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短編集53(過去作品)

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記念日の悪夢



                 記念日の悪夢


 まったく予期していなかったことが起きるのがこの世の中、そのことを絶えず考えている人が何人いるだろう。まったくそんなことを考えずに、毎日を平凡に過ごしている人は少ないかも知れないが、仕事に追われ、生活に追われていると、なかなか必要以上のことを考える余裕がなくなってしまうものである。
 朝井豊一も学生時代まではいろいろ将来のことを考えては、先の人生に思いを馳せ、その反面、見えない漠然とした将来に大きな不安も感じていることだろう。それは誰にでもあることに違いない。だが、どこかの段階で、ある程度の先は見えるもので、
――所詮、平凡な人生しか歩めないんだ――
 と思うと、どこかホッとする自分に気付くこともある。
 むしろ平凡な人生を歩むことが難しいと考えることもあるだろう。まず平凡な人生とはどのようなものかを口で説明するのは難しい。何よりも人それぞれで違うからだ。
 大まかには同じなのかも知れないが、その度合いは明らかに違う。微妙に違っている人もいるだろうし、ビジョンの大きさが最初から違う人もいるだろう。
「普通に就職して、恋愛して、結婚して、家族を持って……。そこから生まれるのが平凡な暮らしなんじゃないか? 家族を大切にしたいという思いが仕事への意欲に繋がって、仕事中心の生活というのも平凡な生活には必要な考えではないのかな」
 学生時代に平凡な生活について話をしたことがあり、友達が話していたことだった。この意見には朝井も賛成だった。どんな仕事に就き、どんな女性と付き合って結婚し、どんな家庭を持つかというのは漠然としていて想像の世界だけでしかないが、想像するたびに変わっているという漠然というには、まだまだの状態だったかも知れない。
 大学を卒業する頃から、自分で想像していた人生よりも少し順風だったように思う。就職も中流ではあるが商社に入社でき、自分の成績では就職活動は成功に近いものだった。なかなか就職活動もうまく運べないほどの不況の世の中、不安がないわけではないが、一応卒業までに関しては思い通りに事が運んでいると言っても過言ではなかった。
 就職してしばらくは仕事一色である。
 就職するだけがゴールであれば完全に順風なのだろうが、就職してからが本番である。うまく就職できたのはいいが、同じく就職した連中は同じように就職戦争を勝ち抜いてきた連中で、しかも彼らは大学閥を持っている。商社ともなれば、大学からのルートがしっかりしていることもあって、同じ新入社員が十数人いるが、朝井と同じ大学から入った人は他に一人だけであった。どうしても肩身の狭い思いがあるのも仕方のないことだった。それでも朝井にしても、同じ大学から一緒に入社したやつにしても、あまり大学閥を気にすることはなかった。大学閥が気になるくらいの小心者であるならば、面接の段階で落とされていたかも知れない。面接ではハッタリも必要で、ハッタリが噛ませられる性格でもなければ、なかなか就職もおぼつかないだろう。
 そんな朝井には野生的なところがあったに違いない、どちらかというと、大学閥で入社してきた連中は大人しい雰囲気の連中が多く、それでも個性が見えればいいのだろうが、どうも皆同じような性格に見えて仕方がない。しかも皆同じ大学から来ているという気持ちが強いのか、うちで固まる習性があるようだ。
 朝井はそんな雰囲気が一番嫌いだった。同じような性格の人がグループを作るのは仕方がないにしても、同じ大学からの連中となると、まわりと完全に一線を画していて、見ていて露骨に感じられる。
――まるで学生時代の延長のようだ――
 研修期間のほとんどがそんな思いを感じさせられた。だが、研修期間も終了し、それぞれの配属先に就く頃には、それぞれ社会人の顔になっている。
 相変わらず個性は感じられないこともあって、
――俺はやつらとは違うんだ――
 という気持ちも強く、一匹オオカミ的な自分を感じていた。
 上司も同じように感じているようで、直属の課長は大学閥ではない大学出身だった。朝井の大学の先輩というわけではないのだが、どこか朝井を見ていて気に掛かるところがあるようで、
「一緒に呑みに行かないか?」
 と、よく誘われたものだ。もちろん課長と二人というわけではなく、もう一人くらいは一緒に誘われていた。朝井にとっては先輩に当たる人だ。
「なかなか個性のある人がいないから、困ったものだと思っていたんだ」
 朝井が配属になったのは、宣伝部であった。商社と言っても宣伝が必要で、宣伝には企画立案が大切になってくる。朝井は企画立案の部署に配属になったが、朝井にとっては願ったり叶ったり、自分の理想としている部署だった。
 学生時代から、モノを作ることが好きだった。芸術的なものに造詣が深く、趣味でイラストを描いてみたり、小説を書いてみたりした。
 就職活動にて、趣味を前面に押し出したことは言うまでもないが、それほど趣味が就職活動に影響してくるものだとは思っていなかった。
 実際にも就職活動に影響したかどうかも怪しいものだが、実際に就職してからの配属には大いに影響を与えたのではないだろうか。そう考えると宣伝部の威嚇立案への配属は頷けるものがある。
「人事部は結構そういうところは見ているものさ」
 と言いながらも、
「配属されても、問題はそこからさ。やる気が起こるような環境作りができていればいいんだが、残念なことに部署によってはなかなかそこまで行っていないところも少なくはない」
「そうなんですか。では、宣伝部はどうなんですか?」
「そうだな。自分ではできているつもりだが、それは各人で考え方も違う。自分の目で確かめるのが一番だね」
「私はやりやすいと思っていますよ」
「そう言ってくれると嬉しいね。ありがとう。だけど、人によって考え方も違う。違って当然だし、違わないと却って困る気がするんだ。皆同じ考え方だったら、進歩はないはずだからね」
「それが個性というものではないんですか?」
「そう、そのとおりさ。結構今の若い連中は個性がないように思えてならないんだ。何がしたくて会社に入ってきたのかって考えるよ」
「少し耳が痛いですね」
 耳が痛いのも当然である。何がしたくて会社に入ったかなど、考えたこともなかった。会社に入ることが目標で、入ってからも仕事を覚えることで必死。何をしたいかなど、仕事を覚えてからでないと分かるはずもないと思っているのだが、それではいけないのだろうか?
「いずれ見つかるさ。君だったらね。だけど、見つけようと思わないと見つかるものではない。漠然としたものがそのうちに確信に変わると思っているよ」
 何についての漠然と言っているのか分からなかったが、課長の話にはどこか頷けるところがあった。話を聞いていると、やっと自分も社会人の仲間入りができたように感じてくる。
 朝井が妻の怜奈と知り合ったのは、仕事も一段落して精神的に落ち着いてきた時だった。
 就職してから一年も経つと、すっかり仕事も分かってくる。研修期間の長さが仕事への理解度を深め、どれがより自信となって跳ね返ってくる。
作品名:短編集53(過去作品) 作家名:森本晃次