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隆子の三姉妹(前編)

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「今の記憶はまったくなくて、まわりも自分を知らないところから始まるわけですよね?」
「もちろん、そうです」
 と言われれば、
「じゃあ、人間に生まれてきたいです」
 と答えることだろう。
 自分が人間としてしか生きられないという意識があるからだ。死を目の前にして、生まれ変わることを意識するなどおかしなことだ。だが、死を選んだ人間の選択肢があるとすれば、もう一度人間に生まれ変わるしかないような気がする。それは、人間として一生を全うできなかったから、もう一度やり直すというよりも、人間でしか生きることのできない人間だということを証明しているにすぎないからだった。
――あの人たちも同じ気持ちになったのかしら?
 あの人たち、隆子がこの街にやってきた本当の理由、何回ここに来ても、落ち着いた気分になることはできない。
 本当は、すぐにでも行くべきなのだろうが、隆子はまず自分の気持ちを落ち着かせることと、その場所に行くには時間を見計らう必要があると思っていた。
 日差しが西の空をオレンジ色に染めて、身体にダルさを伴ったまま、汗が纏わりつく洋服に、心地よい風を感じていたいと思う中、風がビッタリと止んでしまう時間、つまり夕凪の時間を隆子は待っていた。
 どうしても夕凪の時間でないといけないというわけではないが、その時間というのが、一番魔物に出会う時間だというではないか、もしそれ以外の時間であれば、隆子はあの人たちに会うことはできない。そう思っていると、西日の力が弱まってくるのを感じ、風が吹いてこないことを確認すると、夕凪の時間が訪れたことを確信できたのだ。
 その場所は、同じ入り江の崖の上とは反対方向にある。そこは、崖とは趣の違う小高い丘になっていて、誰でも簡単に上れるように、軽いつづら折れになっている。少し歩く距離は長いが、
「人に優しい道」
 になっているのだ。
 ゆっくりと歩いていくと、最初は見えてこない海も、山の傾斜が次第に緩やかになっていくと、海が見えてきてからは、つづら折れではなくなってくる。頂上目指して海を背に歩いていく形になるのだが、目的の場所は頂上まで行くことはない。丘の中腹に位置している場所までやってくると、目的の場所が見えてきた。
 手には花を持っていて、花は朝、おじいさんに頂いたものだった。
 手に花を持って出かける場所というと、そう、そこは墓地であった。霊園のような広い場所ではないが、小高い丘には段々となった墓石が一定区画に区切られていて、物言わぬ主は、永遠に海を見続けている。
 静寂の中で、波打ち際の音が聞こえてくるようであった。中腹とはいえ、後ろを振り返れば、水平線はここからでも、十分に見ることができる。
「なんだ、ここからも見えるんじゃないの」
 と思わないわけではなかったが、断崖から見る景色とは趣がまったく違っている。断崖絶壁から見る水平線は、空と海の境目を必死に探して、そこに何か違うものが見えるのではないかと思うほど、自分の中で切羽詰ったものすら感じる、
 しかし、ここからの水平線は、何があっても、変わることのない普遍性を示している。
「何があっても、普通でいいんだ」
 と思わせることは、癒しに繋がる。墓地が癒しを与えてくれるなど、今までには考えられないことだった。
 墓地というと、夕方以降、近づくことはタブーな世界であり、そこから先は、人間の立ち入ることのできない時間と空間が広がっているものだと思っていたが、
――ひょっとして、夜の世界とも共存できるのかも知れない――
 と感じるほどになっていた。お互いに尊重し合ってさえいれば、共存は十分に可能なのではないだろうか。
 隆子は、墓地の入り口にある木桶に水を八分目ほど入れ、そこに持ってきた花を浸けた。柄杓を手に持ち、目的の墓石の前までいくと、その柄杓に水を入れ、墓石の上から優しく流してみた。
「カツン」
 という乾いた音が響くと、思わず葬儀の後の火葬場で、骨だけになってしまったのを思い出し、
「そういえば、あの日は雨が降っていたわね」
 と、あまり列席者もいない寂しい葬儀だったのを思い出した。
 隆子は、木桶から半分花を取り出すと、さらにそれを半分に分けて、墓前に手向けた。そして、残りの束を、左の墓前にも飾ったのである。そして、同じように水を上から描けると、手を合わせてお参りした。
 ここに眠っているのは、隆子が知っている一人だけではない。二人なのだ。それも並んで葬られている。それが報われない二人にとってのせめてもの救いになっているのかも知れない。
「どうして心中なんかしちゃったのよ」
 隆子はどちらの墓に言うともなく呟いた。
「あなたがいなくなっても、私は恨んだりしたわけでもないし、あなたが幸せになってくれればそれでいいと思っていた。生きてさえくれていれば、私ももう少し違った人生を歩んでいるかも知れないわ」
 隆子には、言いたいことがいっぱいあるようだ。
「でもね、あなたかちが知り合うことになるとは思わなかったけど、それも私が悪かったのかも知れないわ。あなたたちが死んでしまったので、それを確かめるすべがなくなってしまったおかげで、私はこの思いを抱え込んだまま生きていかないといけなくなっちゃった。どうしてくれるのよ」
 隆子は、文句を言いながら、少し情けない表情をしているが、決して涙を流すような表情ではない。むしろ笑顔を隠そうとしているように思え、そんな隆子の顔を知っている人は、おそらくいないだろう。
 墓前に手向けた花の横に墓石の主の名前が書いている。
 右側の墓石にはゆかり先輩の名前が刻まれていて、左側の墓石に書かれている名前は、信二の名前だったのだ……。

                 (  続く  )



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作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次