短編集54(過去作品)
それは浩一郎だけに限ったことではないが、問題はそれを意識しているかしていないかということであろう。意識するようになって自分に変化があれば、自分の人生に影響を与える考え方として、自分の中で大切にしていくこととなるだろう。
かすみという女性の存在が、浩一郎にそのことを気付かせただけでも、恋人にならなくとも、浩一郎にとってはかけがえのない女性となったに違いない。
――かすみとは恋人同士にならない方がいいんだ――
と感じた。
この世には恋人になる関係がふさわしい女性と、友達でいる方がふさわしい女性の二種類があるだろう。だが、厳密にはそれ以上に細かく分けることができる。かすみのように、
――限りなく恋人に近い友達――
という存在である。かすみという女性を意識するようになって、浩一郎の女性を見る目が変わった。
浩一郎には、厳密には恋人とは言えないが、ある意味恋人以上の女性がいた。彼女とは学生時代からの知り合いで、彼女とも学生時代に一度だけ身体の関係があった。
「一度きりなんて寂しいじゃないか」
と言われるかも知れないが、一度きりだからこそ、恋人以上に思えるのだ。
ここで言う恋人以上とは、未満の反対である。すなわち、恋人を含んだものではない。かすみに対しては恋人未満で満足していたが、彼女には、それでは満足できないものがあった。
彼女の名前は、奈那子。大学一年生の頃に、軽い気持ちで講義で隣り合わせた女性に声を掛けたことがあったが、それが奈那子だったのだ。
奈那子は、気さくな女性で、自分が何と言って声を掛けたか覚えていないほど、振り返った時に見せた表情が印象的だった。
エクボが浮かぶ顔というのは、それまでに見たことがなかった。それだけ今までに知っている女性が本当の笑顔を自分に向けてくれたことがない証拠でもあったが、それが高校時代までの自分と、大学に入ってからの自分を変える一番の要因になったことを、浩一郎はハッキリと自覚していた。
自分の中にトラウマのようなものがあったのは分かっていた。中学の頃から女性と話をすると、まわりの男の子から抜け駆けをしたようなイメージで捉えられていた。それは、浩一郎のまわりに限ったことではないのだろうが、浩一郎はそのことに対して意識過敏になっていた。
「男は女と違って、なよなよしていてはいけないんだ」
というのが、中学時代の親友の考え方だった。
「親友を取るか、女性を取るか」
と聞かれれば、親友を取っていた。もし、中学時代もてる男の子だったら、どうなっていただろう? 親友を捨ててでも女性へ目が向いていたかも知れない。自分がもてないことを自覚していたからこそ、親友の言葉にしたがっていた。しかし、不思議なもので、その親友はなぜか女性にもてた。もてたくせに女性を相手にしようとしなかった。後から思えば、そんなストイックなところが女性に人気があったのかも知れない。少なからず女性からも男性からも慕われるやつだったことに違いはなく、そんな彼を親友だと思い、彼からも親友だと思ってくれることが、中学時代の浩一郎には最高の気分だったのだ。
そんな友達と一緒にいる間はよかったのだが、高校に入ると離れ離れになった。彼は成績も優秀で、進学校へ進んだことで、あまり話をすることもなくなった。
そんな彼が進んだ高校で悩んでいるという話を聞き、一度話に行こうとしたが、中学時代の面影はそこにはなかった。
「中学時代は、すべて自分がトップクラスだったのに、進学校に入ると、まわりは皆自分と同じような人たちばかりだったんだ。よほどそのことの意識を強く持っていないと、まわりの雰囲気に押し潰されてしまう。進学校というのは、入学した時からまわり皆がライバルで、ライバルを蹴落としてでも上に行こうと思うくらいの強い精神力がないとやっていけないのさ。俺だってそれくらいの精神力はあるつもりだったんだけど、どうしても中学の時のような気持ちに余裕が持てない。それは皆お互い様だということも分かってるんだが、さすがに四六時中神経を張り詰めているのも疲れるんだ」
明らかな弱気である。今までの彼からは想像もできないような人間が目の前に鎮座しているのには驚いた。しかし、
――彼も人間だったんだ――
という親近感が浮かんでくることで嬉しく思う反面もあった。
だが、それ以上に浩一郎の中に残ったのは、
――彼のそんな顔を見たくはなかった――
と感じたことである。自分の中にある考え方やモットーの基礎になったものが音を立てて崩れていくのを感じたが、トラウマとしての外傷を、痛みとして初めて身体が感じていた。
大学に入ると、それぞれに個性を持った連中の集まりだった。高校時代までのような競争はそこにはなく、お互いに自分の個性を出すことで自分の居場所を確保していた。
浩一郎も自分の個性を表に出していた。人に臆すこともない。ありのままを出せばいいのだった。
奈那子に声を掛けたのはそんな時で、奈那子は控えめな性格に見えたからだった。
女性で個性のある人はそれなりに魅力はあるが、自分としては、控えめな性格の女性が好きだった。それは小学生の頃に気になっていた女の子から由来しているかも知れない。
小学生の頃、あまり目立たない性格だった浩一郎のそばに、いつも大人しめの女の子がいた。彼女は話しかけてくるわけでもなく、ただ気がつけばいつもいるような女の子だった。
「まるで座敷わらしみたいだな」
座敷わらしというのがどんなものか知らないのに、口にしていた。気配もなくただそばにいる女のこのことを座敷わらしというのだと思っていたからだ。
実際には東北の童話に出てくる伝説の妖怪であることを知ったのは、中学に入ってからだった。
「座敷わらしがいると家は栄えるけど、いなくなると途端に没落するっていういないと困る妖怪なんだ」
と、先生から授業で聞かされたのが最初だった。きっと国語の時間だったように思う。
そんな座敷わらしの伝説を聞いた時には、彼女は浩一郎のそばにはいなかった。
――何とも皮肉な話だな――
いてほしい時にはそばにいないという切なさを最初に感じたのはそれが最初だった。
中学に入り、女性に興味が出てくると、女性の好みに一定の共通点があることに気付いた。だが、それがどのような共通点なんか分からなかったが、奈那子と知り合ってすぐに小学生の頃いつもそばにいた座敷わらしのような女の子の面影をずっと追い続けていることだった。
おかっぱ頭はいかにも伝説の座敷わらしを思わせた。そんな彼女とも友達以上の気持ちはあったに違いない。だが、そこに異性への感情はなく、ただ、妹のような感覚で見ていたに違いない。彼女もきっと浩一郎を見上げる視線には、お兄さんを見つめている気持ちが強かったことだろう。
奈那子は決しておかっぱ頭というわけではないが、雰囲気は座敷わらしに似ていた。大人しく、ずっとそばについていてくれるような女性への思いは、奈那子と知り合うことで自分の中で確立されたものになっていた。
作品名:短編集54(過去作品) 作家名:森本晃次