短編集54(過去作品)
先輩は結構大雑把なところがある。かといっていい加減というわけではなく、考え方が大らかというべきで、人に迷惑のかかるような大雑把では決してない。そこが浩一郎の興味のあるところでもあった。興味のない人間と付き合うほど、浩一郎はいい加減な人生を歩んでいると思っていない。
先輩の言葉は、一言一言に重みを感じさせる。
「仕事だって、考え方一つで楽しくなるものさ」
いろいろな業種がある中で、それぞれに考え方も違う。しかし、先輩の考え方は、どの業種にも当てはまりそうな気がして、
「なるほど」
といつも感心させられる。
「広いものを見る時は、自分はまわりから包まれているように感じ、狭いものを集中して見る時は、高いところから見下ろすように見るといいかも知れないぞ」
「普通、逆じゃないんですか?」
高いところから見る時ほど、あたりを見渡せるはずである。何となく矛盾している気がした。
「いや、これでいいんだ。高いところから見ると、下から見るよりも遠くに見えるものさ。全体は見渡せるかも知れないけど、遠くに見えてしまっては仕方がない。第一、立体感を感じないだろう? 立体感を感じないと広さという感覚が麻痺するのさ。それが一番怖いと思うんだ」
先輩の考え方は独特である。
「要するに、いろいろな角度から見て、一番適切なところをいかに自分で見つけるかなのさ。だから、俺の意見だって、君に当てはまるかどうか分からないよ」
これが先輩の考え方である。
自分としてのしっかりした理論を持っているが、決して人に押し付けることをしない。普通考えないようなことを口にして、相手に考えさせるやり方は、さすがと思わせるものがあった。
浩一郎も同じようなところがあった。人と同じ意見では面白くないと考える方だからである。
一般的な考え方が、絶対に正しいとは言えない。昔から定説になっていたことでも、科学的な根拠がなければ、次第に迷信のようになってしまい、最後は違う説が定説になることも少なくない。
例えば、スポーツの時の水分補給にしてもそうである。
数十年前までは、運動中に水分を摂るとバテるから、水は絶対に飲んではいけないと言われてきた。しかし、今では逆が定説になっている。
水分を十分に摂らないと、脱水症状を起こす。それが悪いというのである。
ひょっとして、数十年前と今とでは食生活などが違ってきているので、身体自体が昔と違うので、定説が当てはまらなくなったのかも知れない。だが、定説は覆り、まったく逆の説が定説になったのは事実である。他にも同じような事例は少なくない。そう考えることで、いつの間にか、人と違う考えを定説として発見してみたいという思いが強くなっていた。
ただの天邪鬼なのかも知れない。だが、天邪鬼であっても、それが一本筋の通った理屈であれば、自分なりに満足できる。人を自分の説で納得させることが快感であることは、就職試験の時に感じたことだった。
面接試験は面接官を一対一であるが、会社によってはグループディスカッション方式を取るところがあった。数人で一つの話題に対して議論するのだが、皆定説をあたかも正当な理由をつけて語ろうとしている。
新聞などの記事が話題になることが多いが、新聞記事にしても人が書くもの、特に社説などは、記者の主観で書いていることが多いので、絶対とは限らない。逆説を唱えることも可能なはずである。
逆説は、面接官にとって印象がいいようであった。誰もが正論を唱える中で、逆説を唱えるのは結構無理がある。しかし。要は正しいか間違いかということを面接官は見ているのではない。いかなる場合にも自分の意見を信じて論じることができるか、それがいかに筋が通っているかというのが見たいところなのであろう。正論を唱えて考え方を聞くだけなら、一対一の面接で十分なはずである。それを敢えてグループディスカッション方式にするということは、面接官には角度を変えることができるという人間を見るための角度を変えた判断の仕方なのだろう。試験を受けながら浩一郎はそのことを感じていた。
浩一郎の性格が変わったのも、ちょうど先輩と知り合ってからだった。それまでは人に合わせる性格で、就職試験の時にもしグループディスカッション方式を味わっていなければ、先輩と話をしていても性格が変わることはなかったかも知れない。ちょうどいい対ミグで知り合ったと言えよう。
人と合わせるのが嫌な性格は決していい性格と言えないかも知れない。協調性に欠けるという意味では嫌われることもあるからだ。だが、逆に独創的なアイデアを持つことで実力を発揮できる場合もある。浩一郎はまさしくそうだった。
営業成績もその頃から伸び始め、ひとえに性格が変わったことが原因だと思えた。自分でもそう思っていたし、まわりもきっとそう感じていたに違いない。
そんな頃に知り合ったのが早苗だったこともあって、早苗との出会いは、浩一郎にとって特別だった。
人生で一番自分に自信を持っていた時期だったに違いない。やること成すことがうまく行き、まわりからの人望も厚く、順風満帆を絵に描いていた。
――人生の中で、きっと何度かある時期に違いない――
浩一郎は自分に言い聞かせた。
悪いこともあればいいこともある。それが人生。実際に悪いことがあった時は、静かにその時期をやり過ごすことに努め、逆にいいことがある時期というのは、その時に乗じて、自分を表に出す最大のチャンスであり、積極的に行動した。
いい悪いの判断がどこまでできるかは疑問だが、以前保険のセールスレディに見せてもらったバイオリズムのグラフを思い出していた。そこには健康面、金銭面、精神面の曲線が描かれていて、中心部分を対象にいくつかの波を描いていた。
波の大きさは、それぞれ違うのだが、お互いがすべて下にくれば悪いことの前兆で、上で合致すれば、好機到来である。セールスレディは、会社で作ってきたバイオリズムを元に話をしているが、うまく聞いておかないと、うっかり保険に入らされる危険もあった。
なるほど、人間の好不調の波をグラフにすれば分かりやすいことを序実に表わしている。浩一郎は関心を寄せていた。
ちょうど、早苗と出会った日のバイオリズムが最高だった。何かいいことが起こる予感があったと言っても過言ではない。完全に信じていたわけではないが、
――いいことであれば信じるに越したことはない――
というのが浩一郎のモットーである。
早苗の友達がまず、先輩に気付いた。声を掛けてきた彼女は気さくな性格で、最初に目が行ったのは彼女の方だったが、それは仕方がないことだ。それだけ早苗の存在は目立っていなかったからだ。
もし一緒にいたのが浩一郎でなければ、あまり相手にされることはないだろう。女同士で呑みに行くこと以外は、まったくないと知り合った頃に言っていた早苗である。しかも二人で行くとすればその日のペアとだけで、店も同じ店しか行かないということだった。
居酒屋には行ったことがないという。
居酒屋の雰囲気が嫌いで、どこか落ち着かないと言っていたが、話を聞いてみると、早苗が落ち着かない理由は、ガサツな雰囲気が嫌だということだった。
作品名:短編集54(過去作品) 作家名:森本晃次