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隆子の三姉妹(前編)

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 それは、途中で、立場が逆転したことを示していた。
 しかも、そのことを隆子は意識していなかった。先輩は意識していたとすれば、それを甘んじて受け入れていた証拠であり、もし分かっていなかったとすれば、男に走ったのは、そのことを先輩が隆子よりも先に感じた証拠であろう。
 先輩が走った相手の男のことを、調べるつもりはなかったが、ちょっとだけ調べてみた。名前までは教えてくれなかったが、どうやら、女性を食い物にしている男のようだった。特にレズビアンの女性を相手にするのが得意で、元々ホストになりたかったくらいのルックスのよさと、さらには、実家が金持ちだと来ていることで、世間知らずの女は、結構引っかかったりするらしい。
――どうして、そんな男に引っかかったのかしら? 私なら、絶対に引っかかることはない――
 という自信を隆子は持っていた。その根拠がどこからくるのか分からなかったが、先輩が男に引っかかったという事実が隆子に与えたダメージの大きさが、
――変な男には引っかからない――
 という自信の根拠になったのだった。
 変な男には引っかからないという思いがあるのに、短大に入ると信二に引っかかった。信二は純粋な男性に見えた。
 しかし、少し話をしてみると、最初は自分のことよりも、相手を知りたいというイメージの話し方だったが、次第に、自分のことを知ってもらおうという思いが嵩じてなのか、以前先輩が走った男のイメージが頭に浮かんできた。
 その男の顔と先輩の顔が目の前に浮かんできた。逆光の中で、恐ろしい形相を浮かべていて、その顔の原型をまるで、隆子には見せないようにしているかのようで、その時のことは、隆子が先輩に残した未練が見せた夢であることは明白だった。
「どうして、そんな男に走ったの? 目を覚ましてよ」
 と、目の前にいる先輩に必死で訴えるが、先輩の顔も逆光でハッキリと見えない。
 それは、まるで先輩とのそれまでのことが、すべて幻だったかのように思わせた。
――ゆかり先輩なんて、最初から自分の中にはいなかったんだ――
 と思わせようとしている。それは先輩の意志ではなく、隆子自身の意志が働いてのことだった。
 確かに隆子が今まで生きてきた中で、一番誰かに知られたくない事実である。ただ、それは恥かしいという意味ではなく、自分たちの世界を他の人に土足で上がられて、壊されたくないという思いがあるからだ。
 逆にいうと、その思いは隆子が勝手に作った思いであり、先輩の思いを分かっているつもりでいるが、それは隆子の思い過ごしであり、先輩との間に気持ちの上での結界があることを意識していなかったのかも知れない。
 先輩に対して感じた結界を、先輩と知り合う前から感じたことがあったように思える。どこまで行っても交わることのない平行線、その間に設けられているのが結界である。なぜ結界が存在するかというと、いつまで経っても交わらないということを、隆子が信じたくないという思いから、平行線を感じた瞬間に、敷かれた境界線だった。つまりは結界とは相手が設けたものではなく、自分自身で平行線を認めたくないという思いから作り上げたものだったのだ。
 隆子は、三姉妹の長女であるという思いも強かった。三人の中に三すくみのような感情が渦巻いていることに気付いてはいなかったが、何かそれぞれに隆子が設けた結界が存在することは意識していた。その時は、結界と呼ぶほどの大げさなものではないことは分かっていたが、三姉妹の間にそれぞれ均衡を保つ緊張が存在することは分かっていた。そのことを知っている人がいるとすれば、洋子だろう。由美にはそこまで感じるだけの緊張感が存在しない、ただそれも隆子が見てそう感じるだけなので、説得力はなかった。

 隆子は、由美が裕也を連れてくる数日前に、一人で出かけた。
 それは、会社とは反対方向で、普段は乗らない電車に乗っていく場所だった。朝、三人とも一緒に出掛けたので、妹たちは隆子は仕事に出かけたと思ったに違いない。
 都心部へ向かう電車ではなく、田舎に向かっていく電車なので、余裕で座っていくことができた。
 その日は、前もって有給休暇を取っていたので、悪いことをしているわけではないのだが、どこかに後ろめたさを感じた。
――誰にも知られたくない――
 という思いがあることから、隆子には後ろめたさが強かった。それは、誰にも知られたくないと思っていた先輩との関係と似ているが、それは先輩と最初に関係した時のことだった。途中からは、
――誰かに自分の思いを知ってもらいたい――
 と思うようになっていた。
 それは、自分一人で抱え込むには思いが大きすぎると思ったからで、自分の背徳感を他の人にも味あわせ、言い方は悪いが、他人にも自分の背徳感を知ってもらい、責任の一旦を担ってもらいたいという思いの「責任転嫁」に近いものがあった。人に自分の背徳感を責任転嫁しようとしている段階で、
「自分には罪深さがある」
 ということを、まわりに宣伝しているようなものだった。
 さらに隆子には、他人にはおろか、妹たちにも知られたくない事実があるのを、後ろめたさとしてずっと持っていた。その時出かけたのも、それまでにも何度もあったことで、今に始まったことではなかった。
 ここに来るようになったのは、短大を卒業し、就職した頃だった。それまで、なかなか足を延ばす気分になれなかったのは、自分の中にある先輩との関係と、妹たちとの確執で、頭の中が混乱していたのもあったかも知れない。
「それも、やっぱり言い訳なのかも知れないわね」
 電車に乗ってから、次第に車窓は田舎へと変化してくる。気が付けばのどかな田園風景になっていて、終点までの一時間とちょっと、隆子にとっては、最初は二時間にも三時間にも感じられた。
「時間の感覚なんて、本当に曖昧なものだわ」
 車窓からのどかな田園風景を見ながら、独りごちた。
 田舎暮らしは半年ほどしたことがあった。
 隆子は小学生の頃まで、喘息で苦しんでいた時期があったが、その頃、療養と称し、学校を休むことも公認として、診療所のようなところに入ったことがあった。
 まだセミの声が聞こえていたが、夏の終わりの入道雲が目立っていた頃で、体調も軽く壊しかけていた頃だったが、
「療養所なら、ちょうどいい」
 と、母親が言っていた言葉を思い出したが、それは隆子の意見を一切聞こうともしない自分勝手な思い込みだったことに、まるで自分は親から捨てられるという危機感を感じたのを思い出した。
 療養所と言っても、粗末な造りで、実際に入ってみると、夜中に不気味なうめき声が聞こえてみたり、静寂をぶち破るような奇声が暗闇をつくように飛び込んできた。そんな時に目の前に見えた閃光が、白い色だったのか、それとも青や緑のような暗い色だったのか、あまりの一瞬で覚えていない。
 隆子は、療養所を出る頃には、半年前と明らかに性格が変わっていたことに気付かなかった。
 もし、自分で気付くのであれば、最初から気付いていたはずだ。後になって分かったということは、それは人から指摘されたからだった。
 それでも、最初は意識がなかった。
「あなたって、こんなに暗かったかしら?」
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次