隆子の三姉妹(前編)
この話には洋子は異存などなかった。むしろ願ったり叶ったりで、洋子にとって気になる存在である由美を、一人呼び出すことなく、自然に観察できる日ができるというのはありがたいことだったからである。
「今日は私がセッティングしたので、次の機会には洋子がセッティングする。そして、由美が都会に慣れてくるようになったら、由美にもお願いすることになるわね」
と、姉らしくテキパキとあっという間に話の骨格を決めてしまった。
隆子には由美が思ったよりも都会に馴染むのが早いことは分かっていた。昔から順応性が高いのが由美の長所だったからである。ただ、気になるのは、三姉妹の中で一番人見知りをするのも由美だったのだ。順応性があるにも関わらず、人見知りするというのは少し変な気がしたが、慣れてくるとそこからはm三姉妹の中で一番早い。一歩間違えると、
「後からきて、美味しいところをさらっていく」
という性格に見られないこともないだろう。それを思うと、由美のような性格は得にも見えるが、一番危険性を孕んでいるように見えた。隆子にはそれが一番怖いことろであった。
正直、姉二人は由美が育ってきたところは、中学時代までしか知らない。それから先をどのように成長してきたのかを知らない。そう思うと、一抹の不安があった。中学一年というと、まだ異性に興味を持ち始めた頃だ。
今まで、年に何回か帰省はしていたが、由美に構うというよりも、母親を気にして帰って来ているようなものだったところが大きい。
由美に対しては。帰ってくるたびに大人になって行っているのは意識していたが、それは当然のことであり、妹が相談してくるようなことでもなければ、こちらから敢えて話題を作ってまで会話を繋ぐつもりはなかった。子供の頃の由美は、あまり構われるのを嫌がっていたところがあるのを姉二人は自覚していたからだった。
それでも、最後に帰った時に見た由美に比べて、都会に出てきた時の由美は、まったく違う雰囲気になっていた。大人を感じたのは、確かに田舎を背景に見た時と、都会に出てきたという意識を持った上で、都会を背景に見た妹は、まるで別人のようだった。
それも、二人が二人とも違った方向から見て、
「大人の女」
として意識して見たのだ。これ以上の真実はなく、疑う余地などどこにも存在しないに違いない。
由美にとって姉二人の存在は、やはり他の人とはまったく違っていた。就職してから一月も経つと、だいぶ慣れてきたようだ、さすがに順応性の良さの賜物といえよう。
人見知りも最初だけで、自分の中で、
「会社の中で人見知りなどしていられない」
という危機感のようなものがあったのは事実で。由美が順応性に長けているのは、そんな、
――状況に応じて、適材の意識を持つことができる――
ということではないだろうか。その意識があれば、人見知りもどうにかなりそうなのだが、それもいつの間にか解消されたかのようで、姉二人が気を止むことではなかったようだ。
だが、取り越し苦労をしてしまうのは、隆子の性格であり、これは短所であろうが、長所でもある。どうしても、妹二人の長女となれば、いろいろなことを考えないといけない。自分がまとめていくという自覚が存在している証拠だろう。
春が終わり、梅雨に掛かる頃になると、少し由美の態度が変わっていった。どこか寂しそうな表情をするようになり、一人でいるのが似合っているように見えてきた。
――五月病?
本人にはまったくの意識がないようだが、姉二人は、同じ意見で一致していた。五月病には洋子は掛かったが、隆子は掛かっていない。掛かったことのある者とない者、それぞれで見え方が違っている。
「由美は何かイライラしているようだけど、私たちに不満でもあるのかしらね?」
と、長女の隆子がいうと、
「イライラしているようにお姉ちゃんには見えるわけ? 私には寂しそうで暗く見えるんだけど?」
と、洋子は反論した。
同じ相手を見ていて意見が違うことは得てしてあるものだが、まさか同じ妹を見て意見が違って見えるというのは、二人の間に複雑な心境の変化を読んだ。その時に次女の洋子が考えたことが、
――私たちと由美は、血の繋がりがないのかも知れない――
という思いだった。
洋子は、あまり他人に同情したり、一緒に悲しんであげたりする女ではない、したたかなところがある女だった。ただ、それは母親の影響が大きかった。
小さい頃、家の中でゴキブリがいるのを、母が見つけた。母は奇声を上げて最初は逃げ回ったが、途中から急に冷静になり、ゴキブリを叩き殺した。冷静になったのは開き直ったからだが、殺されるゴキブリを見て、
「可哀そうだわ」
と、子供心にゴキブリに同情してしまった。
「何言ってるの、ゴキブリなんて一匹見たら、数匹はいるのよ、今のうちに退治しておかないと、大変なことになるのよ」
と、ものすごい剣幕で洋子を責めた。
「生き物は大切にしないといけないのよ」
と、学校で何度言われていたことだろう。
――大人のいうことは、人によって違う。何を信じていいか分からない――
と、頭が混乱してしまった。そして混乱した中で一つだけ言えることは、
「お母さんは怒らせると怖い」
という事実だった。
怒られたことで、洋子は、
――私が悪いんだ――
と、結論付け、それから動物の死に対しては、淡白になっていった。そこに一切の妥協を感じることはなく、相手が人間であっても同じことだった。祖父が死んだ時も、洋子は涙を流すことはなかった。
ただ、冷たくなって物言わぬ身体になった時と、骨壺だけになった時には、虚しさを感じた。だが、その感情は虚しさであって悲しさではない。まわりで泣いている人たちを見ていて、何が悲しいのか分からなかった。その時から洋子の中では、
「人は、悲しくなくても涙を流せるんだ」
という思いに駆られた。
涙を流すことのなかった自分が冷徹だという意識はない。
「これが人間の素であり、涙を流す方が白々しいんだ」
と自分に言い聞かせるのだった。
姉の隆子を見ていると、姉も涙を流していない。ただ、何かを一生懸命に我慢していた。涙を流すことを我慢しているようだったが、そんな態度を見て他の人は、
「さすが長女ね、しっかりしているわ」
と言っているが、洋子を見てどう思っているのか分からなかったが、視線だけで考えると、
――洋子のことは、何を考えているのか分からない女の子――
というレッテルを貼られているように思えていた。
それならそれでもよかった。この性格は自分で培ったものではない。母親によって植え付けられたものだ。そんな母親から生まれた娘なのだから、当然遺伝でもあるのだろうし、さらに環境面でも母親の影響を受けている。これほど鉄板なものはない。
――三姉妹の中で私が一番のしたたかさなのかも知れないわ――
したたかな性格と、気丈な性格では見た目似ているように思えるが、種類が違う。気丈な性格である姉と、したたかな性格である洋子は、意外とうまくやれている。
――これも姉妹であるがゆえの歯車の噛み合わせなのかも知れない――
と洋子は感じていた。
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次