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死がもたらす平衡

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(その人は、顔が分からないほどに潰れていて、肉親だったら、まずまともに見ることができないだろう。まったくの他人でもあそこまで潰れていると、感情がこみ上げてくる。その人がどんな人生を歩んできたのかということを知りたいと思うからだったのかも知れない)
(僕が死を意識した時、当然のごとく、その時の顔を思い出した。あんな風になってしまうのは嫌だった。だが、どんな死を迎えたとしても、悲惨なものであることには違いない。それならば、後は自殺ではなく、事故死だと思わせるのが、いいのではないかと思った。死んでいくのだから、死んでから思うことなどはない。だからこそ、死に際の自分を少しでも美化したいと思うのだ。自殺ではなく、事故……。そう思わせることが、死に対しての自分なりの「美学」だったに違いない)
(僕が事故死ではないことを一番信じたくないのは姉さんで、一番信じているのも姉さんだろう。僕のことを誰よりも分かってくれているからだと思っていたが、それだけではないかも知れない。僕に対して抱いてはいけない感情を抱いてしまった自分に対し、戒めの気持ちもあって、隠そうという意識とともに、自殺した僕の気持ちを他の人に悟られることを嫌っているに違いない)
(姉さんは、僕が死ぬ前に旅行に出かけた。僕が危ない目に遭わせたからだろうが、本当は姉さんがあの時に死んでくれていてもよかったと思う。何も知らずに死んだ姉さんが、あの世で僕を待ち受けてくれているという想像をしただけでウキウキしてくる)
「やって二人きりになれたね」
{そんな姉の声が聞こえてくるようだ。姉は僕が思っているよりも、それ以上に僕のことを思ってくれているのかも知れない。本当に僕にとって都合のいい考え方だけど、それ以上でもそれ以下でもないような気がする。姉さんにとって僕は、僕にとっての姉さんよりも、その思いは強いものであってほしいと思っている}
(でも本当に都合のいい考えだ。姉さんが先に来ていたとしても、今は僕一人のこの空間に、姉さんと二人きりになれるなんてありえることではない。一人きりでいられることさえ偶然なのかも知れないのに、二人が一緒など、いてもいいのだろうか? 現世での因縁が、ここで通用すると思ったら大間違い。もし一緒にいられたとしても、記憶を消されていたらどうだろう? 知っているはずの人が分からないという気持ち。これほど虚しいものはない。余計なことばかり考えていると、胸の鼓動が高鳴りを続け、息苦しくなってくる)
(ここはあの世のはずなのに、苦しいなんて感情が存在するなんて、思いもしなかった。元々あの世という世界の概念を誰が作り上げたのだろう。本当に誰か知っている人がいて、伝え聞いて伝承してきたのだろうか。確かに現世にいた頃よりも現世を広く知ることができる。ただそれは本当に僕の感情なのだろうか? それを思うと、現世とこの世界の繋がりについて、感慨深いものがあると思えたのだ)

 飯田が、現世の人に限りなく近いところで、違う次元の上に乗っかっているのだが、そのことを知っている人は誰もおらず、相手からは見えるが、こちらからは見えないという不思議な世界を彷徨っていた。
 本人には彷徨っているという意識はない。彷徨うには、まわりを意識して、自分がどこにいるのかということを最優先で考えるから、彷徨うのだ。だが、どこにいるかということよりも、どこにいれば、現世がしっかり見えるかということに重点を置いている。見つめるその先に現世があるのだから、現世に未練があるのではないかと思われてもおかしくない。
 現世に未練があれば自殺などしない。だが、未練があるはずの相手を想うと、自殺しか手段がなかったことを考えると、余計なことを考えるのが情けなくなってくる。ただ、見つめられている相手が、少し死んだ自分の存在を漠然としてだが意識しているのを考えると、飯田は、自殺が決して悪いことではなかったのだと思うのだった。
 自殺は時と場合によって正当化されてもいいのではないかと思う。
「死」というものがすべて否定される世界であれば、老衰も否定されて当たり前、ただ自分の人生の中で自分で決して選んではいけない一番の戒律は「死」であった。戒律を定める宗教が、今までどれだけの争いを巻き起こし、死者を作り上げてきたか、考えるだけでも虚しくなってくるというものだ。
 飯田が、現世と「あの世」の狭間を彷徨っている頃、由美は自分の今後について考えあぐねていた。
 将来のことをあまり考える方ではなかった由美だが、ここ最近、いろいろと考えるようになった。それは結婚したからというわけではない。結婚したのも当然理由のうちではあるが、それ以外に感慨深いものがあるのだった。
 結婚した相手である茂は、由美に対して何の注文も、文句も言わない。ただしたがっているだけの男性で、由美にとっては扱いやすい人であった。
「恋愛相手と結婚相手は違う」
 と言われるが、まさしくその通りだった。
 由美が見合いしたのも、結婚前から男遊びが頻繁だった由美を見かねた親戚のおじさんが、
「見合いしてみるのもいいぞ」
 と、
――どうせダメだろう――
 と、見合いを断るかと思いきや、
「じゃあ、してみようかしら?」
 と、アッサリ受けたのには、まわり皆ビックリしたようだ。
 もちろん、由美には結婚しようという意思はなかった。
「少々「使える男」なら、ちょっとした寄り道もいいか」
 と、ちょうどその時、付き合っている男性がいなかったこともあり、暇つぶし程度の気持ちで見合いをしたのだ。
 思ったよりも見合いというのも悪くないと思った。新鮮な気がするからだ。相手も真面目そうで付き合ってみるにはいいかも知れないと思った。その人を断って、もう一度見合いをしようかとも思ったが、
「見合いは何度もするものじゃないな」
 と言っていた遊び友達の話を思い出した。
「最初は新鮮なんだけど、回数を重ねるごとに、新鮮さがなくなってくるのよ。次第にシラケてくるというか、相手の男が情けなくしか見えてこなくなるの」
 どうせ見合いをするような男性だ。今まで彼女もできずに、見合いに頼るしかないと思ったのだろう。
「見合いなんて、一回だけで十分だわ」
 と思うのも、当然ではないだろうか。
 茂には、どこかオドオドしたところがあり、人に怯えている態度は、今まで長い付き合いの友達がいて、
「その人に頭が上がらないのではないか」
 と思ったからだ。
 その相手がどんな人か分からないが、そこに自分が入ることで、この人がどうなるか、興味があった。
 ただ、たまに高圧的な態度を取ることもある。その時に、すでに由美には茂の中にある「三すくみの関係」が目に見えていたのだった。
 ただ、夫にとって自分が優位に立てる相手の男性が、飯田という名前だと言うのは知っているが、それが自分の子供の頃に因縁があった相手であることは知らない。しかも、その因縁のあった相手が、時間が離れているとはいえ、同じ人間をお互いに従わせていたなど、ただの偶然であろうか。
作品名:死がもたらす平衡 作家名:森本晃次