隆子の三姉妹(前編)
「あなたは、私の話を分かっていないと思うけど、でも、言われてみればと思うことはあるはずよ。私も最初は分からなかった。どうしてセリフにばかり目が行くのかってね。私は納得できないことは、信じない性格だったので、自分で理解できるまでは、本を読んでも集中できなかった。今でもその兆候はあると思うの」
「私も国語は苦手だった、テストも、すぐに設問に目が行って、それから例文を読むから、思い込みっていうのかしら、どうしても答えを導き出せなかった。国語のテストの回答は、ほとんど勘のようなものだったわ」
「私と一緒ね」
二人は目を合わせて笑った。
「学校の勉強を考えた時、私は、それが将来どのように役立つかって、すぐに考えてしまうんです。だから、あなたのいう、納得の行かないことは信じないという考えに似ているところがあるんじゃないかって思ってね。そう思うと、あなたと話をしていると、私も自分のことを顧みることができる気がするの」
「私が、ファッションデザイナーを目指すきっかけになった絵を描いた時、最初から洋服の絵を描こうなんて思っていたわけじゃないの。あれは美術の時間のことで、何を描いてもいいっていうフリーな題材だったんだけど、自分の好きにしていいっていうのが、実は一番難しいというのをあなたは分かる?」
「おぼろげには」
「その時、皆、校庭や、学校の裏庭に出かけて、桜の木だったり、風景を中心に描こうとするおよね。私もその時は、学校の裏庭で、桜の木をテーマに描こうと思ったの。でも、その時に一人の女性が、子供を遊ばせるのに、裏庭に来ていたのよね。その人は、シックな洋服を着ていたんだけど、とっても似合っていた気がしたの。日傘をクルクル回しながら、目の前で遊んでいる自分の子供を見ながら、座り込んでいたわ。風が吹いてきて、かぶっていた帽子が風に舞って、それを追いかけているのを見ると、急に自分の将来を感じたの」
「そんな風になりたいって?」
「それもあるけど、まるで自分の将来を見ているような気がしてね。もちろん、これからいろいろな分岐点があるだろうから、それが自分の望んでいる将来なのかはその時には分からなかった。でも『こんな人生もいいな』と感じたのも事実、それを教えてくれたのは、その時に吹いた風だったというのは、ちょっと格好良すぎるかしら?」
彼女は、お茶目に笑った。
「いいと思います。そんな風に人を見ることができるというのは、私は素敵なことだと思います」
「あなたは、まだそんな思いをしたことがないようね」
「ええ、もうこの年になって、そんな思いができるとも思えないですけどね」
「これは年齢ではないと思いますよ。私ははしかのようなもので、人は一生に一度は、この思いをするものだと思っています。もっとも、意識していて見れるものではないので、あとになってから思い出して、『このことだったんだ』と思えばそれでいいんじゃないかって思います」
彼女と話をしていると、感じるのは、
――由美に、どこか似ているところがあるわ――
と感じた。
由美のことをあまり気にしたことはなかった。
隆子はどちらかというと、意識してしまうのは、洋子の方だったからである。それは、どうしても感じてしまう洋子に対しての優位性であり、逆に由美から見れば、優位性という意味で言えば、洋子に対してよりも、完全に意識が隆子にあった。
隆子はそのことを意識していた。三人の意識が三すくみのようになっていることをである。
隆子が、そのことを意識したのは、同僚と話をしている時だった。
彼女の話は、決して楽しいものではないが、目からウロコが落ちるような、それまで意識していなかったことを理解させてくれたりするところと、それまでの自分の考えを一歩立ち止まって見つめることのできる環境を自分で作ることができるということが、自分を納得させる力になっていた。
あとからそんなことを感じられる同僚との話は、さらに続いた。
「洋服の絵を褒められたって、さっき言っていたけど、女の人を描いたんですよね?」
「ええ、そのつもりだった、でも、女性の表情は、描くことができなかったの。それはきっと自分が彼女の心境を理解できるはずはないと思っていたからで、今から思えば本当に冷たいくらいの無表情の絵を描いた気がするの。でも、先生は女性を見るわけではなく、洋服だけを見て、『素敵な絵だわ』と言ってくれたのね」
「よほど理解のある先生だったのね」
「そうね、それと、美しいものは美しいという基本的な考えが、先生の根幹にあったみたいなの。先生も以前は画家を目指していたらしく、本人は挫折したって言っていたんだけど、生徒のいいところを伸ばすことだけを考えて、先生をしているって言っていたわ」
その時の隆子には、考えられない発想だった。何事も自分に置き換えて考えるところがある隆子は、自分のいいところを発見もできないのに、人のいいところを見つめるなど、できるはずはないと思っていた。
「私も、自分を中心に考える人間だから、その先生のようにはとてもなれないわ」
「なろうなんて思わなければいいのよ。思うから重荷になってしまう。その人のいいところというのは、探して見つけるものじゃない。それにその人のいいところというのは、見る人によって違っていても、私はそれでもいいと思う。それが本当の自由な発想であって、同じ気持ちと言葉では表現しても、まったく同じなわけはないでしょう? そんなものなのよ」
隆子は先輩のことを思い出していた。
先輩は形の上では、隆子を捨てて、男に走った。隆子には許せない気持ちになったこともあったが、なぜかしょうがないと思う気にもなった。それは、
――私もいつ同じ気持ちになるかも知れない――
と、感じたが、その裏で、
――絶対に同じなんてありえない――
という二つの思いが渦巻いて、どう理解していいのか分からなかった。
しかし、考え方として、
――すべて同じであるなどありえない――
という同僚の話を聞くと、納得できることもある。それは、自分たち姉妹にも言えることで、考え方によっては、
――すべての疑問が一つに繋がっている――
と思えるからだ。
「自分中心というのが、悪いことだという発想をまずは捨てることからなのかも知れないわね」
と、同僚は話してくれたが、実は同じ話を以前にも聞いた気がしたが、それが先輩からだったことを思い出していた。
――先輩は、本当に私のことをしっかり見てくれていたんだ――
と、今さらながらに感じた。別れはしたものの、気持ちの中に存在している先輩は、隆子の中で、いつまでも色褪せることなどありえなかった。
先輩のことを思い出すと、同僚ともっと話をしていたい気がしてきた。まだ肝心なところも聞けていないからだ。
「絵というのは、目の前にあるものを忠実に描くことなんじゃないのよね」
その言葉を聞いた時、肝心なことが聞けた気がした。
そういえば、先輩を見ていて、
――先輩の本当の姿を、私は見ているのかしら?
と感じることがあった。逆に、
――先輩が見ている私は、本当の私なんだろうか?
と考えることもあった。
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次