隆子の三姉妹(前編)
「私は、別に洋服の絵を描いているつもりはなかったって言ったけど、後から思うと、本当にそうだったのかって自分で言いきる自信がないのよ」
「元々、ファッションや洋服に興味はあったんですか?」
「それがそうでもないのよ。どちらかというと、おしゃれには興味のない方だったのよね」
「でも、自分に対してのおしゃれには興味がなくても、他の人をコーディネイトするのって、また別の心境なんでしょう?」
「そうですね。でも、本当は他の人も自分も、あまり比較できないと思っているはずなのに、どうして他人のファッションにこれほど興味が湧いたのか、不思議なところなんですよね」
「それはきっと、自分というものが一番分からないものだという認識があるからなのかも知れませんね、自分をよく分かっていれば、他人ととこかに境界線のようなものを勝手に作ってしまうでしょうからね」
「でも、洋服というのは、マネキンが着ていても綺麗に感じるんですよ。その時に思うのは、『この服に似合う人ってどんな人なんだろう?』ってことなんですよね。『この人にはどんな服が似合うんだろう?』って思う時は、その人のことを好きになっている時だって思うんだけど、まだ見ぬ、その洋服の似合う人というのは、一目惚れをしてしまうくらいに綺麗だと思いますね」
「私は、そこまで何かに夢中になったことがないので、よく分からないんですけど、洋服って、やっぱり着る人によって変わるものなんですか?」
「着る人によって変わるというよりも、着る人をイメージして作っているという感じですね。確かに着る人によって変わってくるように見えたとしても、そこにデザイナーの何らかの感情が含まれています。私は、その感情が芸術を司っているように思うんですよ」
その時の彼女の話を聞いていると、学校の勉強との違いを感じているように思えた。押しつけになってしまうのは、算数と数学の違いを思い起させる。隆子にとって、同僚の話は、先輩の話を思い出させるものでもあった。
先輩が、急に男性に走ったのは、隆子よりも、その男性のことを好きになったからだと思っていたが、今では先輩が、ただ隆子から逃げるために、男性に走ったのだと思うようになっていた。
走った相手が女性ではなく男性だったということは、最初に付き合った女性が隆子だったことが原因なのかも知れない。
隆子に対して、何か恐ろしいものを感じたのだ。
それが何かは、隆子自身には分からない。だが、同僚と話をしている中で、
「隆子さんには、男性を縛る、何かヘビのようなものを感じるわ。でも、、それは白いヘビで、美しさやしなやかさを感じる。あなたは、男性よりも女性にモテるのかも知れないわね」
と言われた。
ズバリ指摘されてビックリしたが、まさか、ヘビのイメージがあるなんて、今までに感じたこともなかった。
そういえば、小さい頃、誰かに聞かされた怖い話を思い出した。
「夜に口笛を吹いたら、ヘビが寄ってくるよ。身体に纏わりついたヘビは、相手を締め殺すまで離れない。だから、口笛は吹いちゃいけない」
小学生の低学年の頃に聞いた話だった。
――ヘビって、怖いんだ――
動物園で見たヘビに、気持ち悪さは感じたが、怖いものだという発想は、それまでになかった。お化けや幽霊の類とはまったく違った発想をそれまではヘビに持っていたが、夜とヘビという関係を想像すると、暗闇におぼろげに浮かんでいるその姿は、まさしく白いヘビだったのだ。
先輩が隆子を見て、心に響いたものは、白い美しさだったのかも知れない。先輩が元々女好きだったという証拠があったわけではない。先輩の口から聞いたわけでもなく、勝手な隆子の思い込みだっただけである。
「先輩は男に走ったわけではなく、好きになってしまったのが私だったから、相手が女性だったというだけのことだったんだわ。男に走ったわけではなく、先輩の中に、男女の区別なんてなかったのかも知れない」
そう思うと、先輩を惑わしたのは隆子であり、先輩に誘惑されたことで女性に目覚めたわけではなく、相手を惑わす力を持っていたのは、隆子の方だった。妖艶な雰囲気に感じたのも、自分が相手の妖艶さを引き出す魔性を、持っていたからだったに違いない。
隆子は、まだ自分の妖艶さには気付いていない。相手を惑わす力を、同僚は気付いたことで、却って隆子に近づいたのだ。
避けようとしても、逃げられないと思えば、自分から相手の懐に入り込むのも一つの手ではないかと思ったのだろう。
「この人は、まだ自分を最後まで分かっていない」
と、思ったからできたことではないだろうか。
隆子自身は、
――どこまで行っても、自分のことを分かるはずはない――
と思っている。
それは、自分自身と、自分を客観的に見ている目が、まるで平行線のように、交わることもなく、ただ適度な距離を保つことで成り立っている
「精神と、肉体の均衡」
と表しているのかも知れない。
それぞれに適度な距離を保っているのは、隆子だけではない。誰もが適度な距離を保って、自分を抑える立場を有する視線を持つ「もう一人の自分」が存在するのだ。
「もう一人の自分」の存在に、気付いている人は少ないかも知れない。自然にしていれば「もう一人の自分」は表に出てくることはない。自然に振る舞おうとして感じるのは、
――誰かに見られている――
という妄想である。それがもう一人の自分だということに気付くのは、妄想が終わった後のことになるに違いない。
もう一人の自分の視線を感じたことは確かにあった。しかし、その存在を確認することはできなかった。もう一人の自分は、今の自分と同じ姿をしていると思っているからで、人から指摘を受けたような、白いヘビのイメージではなかった。
子供の頃に聞かされたヘビのイメージは、「白装束の髪の長い女性」だったのだ。
その女性は、最初は一人だけだが、まるで夢遊病のように、何かに吸い寄せられるように歩いていると、まわりから同じようないで立ちの女性が集まってくる。
まるで夜中の集会でもあるかのように、岩場の奥には、一定区間に蝋燭が据え付けられている。
カルト集団の集会のように見えるが、それぞれ女性の表情は、洗脳された表情には思えない。皆考えがあって集まってきている。そこにカリスマを醸し出す人物は存在しない。それぞれ意志を持って、そこに存在しているのだ。
隆子もその中にいる。何を考えているのか、見ているだけでは分からないが、何かを求めて集まっているのは、間違いないようだ。
湿気を帯びたその場所は、壁も白く、濡れそぼっている。綺麗に削られたように光って見えるのは、それが鍾乳石である証拠だった。
――そういえば、冷たい場所だ――
どこかで見たことのあるものだと思っていたが、真っ暗な中に浮かび上がる光景は、子供の頃に行った温泉のそばにあった鍾乳洞のイメージだった。子供の頃の記憶なので、どこまで信憑性があるのか分からないが、鍾乳洞を歩いている時に感じた湿気と、そして生暖かいと思う中で、冷たさを感じるという矛盾とが、隆子の中に、記憶として留めることのできないイメージを植え付けていた。
――やはり、私はヘビのイメージなのかも知れないわ――
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次