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隆子の三姉妹(前編)

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 隆子は、一通りの躁鬱状態を、約一か月過ごすと、今度は、なぜか忘れてしまったはずの先輩のことを思い出してしまった。
――身体が覚えているからなのかしら?
 先輩への想いが再燃してしまった。
――もう一度、因りを戻したい――
 と感じるようになったが、その思いは日に日に強くなって行った。
 先輩が今どうしているのかを思うと居ても立ってもいられなくなり、ゆかり先輩のことで思い出すのは、
「違う人が、もっとおいしいものをくれるっていうから、そっちに行くね。じゃあね。バイバイ」
 というなぜか最後に感じた猫のような先輩だった。
 一番辛いシーンだけを思い出すというのは、どういうことなのだろう? それを思うと、先輩への自分の気持ちの本当のところがどういう状態になっているのか、少し疑問に思うところがあった。
 隆子は、先輩への気持ちを思い出していた。
 身体が先ではあったが、平行するかのように気持ちも高ぶっていった。その思いをいかに伝えるか、心と体のバランスを取るのが、最初は難しかった。それでも、先輩の導きがうまかったのか、次第に慣れてきたからなのか、うまく行くようになっていた。
 隆子は自分を導いてくれた先輩を尊敬するようになっていた。精神と身体のバランスを自分だけではなく、人にまでうまくコントロールできるように導けるというのは、先輩の仁徳なのだと思うようになったからである。
 先輩のことが気になっているのか、それとも、自分にオンナというものを教えてくれた先輩が、いきなり男に走ったことへの怒りなのか、それとも、男に走った理由を知りたいという思いからなのか。そのどれもであるのは間違いのないことだと思うのだが、そのうちのどれが一番大きな思いなのか、ハッキリと分からない。
 ハッキリ分からないからこそ、知りたいという思いが強いのだ。
 隆子は先輩に抱かれている時、たまに何を考えているのか分からないと思ったことがあった。
 その時、急に先輩の腕に力が入ったかと思うと、急に力を抜くのだ。
「痛い」
 という声を上げようとした瞬間には力が抜けているので、出かかった声が萎んでしまった、まるでその時の心境のようである。
 拍子抜けした感じもあるが、それ以上に、
――先輩は何を考えているのだろう?
 何かを考えているのは分かっているが、考えていることが自分のことなのか、それとも他の人のことなのか分からないところが、隆子には不安だった。
 自分は先輩に身も心の委ねているのに、委ねた相手が上の空では何を信用していいものか分からなくなる。その思いが不安となって積もってくると、自分以外の誰かのことを考えている以外に思いつくことはなかった。
 先輩にあっさりとさよならを言われて二か月が経ったある日、隆子は先輩の家の近くまで行ってみた。それまでは、先輩をなるべく避けるようにしていた。先輩は行動パターンを変える人ではなかったので、会わないようにしようとするのは簡単である、その日は、朝から胸の鼓動を抑えるのに必死だった。
 去って行った人を、二か月も経って追いかけるというのは、不思議な感覚である。
 相手が男性なら、ここまで意識はしないだろう。ただ未練がましいというだけで、背徳な気分になることはないからだ。相手が女性であるということで、人に見られたとしても、まさか恋愛感情からだなどと、誰も思わない。それなのに、隆子の中では、後ろめたさが大きく、恥かしさで顔が真っ赤になることだろう。
 先輩は、隆子と一緒にいる時でも、門限を破ったことはない。門限は確か午後八時ということだった、午後七時頃から待っていると、八時少し前に、聞き覚えのある声が聞こえてきたかと思うと、暗くなりかかった地面に、二本の長い影が揺れていた。
 相手の男性は、今までに見たことのない人で、大学生のような感じだった。先輩は制服を着ていたが、相手は私服だったからだ。
 男役も女役もこなす先輩だったが、そういえば最後の方は、女役の方が多かった。先輩がいつも立場を決めていたのだが、たまに隆子に決めさせようとするようになっていた。相手に決めさせようとしているにも関わらず、隆子が先輩に男役を選ぶと、あからさまに嫌な顔をするのだった、
――それなら、自分で決めればいいのに――
 と思ったが、口には出さなかった。
 自分では決められない何かがその時の先輩にはあるんだろうと、精神的な悩みのようなものを先輩が抱いているのではないかと思っていた。
 相手に選ばせることで、少しでも自分の責任を軽くしようという思いがあったのは確かで、
「隆子ちゃんが、選んでくれた方がいいの」
 と、言われると、逆らえない気分になる隆子は、甘えられると嫌とは言えない性格なのではないかと思った。
 しかし、それは先輩に対してだけで、逆に他の人から甘えられようものなら、嫌悪感を表に出していただろう。それが分かっているから、他の人は誰も隆子に甘えてくることはない。甘えられたくないにも関わらず、甘えられないと寂しい気分になるという、何とも都合のいいものだった。
 そんな都合のいい性格を最初に見抜いたのも先輩だった。他の人は怖がってか、分かっていても誰も何も言わない。しかし、先輩だけは、隆子に対して思ったことをズバズバ言ってのける。本当は自分のまわりにそんな人がいてほしいと思っていただけに、先輩が隆子に声を掛けてくれたことは、嬉しかった。
 もし、先輩に出会わなければ、どんな性格になっていただろう? 妹たちの性格など、分かることのなく、もっとわがままに過ごしていたかも知れない。男性への興味が深まって、失恋するたびに、ショックが大きくなり、失恋から自分が成長するための何かを感じ取ることができたかどうか、疑問である。
 しかし、隆子は明らかに遠回りしている。最初から男性を好きになるノーマルな性格であれば、躁鬱症にも、もっと早く気付いていたかも知れない。最初に好きになったであろう男性と知り合うことができなかったことが、どのような影響を自分に及ぼすというのだろうか?
 本当は隆子が気付くべきことを、最初に先輩が気付いてしまったのかも知れない。ただ、隆子は相手が先輩だったから女性に走ったのであって、相手が誰でもいいというわけではない。これを機会に男を見る目を養うようにしなければいけないのだろう。
 男の顔をその時隆子はハッキリと見た。だが、薄暗い中での街灯に照らされた顔は、明らかに普段見るであろう顔とは違っていた。
――もし、どこかですれ違ったとしても、分からないわ――
 それは、先輩に対しても同じだった。雰囲気だけを見ていると、
――どこが楽しそうなのだろう?
 と疑いたくなってくる。後ろの街灯が完全に逆光になっていて、表情が分かりずらい。しかし、その表情も目が慣れてくると分かってくる。表情が硬いのは、何も逆光だからというだけではない。実際にお互いに何かを考えていて、硬い表情になっているのだ。
――自分の世界に入りこんでいるみたいだわ――
 その雰囲気が、完全に隆子が知っている先輩ではなかった。
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次