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短編集54(過去作品)

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 奈那子は友達と接している時と、浩一郎に接している時とで、二つの顔を持っているかのようだった。友達と一緒にいる時は、完全に自分が主導権を握っていて、リーダーシップを発揮するタイプであった。サークルに入っては部長を務めたり、何かの会があると、幹事を任されたりと、人望の厚さを示していた。
 笑顔に特徴があるからか、誰にでも愛想がよかった。男性の中には彼女に憧れている人も少なくないだろう。奈那子は他の男性にも笑顔を振りまいたが、明らかに浩一郎に対するのとでは違っていた。
 それは浩一郎本人にしか分からない。なぜかというと、浩一郎と奈那子が二人でいるところを見られても、それは普通に歩いている姿しか見えないからだと思っていた。
 実際には二人の関係を怪しいと思っていた人もいるだろうが、実際に恋人としてお互いが意識していないのだから、まわりにも恋人としては少し物足りない雰囲気があったはずだ。浩一郎の後ろを黙ってついて歩く奈那子の姿を、他の人たちはどのように見ていたのだろう。
「あなた、浩一郎さんと付き合っているの?」
 奈那子が女友達に聞かれた時、即答はできなかった。少し首を傾げながら、自分に問いかけている奈那子の姿は、決して男性に見せる愛想のよい表情ではなかった。首を傾げる姿も、それはそれでチャーミングなのだが、それを知っている男性は誰もいない。女性から見ると、どこか頼りなく、それでもフォローしてあげようと思ってしまうタイプであった。ある意味得をする性格なのかも知れない。
「中途半端な気持ちではないんだけど、恋人という気持ちにはなれないのよ。おかしいのかな?」
 奈那子は言葉を搾り出したが、
「おかしくはないわよ。そういう関係から本当に恋人になることもあるんだからね。でも、その関係自体も意外と長く付き合っていくための秘訣みたいなものがそこにあるような気がしているのよ。どうしてかしらね」
 女友達は、奈那子に問いかけていたが、自分の中で結論は決まっていた。
――きっと相手のすべてを一番感じることのできる関係なのかも知れないわ――
 と考えていたのである。
 奈那子との関係がそれほど深まることもなく、大学を卒業し、就職してしまうとなかなか会うこともなくなっていた。
 彼女と男女の関係になったのは、最後に会った時だった。つまり、最後になるかも知れないことを承知で、お互いを求め合ったのだった。
 それは奈那子にしても同じ気持ちだっただろう。身体を重ね、お互いを求め合うことが気持ちの確認だということは分かっている。確かに自分たちの気持ちを確認したい気持ちが一番強かったのだが、それが最初にして最後になることも分かっていたはずだった。
「私たちって、愛し合っているのかしらね?」
 奈那子は浩一郎の腕の中で呟く。
「どうなんだろうね。でも、友達以上であることには違いないさ」
「でも、恋人ではないんでしょう?」
「恋人っていう定義はなんだんだろうね。僕にはそこが分からないんだ。お互いに相手を求める気持ちが恋人だというんだったら、僕は奈那子を恋人だと言いたいよ」
「じゃあ、どうして今まで私を求めようとしなかったの?」
 奈那子は意地悪そうに問いかけてきた。少し鼻に掛かったハスキーな声で問いかけてきたが、そんな声が男心をくすぐる。そんな時の奈那子は、きっと自分と同じ考えを持っていて、それを相手に確認したい気持ちがあるからこそ、意地悪そうに微笑んで問いかけてきたのだろう。
 その表情はそれまでに見せたことのない妖艶なものだった。
 その時まで奈那子を見ていて、「妖艶」などという言葉を思い浮かべることがなかっただけに、
――このまま別れてしまっていいのか――
 と考えたほどだ。
 しかし、考えてみれば二人は付き合っていたわけではない。
「友達以上恋人未満」
 この言葉が一番ふさわしい二人だと思っていたのだった。実際に気持ちは通じていたはずだし、お互いに彼氏彼女ができた時も祝福していたはずだった。
――だが、その時、本当に嫉妬はなかったのだろうか――
 浩一郎が一度、奈那子が二度、お互いに彼氏彼女を作った。だが、少なくともその時の相手は恋人だったと言える関係ではなかったはずだ。特に浩一郎は彼女と別れる時、その女性から、
「あなたは、本当に私を見ているのかしら? どうもそうは思えないような気がするの」
 と言われた。
 その彼女は、小学生の時にいつもそばにいた女の子に雰囲気がそっくりで、それだけにすぐに好きになったのだが、別れも意外と早かった。数ヶ月での別れだったように思う。
 期間が短かったので、彼女と男女の仲になることはなかった。
――男女の仲になっていたら、どうなっていただろう――
 と考えるが、遅かれ早かれ別れるのであれば、男女の関係になった次の日に別れがやってきたように思う。
 もし、自分が他の女性をイメージしているとすれば、それは奈那子だったに違いない。だが、違うようにも思える。後から考えると、奈那子だったというよりも、就職してから知り合ったかすみに近かったようにすら思える。頭の中で時系列が錯綜しているのかも知れないが、かすみと知り合うことを予感していたのかも知れないと思うと、何となく不気味な気がしてしまった。
 奈那子と最後の最後に求め合った時が、女性との関係の中で一番新鮮だった。それは奈那子も同じことを考えていると思える。それからお互いにどんな相手に巡り会おうとも、お互いの気持ちの中から決して消えるものではない。
「限りなく愛に近いものだったんだろうな」
 と浩一郎が呟くと、
「限りなく愛に近い……何?」
 という言葉が返ってきた。
「……」
 その時の奈那子も意地悪そうに微笑んでいたので、きっと同じことを考えているはずである。そんな時に言葉はいらない。ただ、出てこようとしている言葉を打ち消すために浩一郎は必死で唇を塞いだ。奈那子の唇でである。
 湿気を帯びた空気は、甘い香りに変わり、その中で感じる柑橘系の香りを感じていた。
――相手を求めると、こんな匂いがしてくるんだ――
 滲み出る身体からの匂い、分泌された匂いが空気を支配している。甘い香りが強い瞬間もあれば、鼻を突く柑橘系の香りに身体が反応してしまう瞬間もある。その瞬間瞬間に時間の感覚が麻痺していくのだった。
 早苗という女性と知り合ったのは、仕事にも慣れた頃だった。
 会社の人に連れて行かれたスナックに、早苗は友達と来ていたのだ。
 そのスナックはこじんまりとした店で、会社の人が時々利用していると言っていたが、
「俺はストレスが溜まったりすると、結構ここで一人で呑んでいたりするんだ。一つくらい男の隠れ家になりそうなところがあってもいいだろう」
 と話していたが、彼は浩一郎より二年先輩で、結婚もしている。子供はまだいないようだが、結婚してからそろそろ二年ということなので、まだ新婚の域と言ってもいいだろう。
「先輩は、まだ新婚なんでしょう?」
「俺はそう思っているけどね。でも、新婚なんていう言葉の定義なんて、あってないようなものだよ。自分が新婚だと思えば新婚だし、そうじゃないと思えば違うのさ」
作品名:短編集54(過去作品) 作家名:森本晃次