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短編集54(過去作品)

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限りなく愛に近い恋



                 限りなく愛に近い恋


「限りなく愛に近い恋」
 それはどんなものだろう。浩一郎は、恋と愛について真剣に考えたことはなかったが、早苗という女性を意識するようになってから、少し変わってきていた。
 浩一郎が今の会社に入ったのは、三年前。食品のメーカーを退職して、商社の総務部に入社してきた。
 営業をしていたこともあって、口はうまいが、細かい仕事は苦手であって、特に総務のように法律に関係したことは、厳しい面もあった。
 だが、営業をしていた時に部下の教育係をしていたことで、人事的なところに会社は目を着け、ちょうど人事で人が不足していたこともあって、彼を雇うことにした。
 小さな会社から大きな会社への転職は思っていたよりも厳しかった。
 まずは人間関係。それまで感じていた上下関係よりもさらに何重にも深い溝のようなものあるように感じられた。さらにそこに派閥のようなものが渦巻いているのを見ると、さすがにウンザリしてしまうこともあった。
 うまく立ち振る舞えれば問題ないことに気付くのも早かった。会社での自分の立場に固執しなければ、それなりにうまくやっていける術を前の会社で身につけたのだろう。あまり転職してから苦になることもなかった。元々からの彼の性格に合っているのかも知れない。
 年齢的にも三十歳後半、中間管理職としてはこれからというところで、転職の時期も一番よかったに違いない。あまり遅いと、転職後の会社で年齢の若い連中の下にならなければいけないことを苦痛に感じていたかも知れない。しかも小さな会社からの転職は、見下される可能性がある、特に浩一郎が転職した会社にはそういう風潮があったのだ。
 一部の人間しか知らないが、実は浩一郎の転職は「引き抜き」であった。一見、前の会社と関係のないように思える関係なのだが、社長同士が懇意な関係にあるようで、数人が「引き抜き」の候補に上がっていたが、なかなか折り合いがつかないまま、纏まったのが浩一郎だった。浩一郎も今は総務の仕事をしているが、いずれは外商を任せられることが約束されている。そのことは転職の際の条件でもあったからだ。
 何も知らない連中は。浩一郎の業務態度に違和感を感じているに違いない。どこか朴訥なところのある浩一郎の性格は、小さな会社では許されても、会社が大きくなると、なかなか認められるものではない。分かっているのだが、性格はそう簡単に変えられるものではないだろう。
 総務部は人数的には少数精鋭だった。何と言っても人件費などで他の部署に意見をする立場、自分たちが率先して手本を見せなければならない。そんな部署が無駄な人員を置いておくわけもなく、少数ではありながら、精鋭を集めなければやっていけない典型的な部署であった。
 部長は性格的に温和な人で、人当たりは柔らかである。何でも相談できそうなタイプの人で、実際に会社内で浩一郎が相談できる相手は、部長だけだった。
 知識も豊富で、呑み会などの会話の中でも、いつもウンチクを語っていて、その基本は広辞苑にあるようだった。まさか
「愛読書は広辞苑です」
 などということはないだろうが、広辞苑を手元に置いておいて、新聞や本を見ながらでも気になることがあれば、すぐに開けるような状態にでもしているのではないかという光景が頭を掠める。いかにも総務部長という肩書きを絵に書いたような性格の人物である。
 他には男性五名と、女性が二人いるだけである。
 総務部では大きく分けて、給与や勤怠、人事関係を見る部署と、対外的な商談を行う部署が、会社内の庶務的な仕事をこなす部署とが一緒になっている。知れば知るほど奥の深い部署であることには違いなく、さらには、その場その場で刻々と変わる会社の事情がモロに影響してくる部署であった。
「総務部って、雑用させられるようなイメージしかなかったけどな」
 総務部を知らない人にはそう見えることだろう。浩一郎も入る前はそれくらいの気分しかなく、仕事も単純なものだと思っていた。確かに法律的なややこしいところはあるだろうが、どちらかというと目に見えているところは完全な縁の下の力持ち、雑用以外の何者にも見えなかった。
 入って一年は、一通り覚えさせられた。
 知っていて損なことではない。会社の裏事情を一番知る機会があるのは、間違いなく総務部だからである。
 半年くらいは、何が何か分からない毎日が続いていた。
――これほど辛い毎日はないな――
 自分の仕事なのに、理屈が分かっていない。覚えなければいけないことがたくさんで、自分に対してどこまで満足感が得られるか疑問だった。
 確かに満足感などない。覚えている間は、あくまでも自分の仕事ではない。充実感があってこその仕事だと思ってきた浩一郎にとって、充実感を感じることができないことをしているのは、
――やらされている――
 という感覚しかない。それが苦痛なのだ。
 やらされているという思いもそう長くは続かないのだろうが、慣れた頃に他の仕事を覚えなければならないので、ストレスが溜まってくる。半年間、何をやっていたかサッパリ分からないというのも当然ではないだろうか。
 浩一郎が入社した時に、一人の女性がいたのだが、彼女は浩一郎を気に入っていた。女性が見つめる自分への視線には敏感な浩一郎は、すぐに彼女の視線を感じ、自分でも意識するようになった。
「一度、食事でも行きませんか?」
「よろしいですわ」
 仕事が終わり、会社の表に出たところで声を掛けた。意識してくれているということが分かっているだけに、強い態度に出ても大丈夫だという自負があった。そのあたりの自分の目や感覚には自信を持っていたのだ。
 さりげない会話ができるのも、前の会社にいる時から付き合っている女性がいたからだった。
 彼女とは厳密には付き合っていると言えるのか、よく分からない関係で、もちろん身体の関係ではあったが、愛情という意識ではなかった。それだけに長く続いていたのだろうし、嫉妬もなかったように思える。
――そういえば、ちゃんと別れたのだろうか――
 付き合っているという意識が薄かっただけに、別れたとしても、どの時点が別れだったのかハッキリとしない。別れの言葉があったわけでもなければ、別れを意識するものがあったわけではない。彼女に贈り物をしたこともなければ、貰ったこともない。
――一緒にいる時期が長かった――
 というだけのことだったのかも知れない。別れとしてしいて言えば、
「会社を辞めたことで、それが一つの区切りだったんだ」
 ということになる。
 そんな関係もあっていいのではないだろうか?
 お互いに寂しい時、誰かそばにいてほしい時にいる存在。彼女、彼氏という枠にとらわれることのない存在。お互いに都合のいい相手として意識しているが、心のどこかで求め合うものが合致していたのかも知れないと思える存在。彼女は、そんな存在であった。
 もちろん、彼女のことを誰にも話すことはなかった。前の会社でも二人の関係を知っている人は誰もいなかったに違いない。
 名前をかすみと言った。
作品名:短編集54(過去作品) 作家名:森本晃次