短編集53(過去作品)
記憶喪失になって、何とか記憶を取り戻そうとする時に、激しい頭痛に襲われるという。それは思い出したくないことを記憶の中に封印しているので、無意識に封印を解かないようにしているからだという説を聞いたことがあったが、夢を思い出そうとして襲われる頭痛も、普段からあまり気にしないようにしようと思っていた。
頭痛がある時に掻く汗は、あまり気持ちのいいものではない。それがウイルス性の風邪などによるものでないからではないだろうか。
ウイルス性の風邪で身体が熱くなったりした時は、発熱しているもので、発熱には発汗が一番いいというのは、正治の中では常識になっていた。
汗が身体に沁みこまず、流れ出してなかなか渇かないのは、ウイルス性のものではない。ウイルスに打ち勝とうとして身体が抵抗を続けることで掻く汗は、下着をしっかり着替えることで、サッパリするものだ。汗が熱を吸い取ってくれることもあって、身体をさらに熱くして熱を出させる。それが最善の療法である。
身体が反応する汗もあれば、神経が反応する汗もあるだろう。それが、体調が悪くなくとも掻く汗で、その時に頭痛を伴ったりする。それは、アルコールの呑みすぎによる汗ともまったく違い、すぐに汗の原因が分かることが多い。
――きっと悪い夢を見たに違いない――
という意識の元に目を覚ます。
目を覚ますと、頭痛がする。意識がしっかりしてくるまでに、さらに頭痛がひどくなる。しかし身体に震えを感じない。その時にウイルス性の風邪によるものでないことを自覚する。
夢を見ていたという意識があるが、この期に及んでは思い出そうとはしない。思い出そうとすればさらなる頭痛が襲ってくることが分かっているからだ。正治にとって目覚めはいくつかのパターンがあるが、一番はっきりとしているのは頭痛がある時に何も考えてはいけないということだ。そのことは身体が覚えている。
身体を動かさずにしばらくじっとしていれば、少し楽になってくる。
だが、それは頭痛が治まっているわけではなく、ただ、頭痛に慣れてきただけのことである。
どのような体勢を取れば一番楽であるかということが分かっているからこそできることであって、逆にいえば、時々あることなのだった。
どれくらいを頻繁というのか分からない。はっきりと周期的なものでないことは分かっているのだが、起きた時に頭痛を感じると、前に感じた頭痛がまるで昨日のことのように感じるのが不思議だった。
決して昨日のことなどではない。そんなに毎日頭痛に苛まれていては身体が持たないだろう。頭痛がある時は昼間くらいまでは結構体力的にもきついのではないだろうか。漠然としているが、ハッキリと分からないだけに、それほど頻繁ではない。
――時々と頻繁という言葉って微妙だな――
と考える。
時々とは、何もないところから考える考え方で、頻繁というのは、ずっと起こっていることに対して減算法で、満点に近い方を考えるのではないだろうか。そう考えると、時々と頻繁では明らかに違っていてもいいのだが、聞いたニュアンスでは近く感じられたりする。
正治がその日感じたことは、
――まるで以前にあったことを繰り返しているのではないか――
ということだった。
頭痛は頻繁に起こっているが、頭痛があった時は、必ず過去にあったなにかを思い出そうとしている自分に気付いていた。何があったかということは問題ではなく、思い出そうとしている行為に関して、気になっていたのである。
それがいつのことだったのか、数ヶ月も前のことなのか、それとも昨日のことなのか、それを思い出すことから最初に始めようとする。
たいていは、昨日のことのように思い出される。意識の中で昨日のことが飛んでしまって、思い出そうとしていることが昨日のことに打って変わろうとしているように思えてならないのだ。
正治は、五年前から一人暮らしをしている。
大学を卒業し、就職した会社ではいきなり転勤を言い渡された。それから五年間は一人暮らしをしている。
元々大学生の頃から一人暮らしをしたい願望にとらわれていたが、一人暮らしをするまでの金銭的な余裕がなかった。アルバイトをしてもまかなえる金額ではなく、都会で生活することがどれほど大変か分かっても実感が湧かなかったのと、大学生という身分で、自分にどうしても自信が持てないところがあったので、戸惑いながらする一人暮らしには二の足を踏んでいた。
就職も決まり、赴任地が決定すると、そこは、一人暮らしをしなければならない場所で、最初はアパートを借りた。
コーポのようなところであったが、会社からも近く、比較的まわりにはスーパーやコンビにもあり、賑やかなところであった。便利はよかったのだが、賑やかで、夜寝る時には困ったものだった。
その頃のことも時々思い出す。
大学時代には夜更かしをしていた記憶があるが、その延長だったので、あまり気にならなかったが、それでも就職してからの半年は覚えることも多く、大変だった。五月病にも掛かり、一時期実家が懐かしく感じられる時期すらあった。
だが、それも一過性のもので、梅雨になる頃には、一人暮らしに慣れてきた。ストレスにも慣れてきて、仕事にも若干の余裕ができてきたのだ。
覚えることはたくさんあったが、慣れてくるとそれなりに対応できるようになる。学生の頃から順応性には長けていたのかも知れない。
一人で任される仕事に慣れてきたのが年明けくらいであった。会社の人から聞いた話によると、
「今度、俺結婚して新居を構えるので、今の部屋が空くんだが、君が入ってはどうかと思ってね」
と声を掛けてくれた。
要は出て行く方としても、後に入る人を決めておいた方がやりやすいようだ。まず話を聞いてマンションに行ってみると、
「これはなかなかの物件ですね」
と、入ってすぐに気に入った。
まだ家具を動かしているわけではないので、大体の部屋の広さを知ることができた。
「そうかい? 気に入ってくれたかい?」
話は結構早く決まり、正治はそれから一ヶ月もしないうちに引っ越すことができた。
それまで住んでいたところに比べると部屋の数は広さは申し分ない。しかも家賃もそれほど高くない。それまでが交通の便がよかったのに比べると、少し不便にはなる。しかし、それでも閑静なところへの引越しは、願ったり叶ったりであった。
コーポだと、結構隣の部屋の声が聞こえたりする。入社一年目で、覚えることが多い時期はそれでもよかったが、そろそろ落ち着いた住まいでゆっくりしたいと考えるようになっていただけに、嬉しいことであった。
引っ越してからすぐに迎えた春は、いつもの年よりも寒かった。桜が咲くのもいつもに比べて遅く、四月下旬くらいまで花見ができる状態だった。
マンションの近くには川があって、そこに散って流れる桜の花を、のどかな気分で眺めていたのが印象に残っている。
「桜って、日本の花って感じがするよね」
会社からの帰宅途中に通り抜ける川の横の公園で、夜桜見物をしているアベックが気になっていた。
――俺も早く彼女を見つけて、夜桜見物したいよな――
作品名:短編集53(過去作品) 作家名:森本晃次