隆子の三姉妹(前編)
元々洋子がこの部屋に飛び込んできたのも失恋が原因だった。もちろん、由美が彼を連れてくると言ったのは、そんな洋子のいきさつを知らないことからだという軽い気持ちだったのだろうが、洋子にしてみれば、まるで当てつけのように思えてくるのは、由美が自分に対する警戒心のようなものを持っているかのように思えたからなのかも知れない。
「ピンポーン」
時間としては、まだ十時過ぎだった。
「早いわね」
声を荒げたのは、洋子だった。本当ならもう少しして出かけるつもりだっただけに、どうしようか迷っている。
別に出かけても構わないのだろうが、妹の彼氏に頭を下げて出かけるというのも、何となく癪に障った。変なところでムキになるところのある洋子らしいが、それでもいたたまれない空気になったらどうしようという気持ちも少しはあるので、少しだけ様子を見て、出かけられるものなら出かけようと思った。要するに、長居は無用だということだ。
隆子も少し虚をつかれたという気持ちはあったが、洋子に比べれば落ち着いていた。さすが長女というべきか、最初から早く来るかも知れないことを予測していたのかも知れない。
「お邪魔します」
グレーのジャケットに、ベージュのスラックス。落ち着いたいでたちに、隆子は好青年をイメージした。さっきまではしゃいでいた由美も、彼の横にピタリとつくと、まるで自分もお客様になったかのように恐縮し始めた。彼の立場からすれば、由美が自分の側についていてくれると思うと心強い。隆子はそれでいいと思ったが、洋子はすでに由美は妹ではなくなり、現れた男の彼女の立場を表に出しているのは気に喰わなかった。
「ご紹介しますね。私の職場に出入りしている営業の、緒方裕也さんです」
と、姉二人に向かって紹介すると、隆子は素直に頭を下げただけだが、洋子は頭を下げながら視線は裕也を捉えたままだった。裕也も洋子の視線に気付いていたのだろうが、別に意識することはなかった。
「こちらは、私の二人の姉になります」
というと、姉二人は自己紹介をしながら、彼を見つめた。少しぎこちなさはあったが、それを由美は楽しそうに見つめていた。自分のことでまわりの人がぎこちなく動いてくれることに快感を感じているようだ。
裕也を見つめる目は、洋子の方がずっと鋭かった。時々訝しそうに見つめる目は、自分が知っている人に似ていることを示唆しているかのようにも思え、裕也もその視線を感じていたが、わざとなのか洋子の視線をうまくやり過ごしているように思えた。
そんな二人の間の空気を、由美は感じていた。洋子の中に何か引っかかりがあることを、合わせる前から知っていたような気がする。
裕也は、洋子の視線を意識していたが、隆子をまったく意識していないようだ。自分から避けているような感じで、ひょっとすると裕也は隆子のような女性が苦手なのかも知れない。
隆子が避けているのを、裕也が感じ取って、お互いに探りを入れているという考えもある。ただ、隆子は結果的に由美に対して、彼のことで触れることはなかった。妹の彼氏としてふさわしくないと思うのであれば、少しは何かを話してもいいのだろうが、何も話さないというのは、いかがなものだろう? 隆子自身、彼との間の間隔を、少しでも広げておこうと思っているように感じられた。
姉たちの様子を見ていて、由美は楽しそうだ。
それはまるで、姉たちの態度を試すために彼を連れてきたのではないかと思うほどで、そういえば、バーに連れていってくれた時も、あの時は、楽しい雰囲気だっただけに必要以上のことに疑念を感じなかったが、今から思えば、あれも由美の中に何か考えがあってのことだったのではないかと疑ってみれば疑えないこともなかった。
「態度を試してみたかった」
という考えも、当たららずとも遠からじではないだろうか。
ただ、由美が意識しているのは隆子ではなく洋子の方だった。
洋子のほうも由美が意識しているということを分かっているのか、ぎこちなさをなるべく表に出さないようにしようとしているが、そういう小細工は苦手なのか、ごまかそうとすればするほど、余計ぎこちなくなる洋子だった。
洋子は小細工が苦手だが、不器用ではない。そう思うと、やはり由美と裕也の間の関係と自分との間に、何かの接点を感じているに違いない。
静かなる喧騒とした雰囲気の中、まるでリンがひとだまとなって冷たく燃えるような空気が、部屋には充満していた。それを一番感じていたのは由美であり、それを分かっていながら微笑んでいるその表情は、ゾッとするほどだったに違いない……。
第二章
あれは今から六年前のことだった。
隆子がまだ短大の一年生の頃、友達の誘いで合コンに参加したのだが、元々合コンに参加することなどそれまでにはなく。合コンというものを、
――自分とは違う世界に住んでいる人たちが行くものだ――
という考えがあった。
「ごめん、隆子。どうしても人数が足りないのよ」
と、言われて仕方がなく参加した。
「隆子は、飲んだり食べたりしていればいいからね」
と言われて、お酒は苦手ではない隆子は、
「それじゃあ」
と言って参加した。無下に断って、友達関係にヒビが入るのも面倒な気がしたからだ。
当時の隆子は、今のようにしっかりしているわけではなく、ただ物静かな女の子だというイメージしかなかった。合コンに参加するまでは分からなかったが、隆子のような女性が一人はいないと、盛り上がらないようだ。そういう意味では格好の合コンのつまみだったのだ。
予定は二時間ということだったが、
「きっと長く感じるだろうな」
という予想通り、最初の一時間は、まるで時間が止まったような気がするくらいだった。まわりに気を遣わないでいい分、気は楽だったが、それでも手持ち無沙汰は拭い去ることはできず、食べたり飲んだりするのも、時間的には限界がある。
家を出てきてまだ数か月しか経っておらず、帰っても一人の冷たい部屋が待っているだけなので、たまには変化を付けるのも悪くないと思った気持ちが甘かったのだと考えていた。
その頃まで自分の部屋に誰も来たことはなかった。友達を呼ぶ気にもなれないし、一人でちょうどいい広さのところに友達が来たらどれだけ狭く感じるだろうということも考えたことがあったが、
――意外と狭く感じることもないかも知れないわ――
その頃の隆子は、自分の考えはすべて曖昧で、考えたことを必ず一度は疑ってみるようにしていた。部屋を狭く感じるかも知れないと思うと、
――いや、別に変わらないんじゃないかしら?
と考え直す。
しかも、考え直した方が、信憑性があるような気がして、次第に第一印象を自分で信用できなくなっていた。
そんな隆子なので、恋愛にしても、一目惚れなどありえないと思っていた。合コンに行って、ひょっとするとお気に入りの男性がいるかも知れないが、それはきっと錯覚なのだと思うに違いない。そういう意味では合コンに対する考え方が他の人たちとは一線を画していたことだろう。
もっとも、集まった人たちの中に、第一印象でドキッとするような人は最初からいなかった。
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次