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短編集53(過去作品)

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 実際には二年ほどの付き合いだったが、半年くらいで結婚したように思えていた。確かに交際期間はそれほど大きな気持ちの変化もなく、甘い空気に包まれたような時間だった。お互いを気にしてはいたが、結局は他人である。楽しい時期を一緒に過ごしているパートナーくらいにしか感じていなかったに違いない。
 結婚してしまうと、今までのイメージと違ってくる部分が見えてくるようだ。
 朝井自体はそれほど感じなかったが、妻の怜奈には少しずつ感じられるものがあるようで、心の中で、
――こんな人と結婚したのかしら――
 くらいに感じることは何度もあったはずだ。
 あまり露骨なことを言う女性ではない。他愛もない話をする時は饒舌であるが、元々口数が少ない。しかも人見知りするタイプであった。
 しかしそんな女性が自分にだけは饒舌で、他人行儀なところがまったくない。それだけ自分に全幅の信頼を置いてくれているのだと思うことは本当に男冥利に尽きていた。
 それならばと、朝井の方も彼女を束縛することはなかった。
――余計なことを言うことで、彼女に気を遣わせてはいけない――
 朝井もそうなのだが、余計なことを話して、下手に勘ぐられてしまうと、深く考えてしまうタイプなので、間違った方向へ考えが及ぶことを恐れたのだ。
 絶えず何かを考えているという感覚は、朝井の中には子供の頃からあった。だからこそ、絶えず何かを考えている人は、見ていれば分かるのだ。
 妻の怜奈にはそんなところがあった。余計なことを考えてしまうと、あまりいい方向には行かないことも子供の頃から感じていたことなのに、考えずにはいられない。それならば、相手に下手な考えを浮かばせるようなことをしなければならない。それが夫婦うまくやっていく秘訣だと思っていた。
 なぜか、怜奈は子供を欲しがらなかった。
「まだお互いに恋愛したい時期なのよ。子供は落ち着いてからでも遅くないわ」
 女の怜奈が言うのだから、朝井にも依存はない。朝井の方こそむしろ、女性の方が子供を欲しがるものだと思っていただけのことだった。
 怜奈は新婚生活への不満はないようだった。
 駅からそれほど遠くないところに二LDKの部屋を借りて、近所付き合いも悪くはなかった。人見知りするタイプの怜奈だったので、なかなか近所付き合いも難しいだろうと思っていたが、それも思い過ぎしだった。
 一つ気になるのは、マンションの近くに公園があるが、そこに数人のホームレスがいることだった。どこに出かけるにも公園の横を通らなければならない。嫌でもその光景は目に写るであろう。朝の出勤時間帯、サラリーマンやOLが足早に駅に向かっているのを横目に、公園の中のホームレスはベンチ裏の草むらからゴソゴソと出てくる。何とも異様な光景に見えている。
――皆どんな気持ちで見ているんだろう――
 誰も意識することなく駅へと向かっている。完全に気にしているわけではないが、どうしても気になってしまう朝井を、他の人たちにはどういう風に見えているのかも気になっていた。
――きっとまったく気になっていないように見えているのかも知れないな――
 と感じると、やはり気にしていない人はいないように思えた。
 露骨に気にしてしまって、目でも合ってしまえば、気持ち悪いという感覚があるからに違いない。
 そういう意味で考えると、怜奈はすぐに気にしてしまったものを凝視するところがあった。性格的なものと裏腹なところがある。
――昼間など一人で買い物に出かける時など、凝視してしまわないだろうか――
 という不安がよぎってしまう。
 朝井の予感は当たっていた。怜奈はホームレスの人たちを気にしているようだった。休日一緒に買い物に出かけた時、
「よせよ。あまりジロジロ見ない方がいいぞ」
 と言わなくてはならないところまで凝視していた。
「はい」
 と言って視線を逸らすのだが、また気になるのか、チョロチョロと見ている。
 二人の生活は可もなく不可もなく、平凡な毎日を過ごしていた。やはり怜奈は口数が少なくあまり話題性にも長けていない。恋愛期間中にはくだらない話もできたのだが、結婚して新婚と呼べる時期を過ぎてしまうと、なかなか会話も弾まない。
――そんなことは最初から分かっていたことだ――
 と後になって考えるが、半分は言い訳のようなものである。
 誰に言い訳をしているというのだろう。自分自身に対しての言い訳である。結婚生活なんて、最初から多くを望んではいけないものだとまで思うようになった。
 多くは望んでいたわけではないが、せめて会話のある生活を望んでいた。もっとも結婚生活での会話がどれほど重要なものであるかなど、結婚するまでは想像もつかなかった。
「結婚してから会話がないと寂しいものだぞ」
 と会社の人は言っていたが、実際にその状況になってみないと分からない。
――もっともなことだ――
 と感じても後の祭りになってしまう。
 結婚してから、二年、三年と経ってくると、自分の見つめ直す時期に差しかかってきたように思えた。所詮会話もないのなら、そろそろお互いに自分の時間を大切にしてもいい時期だと思うようになる。
 怜奈も同様だった。
 相変わらず近所付き合いは苦手なようだったが、お花を習い始めたようだ。
「いとこが誘ってくるので、一緒に習いたいと思うの」
「いいんじゃないか。お前もたまには他の人と一緒にいるのもいいことだからな」
 お互いに自分が熱中できるものがあると、夫婦生活もリフレッシュされるに違いないと思った。ひょっとして怜奈も同じことを感じているのかも知れないと感じたほどで、どちらかというと考えていることが分かるタイプの怜奈だったので、二つ返事でOKしたのだった。
 朝井も会社の先輩から誘われて釣りに出かけることが多くなった。
 もちろん、土日を利用してのことだが、月に一回程度、金曜日に仕事が終わってから、先輩の車に乗り合わせて出かけていく。金曜日、仕事が終わってから一旦家に帰って用意していると、先輩が車で迎えにきてくれる。
 部屋に一旦上がって、コーヒーを先輩と一緒に飲んでから出かけるのだが、その時の怜奈の顔はニコニコしている。先輩がいるからの社交辞令なのかも知れないが、普段見れることのない怜奈の表情であった。
「奥さん、任せてくださいね」
 と先輩が言うと、
「よろしくお願いします」
 口数は少ないが、丁寧な挨拶は先輩に好印象を与えているようだ。
「じゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
 夫婦間では、完全な社交辞令にしか見えないことでも、
「いつまでも仲良くて羨ましいよ」
 という先輩の一言にドキリとしながら、
「そんなことはないですよ」
 というセリフが喉の手前で引っかかっていたのは、
――余計なことだな――
 と思ったからだ。本当は言い訳をしたいのだが、きっと、必死に訴えかねないと思えた。それこそみっともなく、後で情けなくなるのは分かっていたからである。
 釣りをしていると、何もかも忘れられる。というよりも、余計なことを考えてしまうと言った方が正解であった。
「釣りなんて、短気な僕にできますかね?」
 と先輩に誘われた時に答えたが、
作品名:短編集53(過去作品) 作家名:森本晃次