短編集53(過去作品)
初めて会ったという気がしないと感じたのは、むしろ姉の方にだった。相手も同じカウンターで、客という立場だったからかも知れないが、どこか惹き合うところがあるのを最初から感じていたように思える。
――そういう感覚が恋というものかも知れないな――
それを確信したのは、次にこの店に来た時だった。
数日空けて店に来たが、店内に入ると、まるで昨日のことのように思えるのも不思議だったが、同じように咲江だけがいて、ママさんがいないシチュエーションまで同じだった。
「ねえさんがよろしくって言ってましたよ。おねえさんは、朝井さんを気に入っていたみたいですよ」
「そうかい?」
まんざらでもない。特に女性の言葉はすぐに信じてしまうところがあるが、それも朝井の性格だった。
彼女が怜奈だった。怜奈は、それからもちょくちょくスナックに顔を出すようになっていた。もちろん、朝井に会うためである。朝井もスナックに顔を出しては怜奈に会っていた。そんな二人を妹の咲江は暖かい目で見ていたことだろう。
表でも会うようになったのは、それからしばらく経ってからだった。
「朝井さんは、いろいろなことを知っておられるから、ご一緒するのが楽しみです」
と話してくれた。
本当はアベックで出かけるような洒落た店には行ったことがない。ほとんど雑誌やネットで探したものであるが、何とか店に順応できたのがよかったのかも知れない。
夜景の綺麗なレストランでの食事など、今まで夢に見た光景がそのままであった。足が地に着いていないとはまさしくこのことで、何を話したのかすら覚えていない。
緊張するのは子供の頃からで、緊張していると何を話したのか覚えていない。後から聞かされて、
「俺がそんなことを口走ったのかい?」
と、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたこともあった。
とは言え、二人きりのデートに他の人を同席させるわけにも行かず、開き直るしかなかった。
――嫌われるなら、それでも仕方がない――
くらいに考えていないと、却って墓穴を掘ってしまいそうだった。
だが、そこまで開き直ることが果たしてできるだろうか。朝井にとって、恋愛の機会が今までになかったわけではない。何とかデートにまでこぎつけることはできても、
「あなたとはお友達以上には思えないわ」
と、別れの常套セリフを吐かれて、あとはさようならということが今までに何度かあった。
理由はまったく分からない。今でも分かっていない。一緒にいて、相手が気にする致命的なことを口走ってしまったのだということしか意識としては残っていない。
お友達以上には思えないということは、お友達としても一緒にいたくないということである。
「じゃあ、お友達からもう一度やり直すということ?」
と、まったく今から考えれば
――何とトンチンカンな返答をしたのだろう――
と思うことを平気で答えていたものだ。
今まで付き合ってきた女性にはそういう女性が多かったのに比べて、怜奈にはそういうところはなかった。いつも物静かで、じっと黙って後ろからついてきてくれるようなそんな女性だった。
――理想としている女性とは彼女のような人のことなのかも知れない――
理想の女性に出会えることは、なかなかないものだ。しかも年齢的にもそろそろ結婚を考えてもいい年頃だった。
二十歳代前半で結婚を考え、それがうまく行かなかったら、後は三十歳に突入してから考えるものだということを何かの雑誌で読んだ。週刊誌の中にあったアンケートの中の記事だったので信憑性がどこまであるか分からないが、朝井はある程度まで信じていたのだった。
女性の場合はどうなのだろう?
記事には女性も同じような雰囲気のアンケートが載っていたが、女性の方がもっとハッキリしているように書いている。女性は男性よりもあまり意思表示をしないように思っていたが、傾向にはハッキリと現れるようだ。
怜奈は寡黙であり、人見知りするタイプだった。
――よくこれで学生時代にスナックに入っていたな――
と感じるほどだったが、スナックでは物静かな女性も悪くないかも知れない。話を黙って聞いている女性の存在は、男性にとってはありがたいものだ。話を聞いているだけでも表情に微妙な変化が現れれば、それが嬉しいものだ。
――話している甲斐があるってもんだ――
と思うに違いない。それこそが男性のナルシズムをくすぐるものではないだろうか。
怜奈は気に入った人の前では饒舌だ。最初は警戒心があったようだが、馴染んでくると、
「物静かだったなんて、今からは信じられないな」
と言うと、
「どうしてなのかしらね。人見知りをするのは、相手が怖いからだとか、自分に自信がないからだとかいうのとは少し違うみたいなのよ」
と話してくれる。
確かに、物動じしないところもあれば、自信過剰とまで行かないが、しっかりとした自分に対しての自信を持っているところは感じられる。却ってそんな人の方が、表に出さないのかも知れない。
そんな怜奈と初めて身体を重ねたのが、付き合い始めて数回目のデートの時だった。
――怜奈が私を求めている――
と感じたのと、
――そろそろだよな――
と自分の中で彼女を求める気持ちの高まりにピークを感じたのが、ほぼ一緒だったことで、
――間違いない――
と納得した上でのシチュエーションだった。
食事をしたレストランに部屋を取ってあり、普段は待ち合わせを他の場所でして、レストランにエスコートしてくるものを、最初からレストランでの待ち合わせをした。
夜景の綺麗な窓際の席、朝井が最初にやってきて待っている。一人夜景を見つめていると、怜奈がやってきた時にどのように写るかということを計算に入れていた。
大きなフロアに一枚ガラスが大パノラマを形成している。一緒に来る時は、窓を焦点にパノラマを見ているが、その日は相手が席に座っているのである。
まず、彼女は、朝井を探すだろう。ボーイがやってきて、
「お一人様でしょうか?」
「いえ、連れが来ていると思うのですが」
「朝井様ですね?」
「ええ」
朝井は待ち合わせに遅れることはない。必ず先に来て待っている。それも最初から計算のうち、必ず朝井を探すに決まっている。
ボーイが朝井の座っているテーブルを指差す。その方向を反射的に見る怜奈。目に浮かぶようだ。
朝井はじっと表を見つめている。後ろ髪だけが黒い点に見えていることだろう。黒い点だけを見つめようとすると、まわりの大パノラマを意識してしまう。大パノラマを意識していると、今度は朝井が気になってくる。
朝井がまるで豆粒のように小さく感じられるだろう。そうすることで、大パノラマがより一層広がって感じるに違いない。それが朝井の考えだった。
「素敵」
朝井は、怜奈のそんな声にほくそ笑みながら表を見ている。怜奈に対してすぐには振り返らなかった。もちろん、怜奈の第一声も想像通りだった。
怜奈の性格からすれば、綺麗な景色を見つめていれば言葉が少ないことは分かっていた。素直に感動しているのだ。そこに言葉を挟むことは邪道であって、一緒に見つめてあげることが男性としてのエチケットだと思っていた。
作品名:短編集53(過去作品) 作家名:森本晃次