下の旗本,御家人の無役の者で編成され,旗本を小普請支配,御家人を小普請組とした。無役無勤の者で普請があった際に家人や召使を出したのが起りであったといわれる。まさしく当時の旗本・御家人の世界では底辺といっても過言ではなかった。


「いや、こんなんじゃ女もろくに抱けやしない。まあ何の御役もなしに、気楽っていえば気楽ではあるがな。でもおいらは志まで捨てていねえ。今、一所懸命に蘭学を学んでいるところだ。これからは蘭学の時代さ、十年後、二十年後には必ず蘭学が必要になる時がくる」
 麟太郎はかすかにではあるが、表情が凛々しくなった。
「待ってください。蘭学は昨今、幕府の取り締まりが厳しいとか? 確か蛮社の獄とかいうのがあって、高野長英とかいう学者は、捕らえられたと聞いておりますぞ」