隆子の三姉妹(前編)
「普通、あんなところに人がいることってないですからね。いるとすれば、自殺志願者くらいしかいませんからね。でも、ここは自殺の名所として知られているわけでもないので、地元の人でもあまり行かないところに人がいるんだから、ビックリしますよ。しかも若い娘さんでしょう? 急いで止めないとって思って、気が付いたら、崖の上まで来ていましたよ」
と、おじいさんは、今さらのように話していた。
隆子は、この街に因縁があり、本当は来たくないと思っていた。それなのに来てしまうのは、何かに吸い寄せられているからなのか、それとも逃げられないという気持ちが逆に作用して、ここに来ないではいられない気分になってしまうかのどちらかではないだろうか。
デッサンをする時は、水平線にどうしても目が行ってしまう。色を使うわけではない鉛筆画によるデッサンなので、水平線の空と海の境目を描けるはずなどないのは分かっていたはずだ。
だが、どうしても描かずにはいられない気分になってくる。
「角度が悪いんだわ」
と感じたのを覚えている。
「そうだ、あの時に崖の上に向かったのは、デッサンをするつもりで上に上がって、自分でも被写体ばかりに目が行ってしまっていて、危険な感覚がマヒしてしまったことで、おじいさんに、危ない人がいるというイメージを植え付けてしまったんじゃないかな?」
と感じた。
しかし、あの場所で描くことは、最初から決まっていたように思えてならない。高いところは、本当なら怖いはずなのに、怖さを超越した感覚は、精神を凌駕しているのではないかと思うほどだった。
下から眺めているよりも、光の反射はまともに目に襲い掛かってくる。それでも、この場所を選んだのは、空と海との境目がハッキリしすぎるほどハッキリしているからだ。
「そういえば、まだ昼過ぎだというのに、水平線には夕日の影が見えたような気がしたわ」
オレンジ色の光が、水面を照らしている。空の向こう側は、赤みを一切帯びることのない黄色い光が燻っている。昼と夕方との狭間を、この崖の上からは見ることができるのだ。
見ることができても、それをデッサンとして描くことは難しい。描こうとすると、どこかにウソを含まなければいけない気がしてきた。
「絵というのは、目の前に見えている光景を忠実に描き出すことだけが、絵だとは言えない。芸術としての絵は、そこにウソが入ったとしても、描き手が想像している通りであるならば、それはそれで立派な芸術なんだ」
と、言っていた人がいたのを思い出していた。
話を聞いた時には、イメージが湧いてこなかったが、ここで水平線を眺めていると、デッサンであっても、ある程度描けるのではないかと思うようになってきた。描くことを生業としているのでなければ、妄想することが許されると思っていたが、生業としている人の方が、実は分かっているのかも知れないとも感じる。その日、どうしてここで絵を描こうと思ったのか思い出せないが、思い出す必要が果たしてあるのだろうかと思うと、何も考えずに、もう一度同じ場所で、絵を描いてみたいと思うのだった。
今度は、頭の中はしっかりしている。自殺しようとして、死に切れなかった人に、
「もう一度、死にたいと思いますか?」
という、非常識な質問を浴びせるテレビを見たことがあったが、
「死ぬ勇気なんて、何度も持てるものじゃないですよ」
と、答えたのを見たが、まさしくその通りだろう。一気に死ねなかった人は、二度目、三度目になると、次第に感覚がマヒしてくるのかも知れない。そんな中、恐怖心だけが封印されていたところから顔を出し、「死」を意識してしまうと、その時、最初の時にはなかった何かの選択を余儀なくされてしまうのではないかと思うことで、「死」というものが、どんどん遠ざかっていくことに気が付くようになる。
――一体、何の選択なんだろう?
最初には感じなかったことだ。二度目には、何か究極の選択のようなものだったように思う。
――そんな選択をしなければいけないのなら、死を選ぶなどありえない――
と感じるほどのことではないだろうか。
死んでからのことを考えるのが嫌になってくると、本当に死ぬ勇気などなくなってしまう。最初に死のうと思った時は、死んでからのことを考えるなど、そんな余裕はないと思っていたが、実際に自殺を考えると、死んでからのことを考えるようだ。
隆子も、一度死にたいと思ったことがあった。今から思えば、
――どうしてあの時だったのだろう?
と考えてしまう、
他にもっと辛いことがあったはずなのに、死にたいと思った時のことを思うと、どうしてそんな心境になったのか、自分でも分からない。
――死にたいと思うのにはタイミングや時期があるのだろうか?
睡魔が極限に達した時、普段はしないことをしてしまうものだが、隆子も一度頭がボーっとしてしまった時、普段なら絶対にしないようなことをしてしまった。しかし、してしまった瞬間、一気に我に返ってしまう。
「あっと思った瞬間、いきなり目が覚めたんですよ」
という言い方をすると、
「そうそう、私も同じような経験あるわ」
と、話が盛り上がる。
死にたいと思う時も、その時のように、いきなり我に返ってしまうものなのかも知れない。タイミングや時期で片づけてしまうには、あまりにも単純すぎる気がした。
死にたいと思っても死に切れるものではないのは、いきなり死にたいと思う時、死の瞬間を自分でイメージしてしまうのかも知れない。すぐに我に返ってしまって、恐ろしさだけが残ってしまうので覚えていないのだが、気が付けば死の恐怖が死を思いとどまらせていた。
実際にその時死んでしまっていれば、こんなことを考えられるはずもないというのも、不思議な感覚だった。
死を覚悟するのに、二回目以降になると、選択を迫られる。それは、死の世界をいやが上にも考えさせるもので、想像もできないのに、どう選択すればいいのか、無理難題を押し付けられることで、死を思い止まるというものであった。
デッサンをしていて、崖の上から見る空と海の境目を、隆子はまるで「天国と地獄」のように感じていた。どちらが天国でどちらが地獄なのか分からない。ひょっとすると、どちらにもなれるのかも知れない。そう思うと、選択肢の先にあるものが天国と地獄だと思っていたが、実際にはそうではないのかも知れない。
元々、自殺をした人間は、自分を殺すという意味で、地獄に落ちると言われているではないか。自殺志願者に、天国と地獄という選択肢はないはずだ。
生まれ変わることができるかどうかの選択肢であれば、分からなくもない。ただ、それも迷うようなことではない。生まれ変われるなら、それに越したことはないではないか。
だが、それも人間として生まれ変われればの話ではあるのだが、果たして人間にまた生まれてきて、幸運なのだろうか? 生まれ変わるということは、まったく違う人間として生まれ変わることである。生まれ変わった先で、今の記憶があるなどありえないことだろう。
「もし、あなたが生まれ変われるとすれば、もう一度人間に生まれ変わりたいですか?」
と聞かれれば、
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次