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短編集53(過去作品)

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 影が支配している世界。ヒンヤリとした世界は音を吸収する世界のようで、耳鳴りが聞こえてくるかのようだった。目が次第に慣れてくると、ザワザワという音が聞こえ、店内に流れているジャズが、小気味よいリズムを弾ませていた。
 影だけの世界は、次第に明るさを取り戻してくる。光は光、影は影と二つの色に分かれてきた。
 よく見ると、カウンターに一人の女性が座っている。光が当たって、顔のところどころに影ができているが、眩しそうな目をしながらでも、こちらをじっと眺めている。きっと彼女には、正治がシルエットに見えて、はっきりと表情まで見ることはできないだろう。
 シルエットというのは、光がなく、すべてが影である。
――だから大きく見えるのかも知れないな――
 と感じたのだが、前から感じていたのだろうが、ハッキリと意識したのはその時が初めてだった。後になってから思い出すのは、同じ状況に陥った時で、その時にも、
――懐かしく感じることがあるはずだ――
 という意識があったが、その時はおぼろげなものだったはずである。
 その時に感じたのは、最初ローズの甘い香りだった。
 だが、次の瞬間、少しきつい匂いを感じた。それは父親に感じた匂いで、およそ女性に感じることのないはずの匂いだった。だからこそ忘れないのだろうが、その匂いはコロンの匂いだった。
 正治はあまりコロンの匂いは好きではない、しいて言えば香水の匂いも好きではない。
 身体から発する本能の匂いを無理に消すものだという思いが強いからだ。子供の頃から嫌いだったが、子供の頃にそこまで考えていたというわけではないだろう。嫌いな理由を探していて、やっと見つけたのが、身体から発する本能の匂いを、無理やり打ち消すものだという結論だったのだ。
 無理やり導き出す結論には信憑性を欠くと思っていたが、仕方のない場合もある。嫌いなものを正当化するのも、嫌いなものがあること自体否定しようとする人間への、ささやかな抵抗だと思っているからだ。
――妥協も場合によっては必要――
 と考えている。
 最初に匂いを感じた時は、部屋全体からの香りに感じられた。だが、次第に目が慣れてきて、光と影の境界線がハッキリし始めてくると、感覚で匂いの元を追いかけようとする。それは影と光の部分を探そうとする意識と同時進行していて、ハッキリとしてくるのも早く感じられた。
 カウンターに座っているその女性は微笑んでいるようにも見える。眩しそうな視線なので何ともいえないが、その表情は明らかに正治を意識していた。
 だが、その時に彼女と何か会話を交わしたように思うのだが、肝心の話までは覚えていない。ただ、
――いずれ思い出すはずだ――
 とタカをくくっていた。実際に思い出すことはなかったが、指定席であるテーブル席からいつもカウンターを眺めながら、その時のことを思い出していた。
 しかし、同じシチュエーションになることはまずない。その時だって、
――これほど明るく見えることは、これからもあまりないだろう――
 と思うほどの明るさだった。
 明るさに気を取られていたが、暖かさも忘れられない。暖かさに伴った湿気があったから、余計にコロンの香りが店内に充満していたのだろう。
 だが、不思議なことに、コロンの匂いはすぐに消失した。彼女の表情をハッキリと確認した瞬間には消えていたのだ。
 あっという間だったはずだ。それでも匂いだけは鮮明に記憶している。
――もう一度同じ香りを嗅げば、きっと彼女の顔を思い出すはずだ――
 そう思って疑わなかった。
 近い将来に感じるはずだと思いながら早三年経ってしまった。記憶が意識の奥に封印されてしまうであろう一つの時期として三年と考えている正治だった。
 それは学生時代の感覚であろうか。小学生は六年あるが、中学生、高校生は三年である。中学、高校ともに、入学してからのことを考えると、卒業までのパターンに変わりはない。精神的、肉体的な成長はあるので、それほど酷似しているとは思えないが、記憶という意識は三年周期であった。
 その日、コロンの香りが鼻から離れなかった。花粉症でもないのに、くしゃみが出て、止まらなくなっていたのだ。
 花粉症になったことがないわけではない。数年かに一度花粉症の症状を起こし、苦しんでいる。その年によって症状は違い、くしゃみが止まらない年もあれば、鼻水が止まらない年もある。目が真っ赤になるくらい目が痒い時もあり、そのどれもが苦痛に満ちていた。
 特に鼻が詰まる時は、夜眠れない。目の痒さがないわけではないので、昼間眠たい状態になって目をこすると、さらに悪化してしまっていた。そのまま発熱で寝込むこともあったくらいだ。
 しかし、コロンを嗅いでくしゃみが止まらない時の夜は、不思議とよく眠れた。夢も見ていたようで、その中で舞い散る花びらを見つめていたように思う。背景はすべてが真っ暗な中、浮かび上がった桜の木から散っている花びらだけが怪しく光っていたのが印象的だった。
 まるで舞台の上のような景色に見とれていると、
――これは夢なんだ――
 と分かってくる。
 小さい頃だと思うが、夢の中で海が出てきたが、海の向こうの景色が映画のセットのようになっていたことがあった。
 果てしないはずの海が目の前のセットだなんて、夢でしかありえないと思いながらも、自分が主人公であることを自覚していた。照明が当たって影ができている。それがセットだと感じた最初だったに違いない。
「その夢を見たのはいつだったのか?」
 と聞かれると、
「最近だったように思う」
 と答えるが、実際にはかなり前だったはずである。夢の中に出てくる自分が子供で、きっと小学生であると思っているからだ。
 就職して大学時代の夢を見たことがあったが、その時、設定は大学のキャンパス内で、自分は大学生だという自覚があるのに、まわりにいる友達は皆就職している。自分だけが取り残されているという意識があるのだが、それは就職活動で苦労をした時のイメージが残っているからだろう。
 海の夢は、まったくの小学生だった。まわりもすべて小学生時代の思い出で、夢の中での時代考証に間違いはない。
――それなのに、どうして最近の夢のような気がするのだろう――
 と疑問に思うが、考えてみれば不思議のないことだった。
 要するに、同じ夢を何度も見ているからである。同じ夢を何度も見ることで最近に見たと思う。夢に限っていえば、同じ夢であっても、新鮮さを失わない。だから、すぐには気付かなかったのだ。それだけ夢と現実とは違う世界のものなのだろう。
 コロンの香りを夢でも嗅いだ。
――夢で匂いを感じるはずなどないのにな――
 同じ設定でイメージが湧くのであればそれも理由の一つになるのだが、コロンの匂いと真っ暗な背景に舞い散る桜のイメージは、どう考えても合わない。夢の中で記憶の捩れが起こっているのかも知れない。
 最近になって、
――同じ日を繰り返しているんじゃないだろうか――
 と思うことがあった。
 毎日がマンネリ化しているわけではないのに、どうしてそんなことを考えるのか不思議だった。
作品名:短編集53(過去作品) 作家名:森本晃次