隆子の三姉妹(前編)
元々、療養所に入る前も、自分ではあまり明るい性格ではないと思っていたので、追い打ちを掛けるように、さらに暗いと言われて、俄かに信じられるものではない。自分で感じていた暗いと思っている性格も、自分では好きな性格ではなかった。それをさらに暗いと言われるのだから、
――何か私に恨みでもあるのかしら?
と、勘ぐってしまう。
しかし、実際には、隆子の中で暗いというイメージがあるだけに、次第に暗いという性格を自分で受け入れることが、自分に対しての慣れに繋がるということで、悩みを最小限にしようという楽な道を無意識に歩もうとしているのかも知れない。
療養所の生活は、今までの自分の暮らしとはまったく違ったものだったが、慣れてくると、戻っていく場所もさほど違いがある場所には思えなくなってきた。療養所に入る前と出てからとで性格が変わったように感じるのは、隆子の感じ方ひとつの違いが影響しているだけだった。
その時と同じように、隆子がこの路線の電車に乗って出かけるようになってから、隆子の性格はまわりから見れば変わったように見えるようだった。
隆子はまわりの見る目が変わったのだと思っていたが、その感覚が、まわりから見た思いとは違っているのに、実際は同じものなのだ。
隆子は車窓を見ながら、
「誰も知らないところに行くというのも、スリルを感じるわね」
と、思わず、ほくそ笑んだ。
本当はそんな気持ちに余裕などなかったはずなのに、今では思い出し笑いができるほどになっていたのは、ここにいる自分が本当の自分ではないかと思ったからだ。
いつもは、姉妹たちの長女として毅然とした態度を取らなければいけないと思い、自分を押し殺して来たところもあった。しかし、こうやって一人で出かける時は、本当の自分を出すことができる。それが嬉しいとも感じる隆子だった。
それでも後ろめたさは消えたわけではないので、いくら一人になったとしても、そこに求めている自由があるなどということは、到底考えていない。隆子は自分を偽っている時があるという自覚はあったが、それがいつのことなのか、深く考えたことはなかった。それは今も昔も変わっていない。
最初にこの電車に乗った時のことを思い出していた、
あの時も、電車の中はほとんど人が乗っておらず、途中のちょうど半分くらいの駅からは、一つの車両に二、三人といった乗客だけだった。
時刻表を見ると、なるほど、中間地点の駅までは電車の本数は、一時間に数本あるのだが、路線の終点まで行く電車は、一時間に一本あるかないかであった。しかも問題の駅で後ろの車両を切り離してから、二両編成くらいにして走る列車がほとんどなので、どれだけここからがローカル線という認識になるのか、その徹底ぶりが、田舎というイメージを増幅させていった。
途中で切り離してからの車窓は、それまでとは一変した。
のどかな田園風景は、一方の車窓からだけで、反対側の車窓からは、広い海が広がってくる。
日差しに煌めく海面が、直視できないほどの眩しさを車内に容赦なく入り込んでくる。眩しさを甘んじて受ける気持ちでブラインドを下ろそうとしない隆子は、元々、ブラインドを使う方ではなかった。
――どんなに眩しくても、外の景色が見える方がいい――
三つの恐怖症があることを隆子は認識している。高所恐怖症、暗所恐怖症、閉所恐怖症である。
極端ではないが、隆子はその三つをすべて自覚している。ブラインドを下ろさないのは、暗所と閉所の恐怖症によるものだ、
――表が見えないというのは、これほど怖いものはない――
という意識が強く、隆子は敢えて、眩しい海岸線の方に席を移動した。
閃光が乱舞するかのように目に飛び込んでくる。最初は意識が朦朧としてくるのを感じていたが、今では眩しさを感じることを悪いとは思わない。人がいないのをいいことに、
「この車両は私のもの」
という独占欲が湧いてくるのだった。
それは、これから向かう場所で、同じことを思いたいからで、電車の中にいる間から、自分の気持ちを高めるように意識している隆子だった。
電車の中はクーラーが利いているはずなのに、汗が少し滲んでくるのを感じた。海岸線からの閃光に暑さを感じるのか、それとも、これから向かう場所を思うと、自然と汗が出てくるのか、隆子はリラックスした気分が少しずつ消えていくのを感じた。
緊張感が心地よく盛り上がっては来ていた。リラックスが溶けてくるのと、緊張感が盛り上がってくる感覚は背中合わせだと思っていたが、微妙に違っている。
後から思い出した時に感じるのは、緊張感が盛り上がってくる感覚よりも、リラックスが溶けてくる感覚の方だった。その時に感じる強さは、緊張感が盛り上がってくる時の方が大きい。
もっとも、後から思い出すのは、二つあるうちのどちらかだというのに、その場では同じ瞬間に、二つのことを同時に感じることができるというのも、おかしな感じがしている。緊張感が盛り上がる感覚を味わっている時に、リラックスが溶けていくのを同時に感じることができるのだ。比較するには難しいのかも知れないが、リラックスが消えていくことに、若干の違和感を感じることで、先ほどからの汗が滲み出ることへの説明にもなるのではないかと思うのだった。
電車が終着駅に到着する頃には、眩しさにも慣れていて、最初に掻いた汗は、次第に引いてきているのを感じる。完全に引いたわけではない汗を感じながら電車を降りると、表は心地よい風に包まれているのを感じた。
電車の中ではあれだけ暑かったのに、表に出ると、少しひんやりとしている。歩きながら先ほどの汗が一度引いて、今度は新しく汗が出てくる。ひんやりとした表だったが、どこからともなく聞こえてくるセミの声を聞いているだけで、汗が滲んでくるのだった。汗を掻くことが心地いいと思うのは、普段とは違う環境にいるからなのか、それとも田舎の風景に、いつの間にかその場にいることに違和感がなくなり、子供の頃を思い出させるのか、隆子は療養所の思い出が悪いイメージしか残っていなかったはずなのに、ここに来ると、それもまんざらではなかったのように思い出すことができたのだ。
「そういえば、療養所で知り合った男の子がいたっけ」
その男の子は、不思議なことを口にする少年だった。
隆子よりも学年が小さかったはずなのだが、いくつだったのかは分からない。その少年が言う話をまともに信じてはいけないと、いつも感じていたのを思い出した。
しかし、なぜかいつも少年がそばにいた。
「私のそばに近づかないで」
などということを、自分の口から言えるはずもない隆子は、
「俺はいつも考えていることがあるんだ」
「何を?」
「誰も知らない間に俺はこの世から消えていて、俺のことを知っている人が誰もいなくなるんだ。俺の存在自体が最初からなかったことになる。それが本当は一番しっくりくることなんだろうけど、なぜかひとりだけ心の中に虚しさを残している女性がいるんだ」
「その女の子は、あなたのことを覚えているからじゃないの?」
「そうじゃないんだ。覚えていて虚しさを感じるというわけではないんだ」
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次